出口王仁三郎　文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-2-71922/10舎身活躍子 五万円王仁三郎参照文献検索
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第七章　五万円〔一〇一九〕

　友人斎藤宇一の奥座敷を借つて、愈幽斎の修業に着手する事となつた。修業者は宇一の叔母に当る静子、及妹に当る高子（十三歳）、多田琴、岩森徳子、上田幸吉その外二三人の者を以て、朝夕軒を流るる小川に水浴をなし、午前に四十分間づつ三回、午後にもまた三回、夜二回都合八回で、一日に三百二十分間、厳格に修業した。そして瑞月は小幡川で拾つた仮天然笛で、羽織袴を着し、極めて厳粛に審神者の役を修するのであつた。
　初めての審神者の事でチツとも様子は分らぬ。第一番に多田琴が神主の座に着くや否や、組んだ手を前後左右に振まはし、二十貫もあらうといふ女が、古い家の床が落ちるほど飛あがり出した。戸も障子も襖もガタガタになつてしまつた。一週間ほどの後には、余りドンドン飛上つたためか、床が二三寸下がり、障子も襖もバタバタと独りこけるやうになつてしまつた。宇一はこの時まだ二十二三歳、両親から苦情が起り、修業所をどこかへ移転してくれとの命令を下された。
　さうかうする内、多田琴が口を切り始めた。
『シヽヽ白滝白滝白滝』
といひかけた。審神者は始めての口切りで、肝をとられ、驚きと一つは始めて口の切れた喜びとで、愈幽斎修業も前途有望だと、知らず知らずに天狗になつてしまつた。多田の神主は日一日と発動が烈しくなり、詞も円滑に使ふやうになつて来た。その時の審神者としては大きな声を出し、よく発動し、荒く飛上がるほど偉い神が来たのだと信じ、本当のしとやかな神感者を見ても、もどかしいやうな気になつてしまつた。
　多田琴に続いてまた斎藤静子の面相が俄に猛悪になり、組んだ手を無性矢鱈に震動させ、これまたドンドンと荒れ狂ひ出した。一人は大女、一人は三十になつても貰ひ手のないといふ、四尺足らずのチンコさんである。それが一時に負ず劣らずドンドンドンと飛上がり出した。静子の姉を始め、養子に来た元市といふのは、宇一の両親であつたのが、静子が神憑になつたので、俄に乗気になり、修業場を移転することを取消して貰ひたいと申込んだ。
　多田の神主はソロソロ大口をあけ、目の白玉に巴形の赤い模様が出来て、
『静御前と義経弁慶、加藤清正どちらが偉い、この方は和田義盛の妻巴御前であるぞよ、その証拠にはこの方の目の玉を見よツ』
と目を指し示す。初心の審神者はその目の玉をよくよく見れば、まがふ方なき一つ巴が、両眼に真紅の色を染出して居る。……ヤツパリ巴御前ぢやあるまいかなア……と思案してゐると、神主は審神者の頬べたをピシヤピシヤと殴り、
『馬鹿審神者の盲審神者、この方の正体が分らぬか。この方は勿体なくも、官幣大社稲荷大明神の眷族三の滝に守護致す、白滝大明神であるぞよ。サアこれからはこの白滝が審神者をしてやらう。その方は神主の座にすわれ』
と呶鳴りつけた。静子はまた発動して、
『おれは妙見山に守護いたす、天一天狐恒富大明神だ。見違ひ致すと、今日限り審神者は許さぬぞ。ウンウン、バタバタ　ドスン　ドスン』
と小さい婆アが飛上がる。今から思へば抱腹絶倒の至りだが、その時の審神者にとつては一生懸命であつた。笑ふ余地も怒る間も、調べる隙もない。ただ始めて会うた発動状態、神の託宣、愈人間にも修業さへすれば、老若男女の区別なく、神通が得られるものだ、といふ確信はたしかについたが、その外の事は一切耳にも這入らず、思ふ事もなかつた。ただ一心不乱に三週間の修業を続けて居た。
　一週間ほどたつた時、修業者は一斉に口を切り、少女の口から、
『チヽヽヽヽ、ツヽヽヽヽ』
と口を尖らし、組んだ手をヒヨイヒヨイと動かしながら、喋り始めた。修業場は一切他人の近よることを禁じてゐたが、余り大きな発動の響と神主の声とに、近所の者が聞きつけ、次から次へと喧伝して、昼も夜も家のぐるりは人の山になつてしまつた。
　多田琴は……白滝大明神の命令だ……と云つて、修業者を残らず引連れ、白衣に緋の袴をうがち、一里余りの道を白昼大手をふつて、
『家来ツ、伴して来い』
と云ひながら、何だか訳の分らぬ歌をうたひ、足拍子を取り、外の修業者はその歌に合はして、石や瓦を叩きながら、テンツテンツ　ツンツクツンなど言ひながら、中村の多田亀の家へ行つてしまつた。審神者は……コリヤ大変だ、一つ鎮めねばなららぬ……と後追つかけようとすれ共、どうしたものか、自分の体は数百貫の石で押へられたやうに重たくなつて、チツとも動く事が出来ない。止むを得ず、宇一は審神者代理となりて側にすわり、自分は惟神的に手を組まされ、瞑目してゐると、腹の中から丸いかたまりが二つ三つグルグルグルと喉元へつめ上げ、何とも言はれぬ苦さであつた。三四十分間息が切れるやうな目に会はされた揚句、
『この方はこの肉体を高熊山へ導き、その霊魂を富士山へ伴れて行つた松岡天使である。サアこれから本当の審神者をさしてやらう。天下の万民を助ける神の使は、余程の修業を致さねば駄目だ。さアこれからこの方の申す事をチツとも叛くでないぞよ』
と自分の口から言ひ出した。宇一は這ひつくばひながら、
宇一『恐れながら松岡様に申上げます。私は皆と一緒に修業を致して居りますが、まだ一遍も手も震うた事もなし、皆のやうに神様がうつつて物を言うて下さりませぬが、どういふ訳でございますか。神さまさへ憑つて下さるのなら、どんな修業でも致しますから、どうぞ教へて下さいませ』
と頼んで居る。そうするとまた神主の口から、
松岡『その方は大体精神のよくない男だから、神が憑る事が出来ぬのだ。三年や五年修業したとて、その方は駄目だから、一層のこと、審神者になつた方がよからうぞ』
宇一『神主にもなれない者がどうして審神者が出来ませうか』
松岡『神がせいと云つたら、キツと出来る。神がその方の肉体を使つてするのだから、チツとも心配は要らぬ』
宇一『左様ならば御用を致します。不束な審神者でございますから、どうぞよろしう御願ひ致します』
松岡『ヨシ、この神主の肉体はその方の監督に任すから、よく気をつけたがよからうぞ。何時夜分に飛出すか知れぬから、気をつけて居るがよい』
宇一『ハイ、有難うございます。この度の一同の者の修業が済みましたら、その先はどう致しませうか』
松岡『神が五万円ほど金をやるから、この穴太のある地点を買収し、大神苑を作り、神殿を拵へ、神道の本部を建てて、布教をするのだ。何事も一々神の命令を遵奉せなくては駄目だから、そう心得たがよからう』
　宇一は斎藤源次といふ人の東隣の紋屋の息子である。その父親が相場に祖先伝来の財産を殆どなくしてしまひ、今やその邸宅までが危なく浮いてゐたのである。何時家も屋敷もどこへ飛んでゆくか、流れるか知れぬやうな危険状態になつてゐた。今この松岡天使の五万円を与へるといふことを聞いて、喉を鳴らし、元市がその場に飛んで来て、叮嚀に両手をつき、
元市『松岡さま、どうも有難うございます。これでいよいよ御神徳が有りました。どんな事でも神さまの御用を聞きますから、早く五万円の金を下さいませ。何れ天から降らして下さる訳にも行きますまい。相場によつてでも五万円儲けさして下さるのでせうなア』
松岡『相場の事なればこの方は余程不得手だ。坂井伝三郎といふ百年前に相場師が大阪に居つた。その男は八十五万円の財産を残らず相場で負てしまひ、僅に残つた財産を、堺の住吉明神に献上致し、その神徳によつて、今は住吉の大眷族大霜といふ天狗となつて、相場の守護を致して居るから、その神が今この肉体にうつるやうに守護してやらう。それに聞いたがよからうぞ。松岡はこれで引取る。ウンウンウン』
元市『マアマアマア一寸待つて下さいませ、モウ一言御尋ね致したうございます』
といふのも一切頓着なしに、審神者の肉体を三四尺宙に巻上げ、ドスンと元の座に尻を卸し、パチツと目をあけて、元の喜楽になつてしまつた。
　これより元市夫婦は態度一変し、今まで『喜楽々々』と呼びつけにしてゐたのが、現金にも『上田大先生様』とあがめ出して喋つた。宇一も親しき友人の事とて『オイ喜楽』などと云うてゐたが、俄に爺に倣つて、『大先生』と言ひ出した。何とはなしにテレ臭いやうな気がしてならない。
『どうぞ今までのやうに喜楽と云うてくれ』
と何程頼んでも、親子共に首を左右にふり、
『イエイエ滅相もない、こんな立派な相場の神さまが御憑り遊ばす御肉体を粗末にしては、神さまに対し申訳がありませぬ。どうぞ大先生と言はして下さい』
と金の欲に迷はされて、一生懸命に厭らしいほど大事にし出した。
元市『モシ大先生、最前神さまが仰しやつたやうに、伜の宇一が審神者を致しますから、大霜さまの神懸りを一つ願うて下さいな』
と頼み込む。喜楽は仕方がないので、東側の溝に身をひたし、体を清め、再び白衣に紫の袴を着し、奥の間に静坐し、手を組んだ。またもや身体震動して、
大霜『われこそは官幣大社住吉神社の一の眷族、大霜天狗であるぞよ。相場の事なら何でも聞かしてやらう』
と大声で怒鳴り立てた。元市は飛付くやうにして、頭を畳にすりつけながら、膝近くまですり寄り、
元市『ハイ、有難うございます。しかしながらこの通り門一杯人が聞いて居りますから、どうぞ低い声で仰しやつて下さいませ。私も折入つて御願がございますから……』
　大霜小さい声で、
大霜『ヨシ分つた、何ンなつと聞いてやらう。大方五万円の金を相場に勝たしてくれいと申すのだらう』
元市『ハイ、御察しの通り五万円の金の必要が起りました。何とマアあなた様は、私の心を御存じでございます。疑もなき天狗様、これから家内中が打揃うて、村の奴が何と申さう共信仰を致しますから、どうぞ米の上り下がりをハツキリ知らして下さりませ』
大霜『ヨシ、俺は生前において坂井伝三郎といふ堂島の相場師であつた。相場のために財産をなくした位だから、神界においても相場に詳しいので、その方面の守護を致して居る神だ。つまり言はば専門家だ、この方の負ただけの金はその方に勝たしてやつても、別に社会の科にもなるまい。五万円などとそんな吝嗇臭い事申すな。八十万円勝たしてやらう、どうぢや嬉しいか？』
元市『ハイ、嬉しうございます』
大霜『その八十万円の金を手に入れたらどうする積りだ』
元市『ハイ、申すまでもなく、曽我部村を全部買収し、五万円がとこ林を買うて、其処を天狗さまの公園となし、残り七十五万円はマア一寸考へさして頂きませう』
大霜『七十五万円の財産家となつて羽振を利かす考へだらう。その方はその金が手に入つたならば、立派な家を建築し、妾をおいて、栄耀栄華に暮さうといふ、今から考へを持つて居らうがなア。余り贅沢になると酒色に耽つて衛生上面白くない、身体衰弱して短命になる。また女房のあるのに妾などを置けば、家内が常にもめる道理だ。一層の事、今の貧乏の方が却て幸福かも知れないぞ。そうなると、却て神の恵が仇となるから、五万円だけにして置かうか』
元市『メヽ滅相な、神さまの言に二言はないと聞いて居ります。あなたこそ神さまとなれば、お金の必要はござりますまいが、肉体のある以上は金は必要です。七十五万円の内、十万円だけは私が頂戴致しまして、後の六十五万円は駅逓局へ預けたり、慈善事業に寄附したり、社会のために使ひます』
大霜『それも結構だが、神さまのお道のために使はうといふ気はないか』
元市『ハイ、神さまの方は五万円御約束の通り、チヤンときまつて居ります』
大霜『アハヽヽヽ、そんならそうでもよからうが、相場をする基本金はどうして拵へるか』
元市『ハイ御存じの通り、スツカリ貧乏を致しまして、最早一円の金も貸してくれる者もありませぬので、この資本を神さまの御厄介に預つて貸して頂きたいものでございます』
大霜『ヨシ、そんなら小判の埋蔵所を知つて居るから、それをその方に明示してやらう。誰にも言つてはならぬぞ。乍併この金は山奥に埋めてあるから、その方が行かいでも、この神主の肉体を使うて掘りにやらすから、二三日待つて居るがよからう』
元市『ハイ有難う、いくら隠してあるか知りませぬが、一人では途中が危なうございます。もし賊にでも出会うたら大変ですから、どうぞ私一人だけはお供にやつて下さいな』
大霜『ならぬ　ならぬ、その金は一寸百万円ばかり小判で隠してあるが、その方にその所在を知らすと、また悪い精神を出し、体主霊従におちてはならないによつて、先ず一万円ばかり資本に、この肉体に掘らしてくる。キツと従いて来る事はならぬぞ』
元市『そんなら伜の宇一をお供をさしますから、それだけ許して下さい』
大霜『イヤそれも成らぬ。この神主の肉体を神が勝手に使うて掘り出して来る。その方の改心次第によつて渡してやる』
元市『ハイ承知いたしました。御安心下さいませ。メツタに慢心する気遣ひはございませぬ。ズントズント心の底から改心を致して居ります』
　喜楽は自分の腹の中から言ふ事を一々残らず傍聴し、また元市の言も聞いて可笑しくてたまらず……ナアにそんな金があるものか……と心の中で思つて仕方がなかつた。
大霜『神は最早引取るぞよ。この肉体を大先生と崇めて大切に致せよ。ドスス、ウン』
と飛び上がり、憑霊は忽ち肉体を離れてしまつた。
元市『あゝ大先生、御苦労はんでございました。どうぞ体を大切にして下さいや。大変な結構な御神徳を頂きました』
喜楽『私も聞いてゐましたが、あんな甘い事大霜サンが言はれたけれど、嘘ぢやなからうかと、心配でなりませぬワ』
　元市は首を左右に振り、
元市『大先生、そんな勿体ないことを言ふもんぢやありませぬ。天狗サンは一割正直な御方ですから、嘘を仰しやる気遣はございませぬ。アーこれで私の運も開きかけた』
とニコニコしてゐる。
　その日は何となく吾家へ帰りたくなつたので、久し振りに自宅へ帰ることとなつた。

（大正一一・一〇・九　旧八・一九　松村真澄録）



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