出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-3-181922/10舎身活躍子 奥野操王仁三郎参照文献検索
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第一八章 奥野操〔一〇三〇〕

 一旦斎藤宇一の座敷から、退却を命ぜられた修業場は、またもや爺の機嫌が直つて、再修行場に、二間続きの奥座敷を給与された。その時は多田琴、石田小末、上田幸吉などが最も面白き神懸りであり、いろいろの珍しき神術をして見せた。多田琴が両手を組み審神者となり、石田小末が神主となり、
『サア地震だ』
といへば、俄に家がガタガタとふるひ出し、ゴーゴーと唸り声が聞えて来る。けれ共地震はこの家限りで、門口を出ると最早何の事もなかつた、大勢の者はその不可思議な神力に肝を潰し、舌を巻いてゐた。多田琴が、
多田『われは巴御前だ、オイ家来の者、皆サンにお茶を注げ』
と命ずると、戸棚からガチヤガチヤと音がして茶碗が人の数だけ宙をたつて、二人の前に出て来る。多田は、
多田『皆サンの前へ、一つづつ配れ』
と厳命すると、何も居らぬのに、茶碗が畳の上五六寸の所を通つて、各自の膝の前にチヤンと据はる、据はつた時どれもこれも茶碗が二三遍キリキリと舞うてゐるのが不思議である。
多田『サアお茶をつげ』
と多田琴が命令すると、石田小末は手で土瓶を持つて、茶を注ぐ真似をする。さうすると、火鉢にかかつてゐた土瓶が勝手に、宙をブラブラやつて来て、誰かが持つて茶を注ぐやうに、八分ばかり、各次ぎ次ぎに注いでまはる。始めの中は喜楽の霊学は偉い者だとほめて居たが、ソロソロ魔法使、飯綱使と口を極めて罵り出した。それにも構はず霊をかけて火鉢を動かしたり、机を二三尺ばかりも宙に上げたり、土瓶を廻らしたりして、日夜研究に没頭してゐた。この時位面白くて得意な事はなかつた。多田琴に憑つた巴御前と自称する霊は喜楽に向つて曰ふ。
多田『この通り色々の霊術を、神が守護致してさしてやるのだから、これから一座を組んで、京大阪へ飛出し、奇術師となつて、ドツサリ金を儲け、それを資本として大きな神殿を造り本部を建てようだないか』
と勧めるのであつた。喜楽は神様の道に、そんな馬鹿な事をしては却て神の道を汚すだらうと思つて、躊躇して居ると、石田小末の憑霊がまたもや発動して、
小末『サアこれから宙を歩いて見せる、何ンでもかンでも御望み次第ぢや、こんな結構な神術があるのに、丹波の山奥に隠しておくのは勿体ない、京大阪へ出て、天晴れ神術をして見せたら、それこそ一遍に神様の御神徳が分つて、お道が開けるだらう。サア早く決心なされ』
と多田と小末の二人の神懸が両方からつめかける。山子好きの元市親子は喉をならして喜び、
『サアこれが神様の御神徳だ。天眼通から天耳通、天言通、それにこんな神術、これを見せたら、いかな理屈の強い男でも、往生せずには居られまい。金儲けをしもつて、神様のお道が広まるのだ、エヘヽヽヽ、こんな結構な事が世にあらうか』
と乗気になつて居る。岩森とく、斎藤高子までが色々の不思議な神術を習得して同意し出した。喜楽の心では、……そんな所へ出て、芸をして見せるのは、何だか恥しくて堪らない、乍併それで神様の道が開けるのならば、強ち止める訳にも行くまい。何事も神懸に任して、思ひ切つて京大阪へ一興行やりに行かうか……と決心し、産土神社へ参つて、伺つてみた。さうするとまたもや自分の腹から塊が二つ三つゴロゴロと喉のあたりまで舞ひ上り、
『バカ バカ バカツ』
と呶鳴りつけた。喜楽は止めるのが馬鹿か、興行に出るのが馬鹿か、どちらでござります………と問ひ返して見ると、また腹の中から、
『その判断がつかぬ奴は尚馬鹿だ』
と呶鳴られた。喜楽は、
『そんなら多数決によつて、神懸や元市サンの云ふ通りに致します』
と言つてみれば、またもや腹の中から、
『やるならやれ、兇党界に落してやるぞよ』
と呶鳴りつけられ、とうとう霊学興行は思ひ切る事にしてしまつた。
 例の如く修業場で幽斎を始めて居ると、多田琴の容貌が俄に獰悪となつて来た。そしてはじけわれるやうな声で、
『アラ アラ アラ』
と呶鳴り出し、撃剣家が竹刀をふり上げて立合ふやうな素振りをして居る。審神者の喜楽は、
『鎮まれ!』
と一言言霊を発射した。多田はその一言に元の座に行儀よく坐り、組んだ手を離して、昔の武士が、腰の刀を抜くやうな素振をなし、
『これを見よ』
と審神者の前に手をつき出す、審神者は目をつぶつたまま、これを見れば短刀の根元に、白紙が巻いてあるのをつき出してるやうに見える。そしてこの短刀を持つた男は、年は四十前後の稍赤みがかつた細だちの品のよい男である。多田は口を切つて云ふ、
多田『某は園部の藩主小出公の指南番奥野操といふ者でござつたが、同役のそねみによつて、讒言をせられ、園部を追ひ出され、亀山に参り、松平公の指南番となり、勤めてゐた所、十八歳の殿様の妹娘に惚れられて、遂に同役よりまたもや讒言をせられ、無念の涙を呑んで、丁度八十年以前の今晩、切腹を致して相果てた武士でござる。この短刀を見られよ、血汐が附いてをらうがなア』
と呶鳴り立てた。
喜楽『ここは神様のお憑り遊ばすための修行場であれば、人霊などの来るべき所ではない。早く立去つたがよからう』
ときめつけた。憑霊は首を左右に振り、
『苟くも天下の豪傑、武道の指南番に向つて、無礼千万なその言ひ条了見致さぬぞ』
と言ひながら、ツと立上り、
『ヤア ヤア』
と声をかけ、喜楽の頭の上を前後左右に飛び廻り、時々頭を蹴つて、騒ぎまはり、何程鎮魂をしても、荒くなるばかりで、少しも鎮まらない。喜楽も殆ど持てあまし、この場をぬけ出し、再産土の社へかけつけて、祈願をこらして居た。そこへ石田小末が走つて来て、
小末『モシ先生、鎮まりました。操と云ふ武士が先生に一つ御頼みがあるから、早く帰つて欲しいと頼んで居ります。どうぞ帰つて下さいませ』
と叮嚀に頭を下げて頼んで居る。喜楽は、
喜楽『ヤアもう鎮まつたか、そりや有難い、産土様の御蔭だ』
と云ひながら、社前に感謝し、直に元市の宅へ帰つて行く。
 帰つて見れば多田琴は厳然として坐りこみ、
多田『アイヤ上田氏、某は最前申せし如く、亀山公の指南番奥野操と申す者でござる。女房もなければ子もなし、また身内もなき故に後弔ひくれるものもなく、宙に迷うて居りまする。就いては自分の家に出入を致して居つた家来の子孫が内丸町に紙屑屋を致して居る。これは西尾と申す者なれば、よく査べて下され、戒名は何々と記し西尾の宅と西町の某寺に祀つてある。先づ第一に虚実を調べた上、この方の霊を御祀り下さらば、某は神の座に直り、その方が神業を保護いたし、日本国中は申すに及ばず、世界の隅々に致るまで十年ならずして名を轟かして見せるでござらう。猶も疑はしくば、亀岡古世裏の墓地へ往つて調べて下され。入口から右に当つて三つ目の石塔が、拙者の石塔でござる。性念のある印には、上田氏が石塔の前に立たれたならば自然に動くによつて、それを証拠に御祀り下され。武士が百姓の伜に頭を下げてお願申す』
と威丈高になつて構へてゐる。これより喜楽は宇一その他二三の修業者を引つれ西町の某寺を調べ、紙屑屋の西尾の宅へ行つて聞いて見たが、操と云ふ名はハツキリ分らぬが、某々院殿某々居士と云ふ事だけは的中して居た。全く操の霊に間違ないと、勇んで古世裏の墓地へ往つて見た。所が墓地全体の様子が亡霊のいつた通り寸分の間違もなく、右の三つ目の石碑には苔がたまつて、ハツキリとは分らぬが、どうも似た字が現はれてゐる。石塔がモウ動くかモウ動くかと待つ事殆ど一時間ばかり、されど依然としてビクとも動かない。ハテ不思議と、不思議でもない事を、不思議がつて瞑目し、霊眼で調べて見ると、石塔の裏に大きな古狸が目をむいてゐるのが目についた。
『おのれド狸奴が、人を馬鹿にしやがつた、これから帰つて多田琴の審神を厳重にしてやらう』
と思ひながら、スタスタと穴太の修業場へ帰つて来た。その時既に日は暮れて居た、修業場には薄暗いランプが一つ、点つてその向ふに多田琴と石田が四角張つて、厳然と控えて居る。自分等の姿を見るより、
『ヤア上田殿、大儀々々よくこそお調べ下さつた。この方の申す事に間違はござらうまいがなア、早く某の霊をお祀り下され。ヤア元市どの、その外の面々、いかい御苦労でござつた、アツハヽヽヽ』
と豪傑笑ひをなし、肩を二人一時に揺すつてゐる。
喜楽『コリヤ多田に憑つてゐる古狸奴、小末にうつつてる狸の子分奴、この審神者を馬鹿にしやがつたな、サアもう了見ならぬ。これから霊縛をかけて縛めてやるから覚悟を致せ』
 多田の憑神は一層大きく肩をゆすりて大口をあけ、
『アハヽヽヽ、イヒヽヽヽ』
と笑ひながら横にゴロンとこけてしまつた。喜楽は両手を組み、一生懸命にウンウンと霊縛をかけた。石田はウンの声と共にゴロリと倒れた。それと引替へに多田の肉体はムクリと起き上り、ドンドンドンと餅つくやうに二十貫の体を二尺ばかり上げ下げして、座敷中を飛び廻る。喜楽は一生懸命になつて、
喜楽『どうぞお静まりを願ひます』
と頭を下げて優しく出た。憑神は大口あけて、
『アハヽヽヽおれは小松林様に頼まれて、貴様達に審神者の修業をさせてやつたのだ。実の所は松岡だ。ようだまされたのう、石塔の裏で狸を見た時は、随分妙な顔だつたのう。ホツホヽヽヽ、アハヽヽヽ』
とまた腹を抱へて笑ひこける。
 俄に室内が死人臭くなつて来た。……あゝ臭い臭いと各自に鼻をつまんでゐると、どこともなしに坊主のお経が聞えて来るかと思へば厭らしい声で巡礼歌が聞える、チンドン、ジヤブリンと云ふ葬礼の行列が耳に入る。此奴ア怪しいと手を組み目を塞ぎ、霊眼をてらせば、幾十とも知れぬ亡者が各自に笠と杖を手に持ち、乞食坊主の後について、障子の細い穴からくぐつて這入つて来るのが目についた。そして一番先に出て来る亡者の顔が、隣のお紋と云ふ娘の顔にソツクリである。喜楽は思はず知らず、
喜楽『ヤアお紋サン』
と叫んだ。されど何の答もなしに座敷へドカドカと亡者が重なり来り、遂には何百とも知れず重なり合うて、こちらを向いて睨んでゐる。斎藤高子、岩森徳子の二人の神憑はコワイコワイと叫びながら、喜楽の体に喰ひついて震ひ泣いてゐる。
 何とも知れぬ不快の臭が室内に充ち、ランプの光は自然に細つてそこら中が薄暗くなつて来た。それから蝋燭を四五本も灯してみたが、どれもこれも火が小さくなつて消えてしまふ。仕方がないから、東側の細溝の清水で体を清め、胴を据えて、天津祝詞を一生懸命に奏上しかけた。怪しき亡者の影は一人減り二人減り、とうとうまた元の障子の細い破れ穴から逃げ去つてしまつた。かかる所へお紋の母親お初といふ婆アサンが、慌ただしくやつて来て、
お初『モシモシ喜楽サン、最前から俄にお紋が病気になつて囈言ばかりいつてゐます、そして喜楽サンどうぞこらへて下さいと、幾度となく繰返して居りますから、どうぞ、どんな悪い事をしたか知らぬが、まだ年の行かぬ子供の事だから、カニーしてやつて下され。大変な熱で、臭うて側へもよりつけませぬ』
と言ひながら、泣いて居る。喜楽はこれを聞くより隣のお紋サンの家に行き見れば、お初婆アサンの云つた通り、熱臭く不快な臭が漂ひ娘はウンウンと唸つて居る。丁度元市の修業場で嗅いだ臭とソツクリであつた。そこでまたもや天津祝詞を声高らかに奏上し、鎮魂を施せば、お紋サンは夢中になつて、
『のきます のきます』
と云ひながら、寝所から立上り、二足三足門口の方へ歩き出し、バタリとその場に倒れてしまつた。それと同時に病気はスツカリ治つてしまつたのである。
 この事があつてから、次郎松は、いよいよ喜楽は飯綱使だと口を極めて罵り、曽我部の村中を、御苦労にも仕事を休んでまでふれて歩いた奇篤な人間である。あゝ惟神霊幸倍坐世。

(大正一一・一〇・一〇 旧八・二〇 松村真澄録)



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