出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-3-171922/10舎身活躍子 狐の尾王仁三郎参照文献検索
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第一七章 狐の尾〔一〇二九〕

 しばらくあつて御台サンと称する高島ふみ子は、総務格兼良人なる杉山氏と共に帰つて来た。服部と云ふ爺は驚いて、俄に徳利を股にかくす。杉山は喜楽の姿を見て、嬉し相に笑ひ、笑顔を作り、
杉山『あゝ喜楽サン、よう来て下さいました。今日はあなたに一席の講演を願はねばなりませぬ。御存じの通り信者が沢山殖えまして、何時までもこんな不便な家を借つて居る訳にも行きませぬ。どつかに新築をしたいと思ひますがそれに就いては一寸三千円ばかり必要なので、今寄附帳を拵へて、各自に手分けをなし、世話方が寄附金募集に歩かうと相談の纏まつた所でございます。就いては私が教会建築の話をするのも何だか面白くありませぬから、一つあなたが私に代つて演壇に立つて下さいますまいかなア』
と云ふ。喜楽はその時はまだ二十六歳、父の病気が治して欲しさに信仰をして居つたのだから、神様の事なら何でもいとはぬと云ふ気になつて居た。そこで直に承諾の旨を告げ、教会の仕様書や設計などを見せて貰ひ、祭典がすめば一場の演説を試みようと心ひそかに腹案を作つてゐた。高島ふみ子、杉山の両人は非常に喜び、丁重な料理を取よせて、奥の間で饗応してくれた。服部は真赤な顔をし、フーフーと苦しさうな息をしながら、高島の前にやつて来て、
服部『今世話方衆が見えました。やがて信者も追々集まりませうから、世話方にそれまで酒を呑んで貰ひませうか』
 高島は小声で、
高島『世話方なんと云つた所で、いつも出て来て酒をのむばかりで何にもなりやしない』
と云つたのを、服部は聞きかじつて、巻舌になりながら、
服部『ナヽ何がイヽ稲荷のお台サン、キヽ狐サン、役に立たぬのだ。朝から晩までおめし給銀でこき使はれて居るのだから、たまたま一升位酒を飲んだつて、ゴテゴテ言ひなさるな』
高島『コレ服部サン、ソリヤ何を言つてゐなさるのだ。早う御世話方にお酒でも出して叮嚀にあしらうて下さい』
服部『今日は神様の一年に一度の春季大祭だから、私が神さまの御神酒を頂いた位で、ゴテゴテ言ひはしませぬだらうな。実の所は学校の小使に使うてやらうと云ふ人があるのだけれど、お前サンが怒つて、狐でも使ふてあたんでもすると困るから、そんな事アおけと友達が言ふてくれるので、辛抱して居るのだが、今日はモウ喜楽サンが来て居るのだから、狐の尾だけはやめなさいや』
と言ひながら、ヒヨロリ ヒヨロリと玄関口の方へ走つて行く。
 いよいよ午後の三時過になると、ボツボツと参詣人が集つて来て、牡丹餅や菓子、米、包み物、小豆、豆など沢山に供へられ、いよいよ午後四時を期して祝詞が始まり、神殿の前で護摩をたき始めた。五寸ばかりに切つて割つた木切れに、一々姓名や年齢を書き記し、それを高くつんで、大きな鍋の中で、火をつけてもやす、その上には幣が切つてぶら下つてゐる。杉山を始め服部その他沢山の世話方は、お鍋で作つた火鉢のぐるりから、祝詞を一生懸命に称へる。火はポーポーと音を立ててもえる。アワヤ上に吊つた御幣に火が燃えつかうとすると、水の垂るやうな榊をポツとくべて火を防ぐ、また燃上らうとすると榊の葉をくべる、それでも火はだんだんと烈しくなつてくる。高島ふみ子は例の神憑りになり、羽織のあひからチヨロチヨロと赤い色の狐の尻尾を見せながら、御幣をふつて、烈しく燃え上がる火の中へ突き出し、上から吊つた御幣に延焼せむとするのを防ぎつつ、その幣をまたもや信者の頭の上に左右左とふる。すみからすみまで、百四五十人の頭の上を一つ一つ御幣でしばいてまはる、護摩の火はだんだん高くなり、アワヤ吊り下たフサフサとした御幣に燃え移らうとする危険に迫ると、四五人の世話方が一割大きな声で、シヤクルやうに祝詞を上げる、それを合図に高島ふみ子は榊の青葉に括りつけた御幣を、あわてて火と吊幣との間にグツとつき出し延焼を防ぐその巧妙さ。喜楽は高島ふみ子の尻からチヨロチヨロ見えて居る狐の尻尾をグツと握ると、ふみ子は驚いて『シユーシユー』と云ひながら芋虫を弄ふたやうな体裁でプリンと尻を一方へふり、御幣をプイプイと振り廻しまた向ふの方へ払ひもつて行く。かくの如くして祭典は無事に終了を告げた。服部爺サンの言つた狐の尾も万更ウソでない事を悟つた。可笑しいやら馬鹿らしいやら、俄に信仰がさめてしまひ、それから三十一年の二月、廿八歳になるまで、神様に手を合すのがいやになり、極端な無神論者になつてしまつたのである。
 祭典は無事に済んだ。杉山某から御馳走まで拵へて頼まれた演説もこの尻尾を見てから何となく気乗がせず、折角拵へておいた腹案もどつかへ消えてしまひ、申し訳的に十分間ほど取とめもない、支離滅裂な演説をやつてのけた。それでも不思議な事には、杉山を始め世話方信者は手を叩いて、非常に感服してゐる様子であつた。何も訳の分らぬ婆嬶の迷信連に向つて、自分でさへも訳の分らぬ事を云つたのに、余り反対も受けず、却て拍手を以て迎へられたのは合点のいかぬ事であつた。訳の分らぬ人間に対しては、ヤツパリ分らぬ事を云ふて聞かすのが、よく耳に這入るものだなアと、自ら感心せざるを得なかつた。
 祭典は無事に済み、お台サンのおふみサンの言ひ付けで馬路村の或る中川と云ふ信者から、子が無事に生れたお礼だと云つて、御供へした沢山の牡丹餅を百四五十人の信者に二つづつ配つて廻つた。そしておふみサンの言草が面白い。
『皆サン中川サンの奥サンは、御妊娠をなさつてから、十二ケ月になるのに、子が出ませぬので、この大神様にお参りになり、お伺ひ遊ばした所、この人は懐妊になつてから、牛の綱を跨げたから、その罰で牛の子が宿つたので、十二ケ月も腹に居らはつたのです。神様の御言葉では、このまま放つといたら牛の子が生れるによつて、信仰をせよとおつしやりました。それから中川サン御夫婦は二里もある所を代る代る御参拝になつて、とうとう立派な人間の男の子がお生れになつたので、今日はお祭を幸ひに、牡丹餅をお供へになつたのでございます。皆サンあやかつて下さいませ。神様は信心さへ強うすればどんな事でも聞いて下はります。どうぞ皆サンも疑はずに信心をして下さりませ、キツと広大な御利益が頂けますぞえ』
としたり顔に教服をつけたまま、上座に立つて喋り立て、次の間に這入つた。大勢の信者は手に頂いて、一口かぶつては妙な顔をしながら懐から紙を出して包み袂に入れる。誰もかれも厭相な顔をしてゐる。自分も二つ貰うたが、妙な香だと思うて割つて見ると牛糞が包んであつた。
 大勢の中から、
『オイお台サン、コリヤ牛糞が交ぜつとりますぜ』
と叫ぶ者がある。さうするとあちらからも此方からも、
『あゝ臭かつた、エーエー』
と紙を使ふものも出来て来た。高島ふみ子サンは驚いて、上装束をぬぎ、狐の尾を細帯で括つたまま、取るのを忘れて、この場へ走り来り、
高島『皆サン勿体ない事をおつしやるな。そんな物を神様にお供へしそうな事がありませぬ』
と云ふや否や、中川と云ふ男、三十二三歳の少し色の黒い、細長い顔をして、神壇の前に立ち、
中川『私は馬路村の中川某と云ふ者です。私の家内が妊娠をしてから月が満ちても出産せぬので、ここへ伺ひに来た所、ここの奴狐がぬかすには、牛の綱をまたげたから、牛の子が宿つて居るのだ、信心さへすれば人間の子に生れさしてやると、バカな事をぬかしやがる、人間さまを馬鹿にしやがるもほどがあると思うて居つたが、それでも出来て見ねば分らぬと思ひ、女房の代りに毎日参つて居りました。そした所、女子が出来るとぬかしたに拘らず、立派な男の子が生れました。そんな事の腹の中の事まで分るやうな稲荷なら、牡丹餅の中へ牛糞を入れて供へたらキツト知つてるだらう、モシ知らぬやうな事なら山子婆の溝狸だと思うてをつたら、案の条、牛糞を神様の前に供へて拝んでをる可笑しさ。私は皆さまに食て下さいと云ふて牡丹餅を持つて来たのだないから、皆さま怒つて下さるな。ここの婆アが悪いのだ、アハヽヽ稲荷下の山子バヽ、尻でもくらへ、これから俺がそこら中、この次第をふれ歩いてやる』
と言ひながら、一目散に飛出し帰つて行つた。これより旭日昇天の勢ひであつた、この教会も次第々々にさびれて、遂には維持が出来なくなり、京町の天神さまの境内へ移転して、僅かに命脈を保つて、明治四十五年頃まで継続して居たのであつた。

(大正一一・一〇・一〇 旧八・二〇 松村真澄録)



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