出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-4-211922/10舎身活躍子 参綾王仁三郎参照文献検索
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第二一章 参綾〔一〇三三〕

 旧六月の暑い最中であつた。老祖母や修業者に無理に別れを告げて、ただ一人穴太を離れ北へ北へと進み行く。道程殆ど二里ばかり来た処に、南桑田、船井郡の境界の標が立つて居る。其処には大井川の清流をひいた、有名なる虎天関と云ふのがある。虎天関の傍に枝振りよき並木を眺めて小さき茶店が建つて居た。喜楽は何気なくその茶店に立寄つて休息をして居た。
 三十あまりのボツテリと肥えた妻君が現はれて渋茶を汲んでくれた。さうして喜楽の異様な姿を眺めて、
女『貴方は神様の御用をなさる方ぢやございませぬか』
と云ふ。喜楽は即座に、
喜楽『私は神様の審神をする者でございます。随分其処ら中の教会を調べて見ましたが、狐や狸のお台サンばつかりでした。アハヽヽヽ』
と手もなく笑つて居る。この女は畳みかけたやうに、
女『モシ先生、私が一つ頼みたい事があります。私の母は今綾部に居りますが、元は金光様を信神して居ましたが、俄に艮の金神さまがお憑りなさつて沢山の人が御神徳を頂き、金光教会の先生が世話をして居られますが、母に憑つた神様のおつしやるには、私の身上を分けてくれる者は東から出て来る。その御方さへ見えたならば出口直の身上は判つてくるとおつしやいましたので、私等夫婦は態とこの道端に茶店を開いて往来の人さまに休んで貰ひ、母の言つたお方を探して居りました。大方貴方の事かと思はれてなりませぬ。どうぞ一度母の身上を調べてやつて下さらぬか。これが母の神様がお書になつたお筆先でございます』
と出して来たのが、バラバラの一枚書きの筆先であつた。
 喜楽はこの筆先を見て、高熊山の修業の中において霊眼にて見聞したる事のある部分に符合せるに驚き、婦人の依頼を受けて近々に上綾する事を約し、園部の広田屋と云ふ旅館に落着き、あちらこちらと知己を訪問して霊学の宣伝に従事しつつあつた。
 旧八月二十三日、初めて綾部裏町の教祖の宅を訪問し、二三日滞在して居た。しかるに金光教の教会の受持教師なる足立正信を始め、世話係の中村竹造、村上清次郎、西村文右衛門等に、極力反対運動をされ、時機未だ至らずとして教祖に暇を告げ、綾部の地を去つて園部村の字黒田、西田卯之助の座敷を借つて神の道を宣伝しつつあつた。種々の神憑りに関する面白き話はこの地方においても沢山目撃したり遭遇したる事あれども、岐路に入る虞ある故此処には省略して置く。園部の上本町に奥村徳次郎と云ふ熱心な信者があつた。あまり沢山な信者が喜楽を訪ねて来るので、園部町の有志は信仰はともかく土地繁栄の一策として園部の公園内に立派なる布教所を建設し、喜楽を、此処に永住せしめむと、土地の有志が東西に奔走し、話も大方纏まつて居る所へ、綾部から出口教祖のお使として、四方平蔵氏が遥々訪ねて来た。
 その時喜楽は園部川の大橋の下流で漁遊びをして居た。其処へ平蔵氏がやつて来て、河の堤から、
平蔵『モシモシ、上田さまはこの辺に居られませぬか、只今黒田のお宅へ参りましたら、園部の河原へ魚取りに行かれたとの話故、この川縁を伝うて此処迄来ました』
と云つて居る。喜楽は川の中から、
喜楽『ハイ、上田は私です。貴方は先頃手紙をくれた綾部の四方サンですか。綾部はもう懲々しましたから行くのは止めますわ。今面白い最中だから、モチツと魚をとつて帰りますから、日の暮に来て下さい』
と云へば四方氏は堤の上から、
平蔵『そんなら仕方がありませぬ。私は園部の扇屋で今晩泊りますから、またお訪ね致します』
と云ひながら、四方氏は大橋を渡つて扇屋をさして行つてしまつた。喜楽は漁を終り、黒田の宅へ帰り着物を着換へ、園部の扇屋に四方氏を訪ねて見た。さうして今度は足立、中村その他の役員には極内々で、教祖と自分とが相談の上、喜楽を迎へに来た事が分つた。こうなると自分も敵の中へ飛込むやうなものである。余程の覚悟をせなくてはならぬと思ひながら、早速綾部へ行く事を承諾し、往復八里の夜の道を穴太へ帰り、老祖母や母に愈綾部に行く事を云ひ、産土の大神に祈願をこらし、夜の明くる前漸く園部の扇屋へ帰つて来た。されど四方氏は喜楽が穴太へ帰つて来た事はチツとも分らなかつた。
 それより四方氏と共に黒田の宅へ帰り、種々と支度をなし、五時頃から黒田を立ち出で、漸くにして檜山まで着いた。日はズツポリと暮れて来た。少し目の悪い四方氏は最早歩く事が出来なくなつて来た。止むを得ず樽屋と云ふ宿屋へ投宿した。忽ち大雨降り来り、雷鳴さへも轟いて実に物凄き天地となつて来た。樽屋の裏の離座敷を与へられ、喜楽と四方氏は四方山の話に耽りながら、夜の一時頃になつて漸く寝に就いた。朝の四時頃に四方氏は目を覚まし早くも天津祝詞を奏上して居た。喜楽はその声に目を覚まし、慌て起き出で見れば、相変らず車軸を流すやうな大雨である。四方氏は、
四方『先生、お目覚めですか。早うから八釜しく申しましてお目を覚まして済みませぬ。昨夜は何とはなしに気が欣々しまして一睡も出来ませなんだ。神様が大変にお勇みだと見えます。しかしながら昨夜から引き続いて偉い大雨です。これでも止みませうかな』
と心配相に尋ねる。喜楽は一寸目を塞ぎ伺つて見て、
喜楽『九時になればカラリと晴れます。それまで、マアゆつくり話を承りませう。貴方は綾部から来たといはれましたが、お宅は大変な山家のやうに思ひますが違ひますか。家の裏に綺麗な水が湧いた溜池があり、前は一尺ばかりまはつた枝振りの面白き松の樹がある。さうして少し右前の方の街道に沿うて小屋のやうなものがあり、其処に菓子なんかの店が出してあり、六十位のお婆アサンが見えますが違ひますか』
と尋ねて見た。四方氏は吃驚して、
四方『ハイ、その通りです。そんな事までよく見えますか。あんたは、さうすると稲荷でも使ふて居られるのですか』
と不思議相に顔を覗く。喜楽は首を振り、
喜楽『イエイエ、そんな事はありませぬ。霊学の一部、天眼通で見たのです。誰でも真心にさへなれば、天眼通位は直に判るやうになりますよ』
四方『アヽそれで安心しました。私は金光教の古い信者でございましたが、こんな処から五里も六里もある処が見えるやうなものは、狐か狸だと金光教の先生が云ひました。モシ先生が綾部へ行つて、そんな事でもなさらうものならサツパリ狐使ひだと云つて、ボツ帰されてしまひますから、綾部へ御いでになつたら、その魔法だけはしばらくやらぬやうにして下さい。疑を受けては貴方の御迷惑ですからなア』
喜楽『そんな分らぬ奴ばかり居る所なら、もう私は御免蒙つてこれから帰りますワ』
四方『そんな短気を出さずにともかく教祖様の御内命で来たのですから、一度綾部を見ると思ふて来て下さい。この頃は和知川の鮎が沢山にとれますから、鮎食ひに行くと思うて、マアマアともかく一遍来て下さい。私も今此処で先生に帰られては教祖様に対し申訳がございませぬ』
喜楽『第一貴方に霊学を諒解して貰ふておかなくてはなりませぬから、狐を使ふか、使はぬかと云ふ事を一遍此処で実地を見せませう。さうして貴方に承知が行つたら行く事にしませう。そんな処まで鮎食ひに行かなくても園部で沢山ですから……』
四方『私のやうな素人にでも、そんな天眼通が行へますだらうか』
喜楽『マア其処に坐つて目を塞ぎ、両手を組んで見なさい』
四方『そんなら頼みます』
と四方氏は素直に座敷の真中に正座し、手を組み目を塞いだ。喜楽は、
喜楽『サアこれから四方サン、天眼通を授けます。今私が……ソレ見い……と云つたが最後、何かの姿が映りますから、それを話して御覧……』
四方『ハイ……』
と云ひながら、一生懸命に目を塞ぎ早くも霊感者になつて、少し鼻息を荒くし体をピリピリと慄はせて居る。喜楽は、
『それ見い!』
と大喝一声した。
四方『ハイ、見えました。小さい古き藁葺の家が一軒、前横の方にまた一つ汚い家があつて、其処に美しい水の湧いた池があります。さうして裏の方には榧の木や、椋の大木が見えます。細い綺麗な河が道の下を流れて居ます』
喜楽『アヽそれで愈天眼通が開けました。それは私の生れた家ですよ。もうよろしい』
と云へば、四方氏は組んだ手を離し目を開き、
四方『何とマア、結構な神様ですな。イヤもう感心致しました。流石教祖様も偉いわい。多勢の役員や信者に隠れてお迎へして来いとおつしやつただけの価値があります。こんな事が分れば、三千世界一度に見え透くとおつしやる神様の御用が充分に勤まりませう』
と無性矢鱈に喜んで居る。それから病気の伺ひや天眼通の試験を色々として、四方氏に先づ霊学の尊い事を悟つて貰ひ、朝飯を食ひ愈これから出立しようとする時、さしもの大雨もピタリと止まり、ガンガンと日本晴れの空に太陽が照り輝き出した。四方氏は、
四方『ヤア、おつしやつた通り九時になつたらカラリと霽れました。ほんに霊学と云ふものは結構なものですな。これから綾部へ帰りましたら、金光教の先生や役員どもが愚図々々云ふと面倒でございますから、ソツと裏町の教祖さまの宅へ参りませう』
と云ひながら六里の山坂を越えてその日の午後四時頃、漸くにして裏町の教祖の宅へ安着した。
 誰が喋つたのか早くも信者の四方与平、黒田清子、四方すみ子、塩見じゆん子を始め七八人の信者が集まつて来て、
『平蔵サン、結構な御神徳を頂きなさつた。よい先生を迎へて来て下さいました』
などと喜び勇み、金光教の旧信者へ通知に各自廻つてしまつた。この勢に足立正信氏は吃驚して中村竹造を裏町へ遣はし、色々と水をさし妨害を加へた。されど出口教祖を始め、四方平蔵氏の勢があんまり猛烈なので、到頭中村竹造も我を折り教祖の命に服従してしまつた。
 四方源之助、西岡弥吉、西村文右衛門、村上清次郎、西村庄太郎、四方伊左衛門等と云ふ世話係は裏町の宅へ集まり来たり、平蔵氏と教祖の説明によつて非常に共鳴し、艮金神様の金の字をとり、日の大神様、月の大神様の月日を合せて金明会と云ふ団体を組織し、信者は日に夜に遠近より集まり来り、裏町の狭い倉の中では身動きもならぬやうになつたので、本町の中村竹造の本宅へ金明会を移してしまつた。四方氏は得意の天眼通を振りまはし神占をしたり、病気平癒を祈つたりして非常な人気である。ただの一回位、霊学を教へて貰ふて、四方平蔵サンはあれだけ御神徳を貰ふたのだから、修行さへしたら誰でも神徳が頂けるだらうと、幽斎修行の希望者が瞬く内に二十人あまりも出来て来た。喜楽は向側の西村庄兵衛と云ふ信者の裏の離家を借つて其処に寝泊りをしたり、世話方に色々と神の話を聞かして居た。金光教会の足立正信氏は最早策の施すべき所なく、村上清次郎、中村竹造、四方すみ、塩見じゆん、黒田清などの宅を訪問して、いろいろの反対運動を試みたけれども、到底効を奏する事が出来なくなつて来た。
 教祖は足立氏の境遇を気の毒に思ひ、小遣銭や米等を贈つて金光教を脱退し、教祖の教に従へと信者を交る交る遣はして勧められた。けれども足立氏は頑固として応ぜず、陰に陽に反対の気勢を挙げ、
足立『上田と云ふ狐使ひをこんな処へ引張つて来て、山子を始め出したから騙されないやうにせよ』
と中村竹造や村上房之助等を遠近の信者の宅に遣はし、色々と非難攻撃を始めた。中村は自分の家を金明会へ貸しておきながら、足立の命令に従つて反対運動を昼夜の区別なくやつて居た。しかしながら時の勢には抗すべくもあらず、一人も信者が行かなくなり、手も足もまはらぬ破目に足立氏は陥つてしまつた。そこで止むを得ず足立氏は我を折つて、
足立『どうぞ改心するから金明会へ使つて下さい』
と頼みに来た。金明会の役員連は速に協議会を開いた結果、
『足立正信氏は信者の受けも悪し、○○や○○と醜関係をつけ、神の名を汚して居るから、この際絶対に金明会へ這入る事は謝絶するがよい』
と云ふ事に協議が纏まつてしまつた。足立氏が尾を振つて来たのは、心の裡から金明会へ心従して居るのではない。老母や子供が忽ち糊口に窮する処から、一時の窮策として表面心従したと見せかけ時機を見て金明会を転覆させ、喜楽先生を放り出す計略なる事は、今迄の足立氏の行動に徴して明白だから、今度の好い機会を幸ひに一切の関係を絶つ方が上分別だと、今まで同氏の熱心な教養をうけたものさへ、極力排斥を主張するやうになつて来た。喜楽は足立氏の境遇を憐れみ、且また今迄金光教を信じて居た役員や信者の人情の浮薄冷酷なるに呆れ果て、
『今日は人の身の上、明日は吾が身の上と云ふ事がある。こんな薄情な人間の処へ居つては到底駄目だ。自分さへ此処を立ち去つたならば足立氏親子の困難は除かれるだらう。世人の困難を救ふべき神の取次が人を困らせてはならない』
と思つたから、四方氏を始め重なる役員に向ひ、
上田『私が此処へ来たために、足立氏親子が困難を来すべき結果を生じたのだから、私は同氏に対して済まないから今日から帰ります。どうぞ足立氏と仲良うして神様の御用をして下さい』
と申し込んだ。そこで数多の役員は大に狼狽し、鳩首謀議の結果、
『足立氏の処置に就いては上田先生に一任しますから、是非とも教祖様の側に居て、大本の宣伝に力を尽して下され』
と異口同音に頼み込む。
 そこで喜楽は足立氏を金明会の副会長に任じ、金明会の名の許に仲良く神務に奉仕する事となつた。出口教祖も足立氏の身の上につき心密かに非常な心痛をして居られたが、喜楽の同情ある処置に対し、非常に安心をしたと云つて感謝せられた。足立氏は大変に喜び、役員信者も喜楽の赤誠に感じ、直に今迄の態度を改め、教祖に次いで喜楽を師匠と尊敬し出した。一時は大争乱が勃発しさうの模様のあつた金光教対金明会も、茲に円満な解決が出来て、双方とも心持克く勇んで和合の裡に神様の御用に尽す事を得たのである。

(大正一一・一〇・一二 旧八・二二 北村隆光録)



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