出口王仁三郎 文献検索

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物語38-2-101922/10舎身活躍丑 思ひ出(一)王仁三郎参照文献検索
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第一〇章 思ひ出(一)〔一〇四七〕

 明治三十四年十月、大本の祭壇が、旧広前の二階にあつた頃の話である。警察署から毎日のやうにやつて来て、宗教として認可を受けなければ布教を許さないと云つて頑張るのである。明治二十二年憲法の発布によつて信教の自由が許されてから、そんな筈はないと理窟を言つて見ても堂しても承知しない。仕舞には巡査を前に張番させると云つたやうな訳で、信者までが嫌つてやつて来ないやうな始末だ。これでは困るから思いきつて皇道会といふ法人組織に改めやうとして、静岡の長沢雄楯と云ふ人の処へ相談に行かうと考へたところが、教祖様は神様に伺はれて、仮令警察から何と云つて来ようと構はぬから、そのままに打捨てて置けと云ふお話であるが、警察の干渉は益々激しくなる一方なので、どうしても打捨てて置くといふ訳には行かなくなつて来た。そこで教祖様へは内密にして、木下(出口)慶太郎を連れて静岡へ出掛けたのである。
 留守中に教祖様はこの事を聞かれて、上田喜三郎(瑞月旧名)の所業は神勅に反く怪しからぬ所業だ、神代の須佐之男尊の御行跡と等しきものだと云つて、弥仙の中腹にある彦火々出見命のお社の内へ岩戸隠れをされてしまつた。
 そんな事とは夢にも知らぬ両人は、静岡で相談をして帰り、京都府へよつて手続をしようとしたのであつたが、印形が一つ足らぬので手続が出来なくなり、止むを得ず木下に命じて印形を取りに綾部へ返し、自分は京都に滞在して布教に従事して居た。
 その頃の大本の幹部は実に混沌たるものであつて、愚直な連中は迷信に陥つてしまひ、野心家はそれを利用して、隙があつたら自分を排斥しやうといふ考へであつた。そしてその野心家の間にもまた絶えず暗闘があつたのである。印形を取りに帰つた木下は梨の礫で一向消息がない。そして待つて居ない信者の連中がやつて来て、京都に沢山ある稲荷下げのやうな交霊術者を一々訪問して、霊力を試して見やうと云ひ出した。仕方がないから片端から廻つてあるいて、沢山な稲荷下げを縛つて歩いた。
 伏見の横内に青柴つゆといふ稲荷下げがゐて、伏見の人から崇拝されて居るといふ噂を聞いてやつて行つた。とても堂々とやつて行つては断られるに極つて居ると考へたから、百姓のやうにして化込んだ。同行者は松井、松浦、田中徳、時田、三牧などと云ふ連中であつた。上田喜三郎といふ者が家出をして行衛が分らぬから、何処に居るか、神様に伺つて戴きたいと云ふと、勿体らしく咳払ひなどして、その人は百両の金子を持出して逐電したのであつて、巽の方角に行つたといふ。それなら一つ金縛りにして戴きたいと云ふと、縛るには七両金が要ると云ふ。それから自分が進み出で、実は病気で困つて居るのであるが、何の病気であるか伺つて頂きたいといふと、短い御幣をトントンと叩いて、これは腹中に大蛇がゐる、住宅の乾の方角に当る倉の処にゐた大蛇が腹中に這入つたのだといふ。住宅の乾には池はあるが倉はありませぬがといふと神に向つて無礼な事を言ふなと、とても御話にならぬ事を言ひ出すから、時田が化の皮を現はして、馬鹿な事を云へ、この人が上田喜三郎の本人だ、病気も何もしてゐない。吾々は新聞の種をとりに来たのであるから、今日の出来事を書面にして事実通り証明せよといつて苛め出した。横内の氏神の祭礼が十月の九日で、祭礼の翌日であつたものだから、御祭りの後の持越しか何かで、村の若者がゴロゴロ集まつて居つた。それが聞付けたからたまらない、お台様の処へ他国の奴がグズリに来て居る、やつ付けてしまへ、淀川の水を飲ませてやれ……などと云つて、岡田良仙といふ坊主上りのゴロツキを呼んで来るやら、巡査が駆付けるやら、大騒ぎになつた。連れの五人はかうなつて見ると、生命が惜しいと見えて、敵方へ付いてしまつて小さくなつてゐる。今から考へると、同伴の五人が敵方へ従いたのが仕合せだつたので、群集は自分と岡田良仙とをスツカリ取り違へてしまつて同伴の五人と良仙とを滅茶々々に殴り付けて、自分を良仙だと思うてどうか此方へ御出で下さいと云つて家の中へ連れて行つてしまつた。自分は何時露顕するか分らず気持が悪いから、コツソリ逃げ出して巡査駐在所へ囲まつて貰つたのであつた。後になつて聞くと、この時大本では神前の大きな水壺や土器が突然破れたり神酒徳利が引繰返つたり、京都の信者の家でも神棚の上の物が落ちたり割れたりして、何事だらうと騒いだそうである。実母は天眼通で多人数で取巻かれ、真ん中に泰然と坐つて居る喜楽の姿を見たから、安心をして居つたそうだ。巡査駐在所を出る時人違の事が解つて、また騒ぎ出したが、巡査が伏見まで送つてくれるし、京都の信者は心配をして、伏見まで迎へに来てくれるし、無事に京都へ着いて西洞院西村栄次郎の家へ落付いた。これで安心と思ふと、今度は五人の連中が承知しない。自分等が敵方へ従いた事は棚へ上げて、散々欧打せられた恨を並べて、霊力があるなら何故数百人の暴行を差止めなかつたか、反対に五人の者をなぐらせたのは四つ足の悪の守護神に相違ない、早く化の皮を現はせ、なぐられた痛い所を治せ、癒されねば切腹をしろ……と云つて逼る。国家のためとあれば何時でも切腹するがここで切腹をするやうな安い生命ぢやないと云ふと、腰抜め、貴様の行ひが悪いから、教祖様が岩戸隠れをされてしまつた。モウ大本へ行く必要がないから、何処へでも行け……と云ふ。それなら仕方がないから他所へ行かうと云へば、他所へ行くなら謝罪せよ、三遍廻つてワンと云へ……などと理不尽な事を云ひ募る。ここは一つ辛抱をする所だと、韓信股くぐりの故事を想つて辛抱した。そして済まぬ事をした、堪へてくれと云つて謝罪まつてやつた。丁度その時京都の侠客いろは幸太郎と云ふのが来合せて、乾児の山田重太郎を付けて送らせてくれたので、無事に綾部へ帰る事が出来た。
 帰つて見ると、荷物は引括つて片付けてしまつてあつて、中村竹蔵や四方平蔵が、……この通り世を紊す四つ足の守護神は居る事はならぬ、出て行け……と云つてまた苛める。さうかうして居ると今度は警察署から教祖様に呼出しが来た、何事だらうと聞いて見ると、教祖様が弥仙山の神社の錠前をちぎつて籠られたのは規則違反だ、罰金を出せといふのであつた。教祖様は弥仙山の社に籠つて、静にお筆先を書いてお出でになつたのであるが、村の者が社前へ来た物音を聞いてヒヨイと顔を出して見られたのである。思ひがけぬ処から白髪の老婆が突然顔を出したのであるから、村人の驚いたのは無理もない事であつて、弥仙山の社内には狒々猿が居ると云ひふらして評判になつた。今でこそ樹木を伐つて明るくなつて居るものの、当時の弥仙山は老樹鬱蒼として昼尚暗き霊山であつた。狒々猿が居るといふ評判が高くなつて、仕舞には村中挙つて狒々退治をしやうといふ事になつた。竹槍を担ぎ出すやら、巡査が加はるやら、神主が来るやら大騒ぎになつた。一同弥仙山へ押寄せて見ると、丁度教祖様の処へ弁当を持つて行く後野市太郎が居合せたので、狒々猿ではないと云ふ事が分つた。皆が教祖様を取囲んで……なぜこんな処へ来て居るか……と云つて問ふと、教祖様は世の中が暗がりだから隠れたのだ……と云つて平然として居られる。皆が口を揃へて、綾部の天理教の馬鹿か、早く出て行けといふと、教祖様は今日はお籠もりしてから一週間目であるから、皆が出るなと云つたつて出る日ぢや、序に上杉まで送つてくれ……と云つて済まし込んで居られる。
 自分が上杉へ行つて、駐在所に行くと、教祖様を訊問所へ入れやうとして居る所であつた。訊問所へは自分が這入るから、教祖様は御入れしないで置いてくれと云つて、それから訊問を受けた。何故女人禁制の場所へ女人が這入つたか……と問ふから、明治四年の布達によつて結界は解けて居るのに、女人禁制とは何事かと反対に突込んでやつたので、一言も出ない、さうすると今度は他人が管理して居る建造物内に錠を破つて這入るのは違法だと思はぬか……といふ問で、これには一寸困つたが、神社法令の中に信仰により立入るものはこの限りにあらずとあるから、差支ない筈だと出鱈目を云つた。手許には神社法令がないから調べる事が出来ぬので、無事に帰らしてくれた。しかし教祖は前以て神主に頼み、神主は内々で此処に籠らしてゐたのであつた。
 教祖様の弥仙山籠りの騒ぎはこれで無事に済んだのであるが、済まぬのは幹部連中の腹の中だ。自分の所業は一々腑に落かねる所から、これは小松林といふ四足の悪の守護神の所業だといつて、頻りにその悪の守護神を罵るのである。それなら一層喜楽を追ひ出してくれればよいのであるが、喜楽の肉体は教祖様のお筆先によつて、神業のため居らねばならぬ肉体になつて居るので追ひ出す事も出来ず、自分の一つの身体を二様に見て居るのであるから、たまつたものでない。とうとう六畳敷の一室に入れられて、一挙一動を監視されるやうになつた。自分の傍へ来る時は塩をふつてやつて来るから、お前等の肉体が汚れて居るから塩をふつて清めて近づくのかなどと云つて戯談を云つてやると真赤になつて怒つて居る。福島久子サンなどは、
久子『先生どうして改心が出来ませぬか、さういふ御心得だから、教祖様が岩戸隠れなどをされるのだ。早く改心をして下さい……』
などと熱心に云つて来る。教祖様の岩戸隠れなども、年寄の吾儘だから仕方がない……と答へて、何のかのと面倒だから、腹が痛いと云ふと……それ見なさい、改心をしないから、腹が痛むのだといふ。
喜楽『よし腹の痛いのは改心をしない証拠か、それなら証拠を見せてやる』
と云つて鎮魂をすると、久子サンが俄かに腹痛を起して、痛い痛いといつて大苦しみに苦しむで、五日間も呻吟した。教祖さまが『早く先生に謝罪せよ』と云はれたものだから、四方平蔵が謝罪に来た。
喜楽『いや代人では無効だから本人をよこせ』
と云つてやつたので、とうとう久子サンが謝罪に来た事もあつた。さうすると幹部の連中がまたやつて来て、
『先生は何といふ悪い事をする人であるか、これはどうしても悪魔だ、術を見せろ、裸になつて見せろ』
と云ふ。五月蠅いから近寄つて来る中村竹蔵をウンと睨んでやると、また腹痛を起して……痛い痛いと云つて苦み出した。こう云つたやうな次第で、……会長(瑞月)は悪魔だ、会長のいふ事を聞くな……と云つて、幹部の連中が切りに方々へ云ひふらして歩行いたものである。

(大正一一・一〇・一六 旧八・二六 松村真澄録)



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