出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-3-151922/10舎身活躍子 盲目鳥王仁三郎参照文献検索
キーワード: 物語
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あらすじ
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本文    文字数=6743

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第一五章 盲目鳥〔一〇二七〕

 五月雨の空低うして、四辺の山は雲に包まれ、杜鵑の鳴く声遠近に聞える、穴太宮内垣の賤が伏家も、今は犬の手も人の手と称する田植の最中、片時を争ふ農家の激戦場裡で、遠近の人々は植付、麦刈などに忙殺されて、教の門を潜る人々の足も杜絶えた折柄、身なり賤しい一人の婦人、両眼のあたりを白き布にて繃帯しながら、杖を力に、
『先生はお在宅ですか?』
と尋ねて来た。婆アサンが案内とみえて、一人付いて居る。この頃は参拝者がないので、神殿において心ゆくまで、幽斎の修行にひたつて居た喜楽は、この声を聞いて、
『マアマア』
と狭い座敷へ通し、来意を問へば、眼病を治して欲しいので、はるばる参拝したとの事であつた。どことなく何時かは見たことのあるやうな女と、訝かりながら住所姓名や、来歴を問うて見た。女は恥かしげに顔を赤らめ、稍俯むき気味になつて語る。
『私は西別院村の小末と申す者でございます。見るかげもなき貧乏人で、屋根はもり、壁はおち、明日の糧を貯ふるの余裕もなき貧しい暮しの中に、私の夫は長の病になやまされ、私は産婦の重き身の上、働きすることさへも叶はねば、朝夕の糊口に差支へ、銭となるべき物は売り払ひ、質におき尽くして、今は最早何もなき極貧の身の上、医薬の手だてさへなく、夫は無残にも死を待つより仕方のない身の上となりました。草根木皮を食ひ、一時の命をつないで居りましたが、何の因果か、夫婦の体は水腫れを起し、夫は遂に幽界の人となつてしまひました。取りのこされた私は、まだ出産後僅に一週日、血の若い身で、赤児をかかへて、形ばかりの弔ひをすませ、さむしい日をおくる内にも、村の人達の無情さ、米屋は米代を払へとせめてくる、醤油屋は醤油代を渡せときびしい催促に、どうすることも出来ませず、一層の事私も夫の後を逐ふてこの世の暇乞ひをせうかと思案に沈みながら、五つになつた先妻の子や、一人の赤子の愛にひかれて、死ぬことも出来ず、心弱いは女の常とて、何の考へもなきまま、大阪に嫁入つて居る姉を便つて一時の急場をのがれやうと、去る日の夜中頃、赤子を背に五つの子の手を曳いて、吾家を後に山路を辿り、出て行きました、その途中、亡夫を葬つた墓がございますので、暇乞のために立寄り水を供へ、幸ひ傍に人影もなければ、心の行くだけ愚痴の繰言をくり返し、心を残して墓場を立去る、時しも夫の墓の畔から現はれ出でたる怪しき物かげに、思はず知らず母子は声を揃へて泣き叫びました。不思議にもその怪しの人影は、夫の亡霊であつたか、何だか分らぬことを大声に叫びながら、吾家の方へ走せ行きました。そこで私の思ひますには、墳土まだ乾かず、五十日もすまぬのに夫の墓の土地を離れむとしたのは誠にすまぬことであつた。夫の霊は私等の大阪へ行くのを嫌うて居るのであらうと心を取直し、力なげに再吾家へ帰つて来ました。その時の驚きが災禍となり、遂にかくの如く両眼を失ひ、その上昼夜疼痛に苦しむこと限りなく、一人の赤子もまた十日以前に、乳のとぼしい勢か身体が痩衰へて、亡き人の数に入りました。先妻の子は私が盲になつたので親類が預つてくれました。私は最早夫や子に別れ、この世に生きて何の望みもありませぬから、せめては夫や吾子の霊を弔うて、善根を尽くすより途はござりませぬが、何をいうても盲目の不自由な身の上、どうぞお助け下さいませ』
と涙を流して泣き叫ぶ。この物語の始終を聞いた喜楽の心は、一節一節胸に釘鎹を打たるる如くであつた。あゝ心に当るは過ぎにし春の月の夜半の出来事、大阪より帰りの途次、眠けにたへずして、とある墓場に石枕、計らず会せし妖怪変化と疑うた影は、正しくこの婦人であつたか、逐一事情をきくにつけ、気の毒にもこの女が眼病にかかつた原因は、自分が突然墓から逃出したその姿を見て、亡き夫の幽霊と誤解し、驚愕の余り、若血の身の上とて逆上して目にあがつて、こんな不具者となつたのであるか、吁気の毒だ。何とかして生命に代へてもこの眼病を直してやらなくては、神さまに対して済まない。また自分の責任がすまぬと、直に荒菰を大地に布き、井戸端に端坐して、頭からザブザブと水ごりを取り、拍手再拝祈願の祝詞を奏上し、一心不乱に勤行した。その至誠に畏くも神明感じさせ玉ひけむ、今まで苦痛に悩みし両眼の痛みは忘れたやうに鎮静し、あたりをじつと見まはしながら、思ひがけなきこの世の光明に飛び立つばかり打喜び、
『先生お蔭で目があきました。アヽ勿体ない辱ない!』
と伏し拝む。この場の奇瑞に祈願者の喜楽も打驚き、即時の霊験と、また不思議の邂逅に、神界の深甚微妙なる御経綸に敬服したのである。
 この女は石田小末といふ。これより幽斎を日夜に修業し、神術大いに発達し、遂に小松林、松岡などの高等眷族の神霊懸らせ玉ひて、いろいろ幽界の有様を表示し、その後百余日の後再び大阪の姉の家に行かむと、喜楽に別れを告げて出て行つたままである。

 大本の神の教を伝へむと
  山路遥に越ゆる津の国。

 浪速江のよしも悪きも神術と
  知らずに下る淀の流れを。

 千早ぶる神の教を畏みて
  駒立て直し元の丹波へ。

 足曳の山路を夜半に辿る身は
  御空の月ぞ力なりけり。

 ゆくりなく巡り会ひたる嬉しさに
  誠の神の恵悟りぬ。

 惟神神の御霊の幸はひて
  この物語世にてらしませ。

(大正一一・一〇・一〇 旧八・二〇 松村真澄録)



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