出口王仁三郎 文献検索

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物語38-2-121922/10舎身活躍丑 思ひ出(三)王仁三郎参照文献検索
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第一二章 思ひ出(三)〔一〇四九〕

 京都の南部といふ男、これは自分が鎮魂を教へてやつた男であるが、一廉の活神様気取りになつて、金光先生などと称へ、高町の如きは夢中になつて信仰し出した。それを良い事にして、とうとう高町の細君と野合いて、一人は変性男子、一人は変性女子と云つて、一段高い処へ坐り込み、高町は一段下の結界の外に平伏して仕へて居る。高町に……一体どうしたのかと尋ねると、神様(南部)が御入用とおつしやるから家内を差上げたのだ……と云ふ。
喜楽『馬鹿な、そんなことがあるものか、お前はすつかり騙されて居るのだ』
と云つてやると、またその気になつて、一応は南部に向つて、嬶を返せと迫つては見るものの、家内から、
『禿ちやん老爺、決して丹波の四つ足の云ふ事なんか取上げて神罰に触れまいぞ』
とおどかされると、またグラグラとその気になつて畏まつてしまふ。材料が面白い材料だから、京都大虎座の馬鹿八と云ふ男が、俄芝居に仕組み、業々しい絵看板まで拵へた。しかし俄芝居などでこんな真似をされては叶はぬから、止めさす工夫はなからうかと云つて、高町から泣き込まれた。外には仕方がないから、これは侠客いろは幸太郎に頼んで、看板代を五十円出して、とうとう止めさせてしまつた。
 三十五年正月直霊が生れた時、教祖様はお筆先通り、この子は水晶の種だから、種痘は出来ぬと云はれた。自分が所用で大阪へ行つて居つた留守中、役場からも警察からも切りに種痘を迫つて来たが、そのままにうちやつてあつたのでとうとう六月に警察から呼出しがあつて、種痘をしなかつた罰で二十銭の科料に処せられた。間もなく規則が改正されて、二十銭の科料が一足飛びに二十円の罰金になつた。
 当時の自分の手前では迚も二十円の支出は出来ぬばかりでなく、幹部の連中が罰金を出す事をどうしても承知しない、これが御筆先の時節到来で世を転覆すのだといふ。時節到来はこんな事ぢやないと云つて聞かしても、中々承知しない。仕方がないから、次回の種痘期には家内とも相談して、箪笥を空にして漸う罰金を支払つた。罰金は納まつたが、治まらぬのは幹部の連中で、自分が罰金を支払つたといふ事が分つたものだから、蜂の巣を崩したやうに騒ぎ出した。そして一同蓑笠で警察署へ押掛けて、支払つた罰金を返してくれといつて談判を始めた。
 種痘をしなかつたと云つて罰金を出しては日本が外国に負けた形になるから、出した金を惜むのではないが返して貰ひたい、返してくれねば此処一寸も動かぬ……と云つて、駄々をこね出した。警察では一旦取つた罰金を返さぬのは知れ切つた事で、どうしても相手になつてくれない。仕方がないから今度は役場へ行く。法律できまつて居るために仕方がないと云ふのなら、法律を改正せよ、神の命令を聞かねば役所が潰れるがどうだ……などと無理な事を云つて、役所を苦めたが、相手にならないので、仕舞には検事局へ行つて、警察へ出した罰金を返せと云つて迫つた。検事局でも手古摺つて、国法を無視してそんな訳の分らぬ事を云へば、軍隊をさし向けて大本を叩き潰すがどうだ……といつておどかした。さうすると四方平蔵がムキになつて、……面白い、神様と軍隊と何方が強いか、力比べをせう、何万の軍隊でもさしむけろ……と云つて威張るといふ始末だ。しかしどこでも取上げてくれぬのでそのまま泣寝入りになつてしまつた。
 こんな次第であるから、翌年からの予定の罰金納めは余程秘密にして、幹部の連中には知れないやうに済ませて来た。そんな事とは夢にも知らぬので、幹部の連中は大得意だ。とうとう神様の方が勝つたから罰金を取りに来ないのだ……と云つて喜んで居た。よせばよかつたのに、幹部の連中が余り得意がるから、実は毎年自分が払つたのだと話しをしてやつた。さうするとまた大騒ぎになつて四つ足呼ばはりをやり出した。
 ある日園部の青柴仙吉、田中仙吉、上仲儀太郎、辻フデなどがやつて来て、支部の発会式をするから来てくれと云ふ事であつた。同行して途中の観音様の池のそばで一服やつて居ると、突然池の中へ付き落とした、狼狽して這ひ上らうとすると、竹を持つて居て、また突込む。そして、
『小松林の悪の守護神去ね去ね。先生には済まぬが、小松林が不可ぬ。外国魂を除けねばならぬ』
と泣いて意見をする。愚直な迷信家にかかつては手の出しやうがない。やうやう這ひ上つて園部へ行くと、支部の発会式なんて全然嘘なんだ。夜中に四人でおさへつけて、背中に大きな灸を据ゑて、
『コラ小松林の四つ足守護神、何と心得て居る。この御方は貴様等の容物になるやうな御方ぢやない、早く去んだ去んだ』
と云つて大きな灸を据ゑ廻しにする。今度は仰向けにして、胸から脇のあたりをくすぐる。たまらなくなつて笑ふと、
『まだまだ居る居る』
と云つてくすぐりながら……去なぬか去なぬか……と責めつける。だんだん調べて見ると幹部の中村などが二三人出かけて来て居て、蔭から差図をして居るのであつた。
 何時まで経つてもこんな風では、何も仕事が出来ぬから、他処へ行かうと思つても、行けば本気で切腹をするといふのだから、どうすることも出来ぬ。西田が夜隠れて来て、打合せをして北桑田へ布教に行つた事もあつた。
 三十七年に北桑田へ行つた。八木に氏神の祭礼と福島サンの内のお祭とがあつたので、四方平蔵、中村竹蔵、家内の姉のお竜サンなどと同行した。これを機会に夜逃げをしやうといふ考へであつた。予て西田と打合せがしてあつて、檜山の鍛冶屋に待たしてあつた。突然姿を隠しては母が心配するから、決して心配せぬやうに耳打をして置いてくれと云ひたいのであるが、皆が側に居るので、先に行く事が出来ない。仕方がないからお竜サンに腹痛を起さした。皆が鎮魂をして上げてくれと頼んだが、
喜楽『自分は四つ足だ、四つ足の鎮魂なんか利くものか』
と云つてドンドン先へ行つて、ゆつくりと西田と話をした。それからいくら待つて居ても皆やつて来ない。後から聞くと同じ道をクルクル廻つて居つたのださうな。仕舞には二手に分れてやつて来た。四方が新道からやつて来たから声をかけてやつた。
 八木へ行つて氏神の祭礼をすませ、翌日一寸穴太へ寄つた。中村と四方の隙を見て、母に耳打をしてまた八木へ帰つた。福島サンの祭をすませて、その晩逃げやうと考へたのであるが、皆が見張つて居て逃げる事が出来ぬ。仕方がないから足を揉め、肩を揉めとヤンチヤを云つて夜更までもませたら、皆草臥れて寝てしまつた。その間に手早く仕度して、即興の書置をかいた。

 『たまたまの旅につかれてグツと寝る
  素人按摩が肩ひねる

 ねるは ねるは たわいもなしに
  寝る間に抜けた目の玉は

 尋ねる由も泣寝入り
  夜具のトンネル穴ばかり

 寝てる間に知れぬとそんな事
  帰つて教祖に云ひかねる

 ネルの首巻ネルパツチ
  空から雨がフランネル

 ヤキヤキと熱を福島会合所
  跡の祭で四方中村』

 自分ながら可笑しくなつてクスクスと笑ふと、お竜サンが目を覚まして、黙つて行けと手真似で知らす。外へ出ると西田が来て待つて居る。それから園部まで一走りに走つた。そして港屋といふ宿屋の二階に隠れてゐた。自分が夜逃したといふことが分つて、皆で大騒ぎをして園部穴太をスツカリ捜し廻つたさうな。『霊界物語』霊主体従第二巻そのままを繰返したのである。
 宮村の内田官吉の内に二日居つて宇津へ行き、山国へ行き、山国で二晩とまつて宇治まで行つた。それから汽車で亀岡に行き、王子へ行かうとすると、四方平蔵がやつて来た。
 八木で心配をしてゐるからと云ふので八木へ寄つた。今夜は逃げぬから寝よといふけれど、警戒をしてマンヂリともせずに見張つて居る。こんな風でまた綾部へ帰つて来た。そして更に半年ほど六畳の間に押込められた。代る代る張番をして暫時の間も自分の自由にはならぬのである。古事記を研究しやうとすると、そんな乞食の学問なんか、釈迦の真似などする事は要らぬと云つて取り上げてしまふ。それぢや日本書紀を読まうといふと、日本の書紀ならよからうといふ。読んで居るとその本を見て、日本の書紀などと云ふが、これは角文字ぢやないかと云つて取上げて焼いてしまふ。仕方がないから一部福林の神官から借りて、蒲団を被つて豆ランプの火で調べた。人の足音がすると、あわてて消すといふやうな次第で、骨が折れる事、一通りや二通りではなかつた。その後事情があつて四十一年まで某官幣社の神職を勤めた。
 幹部の連中は立替立直しは三十七八年の日露戦争だと誤解して居たのだが、さうでなかつたために、一人減り二人減り、野心家の中村竹蔵は死に、四十二年頃には教祖様の外には四方与平、田中善吉のみが残つて、後は皆ゐなくなつた。モウ大丈夫と考へたから自分も帰つて来て、熱心に布教に従事し、今日の大本の土台がだんだん出来て来るやうになつたのである。

(大正一一・一〇・一六 旧八・二六 松村真澄録)



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