出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-1-51922/10舎身活躍子 松の下王仁三郎参照文献検索
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第五章 松の下〔一〇一七〕

 九月廿五日の月は東の山の端を掠めて昇つて居る。されど満天雲に包まれて居る事とて、ただ東の山の端が薄明かくなつて、丁度月の出る時刻だから、彼れが月の光だらうと頷かれる位であつた。もし宵の口に東が薄明かるいならば、決して月と思ふ事は出来ない位なものであつた。星の影もなく咫尺暗澹として、六尺幅の道を泥酔者二人の千鳥を伴ひ、松と桜との古木が抱合ふて立つて居る『松の下』と云ふ、淋しい処にやつて来た。
 そこには豚小屋のやうな一軒屋があつて、嘘勝の親戚なる嘘鶴といふのが、四五人暮しで住んで居た。現今では道路が拡張されて、家のあつた処は坦々たる街道になつて居る。嘘勝は河内屋の挙動に不審を起し、いろいろと探索をして見た結果、河内屋の一類が、この嘘鶴の家の半丁ほど東の、樹木茂れる暗い場所で、三人を叩きのめさうと企んで居る事を悟り、密かに山へ登り、手頃の石や割木を積んで待つて居た。それとも知らず河内屋の一行六人は、道傍の森林に先廻りして、喜楽一行の帰つて来るのを道に要撃せむと、待ち構へて居たのである。
 かかる計略のありとは、神ならぬ身の知る由もなき三人は、暗の路前後に心を配りながら、ヒヨロリヒヨロリトボトボと、三間山の麓にさしかかる。忽ち現はれた四五の黒い影、矢庭に次郎松の頭を、棒千切れを持つてカーンと音がするほど殴りつけた。次郎松は驚いて高岸から滑りおち、稲葉の茂みへ身をかくし、睾丸を泥田に浸して震ふて居る。長吉は『アイタタタ』と倒れた。喜楽は直に山を目蒐けて二三間ばかり駆登る。四五の黒い影は長吉に群がり集まつて、踏んだり蹴つたり、やつてる最中に、山の十間ばかり上から割木の雨、栗石の礫の霰が降つて来る。この黒い影は勿論勘公の一隊である。流石の勘公も石にうたれ、割木にあてられ、這う這うの体にて一目散に闇の路を駆け出した。
 長吉は悲しさうな声で、
長吉『オーイオーイ、喜楽サン、次郎松サン……』
と叫んで居る。喜楽はその声を聞いて、
喜楽『長吉はやられたと思ふたが、あんな声が出る以上はまだ生きて居るのか』
と稍安心して山を下りかけた。暗がりから、
『アハヽヽヽ』
と笑ふ男の声、訝かりながら近寄つて見れば、長吉の兄の嘘勝であつた。喜楽は、
喜楽『オイ、その声は嘘勝ぢやないか』
と聞いて見ると、
嘘勝『サウぢや、嘘勝ぢや、アハヽヽヽ』
とまたもや笑つて居る。
 この男は嘘が上手で、人から嘘勝と仇名をつけられ、それが遂には通用語になつてしまひ、嘘勝と云はれるのを却て名誉に思つて居る位な男である。その叔父もまたウソ鶴といつて、嘘をいふのを得意がつて自慢してる男である。何事を掛合ふのにも、自分から嘘つきと云ふ事を承認し、人もまた認めて居ると思つてか、一つ話をする度に『今度は嘘ぢや無いぞ』と前置をする癖がある。それでも八九分は嘘だから堪らない。松の下に住んで居る嘘鶴と云ふ奴、五斗俵に籾の殻を充実し、それを叮嚀に締めて、何時も狭い家の庭に二十俵も積んで『米が十石、この通りあるんだが、もちと値が出ぬので売れぬのだ。これを抵当にチツと金を貸てくれぬか』と云つて金の融通を妙にする男であつた。人が一寸俵に触らうとすると『オイコラ、これに触つてはならぬぞ、触り三百円の罰金だ』といひ、鼠が喰ふといつて柊を一面に刺して居る狡い男である。その血統を受けた勝公も長吉も、相当に嘘は上手であつた。しかしながら不思議な事には、比較的に村人の信用を受けて居る、天下御免の嘘つき男である。
 却説、長吉は嘘勝の出現に力を得、暗がりに裾をパタパタと払ひながら、
長吉『喜楽サン、どうも俺は欲にも徳にも代へられぬワ』
と三才児のやうな言葉で嘆声を洩らし、頻りに袂や裾を泥がついたと思うて、かいばたきして居る。長吉の疵は別に血も出でず、団瘤が三ツ四ツ出来た位ですんだ。次郎松は三人の囁き声を聞いて、やつと安心したと見え、水田の稲の中から白い頬冠をパツと現はし、
次郎松『ホーイ ホーイ』
と力の無い声で呼んで居る。
喜楽『次郎松サン、嘘勝が出て助けてくれたのだから、安心しなさい。河内屋の一隊は、とうに逃げてしまひよつた。早く上つておいで……』
と叫んで居る。次郎松は田の中から、
次郎松『モウ、事ア無からうかな』
と云ひながら、ズクズクの身体で高岸を這ふて、街路まで登つて来た。
 何時の間にか東半天は青雲の生地をむき出し、下弦の月は細い光を地上に投げた。嘘勝は本街通を左にとり、河内屋の様子を探るべく帰り行く。三人は道を右にとり、細い野道を渡つて松原に出て、暗い藪小路を潜つて、淋しい妖怪の出ると云はれて居る坊主池の辺りに辿りつき、またもや野道を渡つて漸く家路に帰つた。
 かう云ふ事が何回も重なり、河内屋や若錦の身内から敵視されて、八九回も大喧嘩が始まり、何時も喜楽は袋叩きにやられ勝であつた。何時も叩かれもつて、心に思ひ浮かんだのはかうである。
『何だか自分は、社会に対して大なる使命を持つて居るやうな気がする。万一人に怪我でもさせて法律問題でも惹起したならば、将来のためにそれが障害になりはせないか?』
と云ふのが第一に念頭に浮かんで来た。その次には、
『人に傷つけたならば、屹度夜分には寝られまい。自分は何時も真裸になつて、石だらけの道で相撲をとるが、力一杯張りきつた時は、如何な処へ真裸で打ち投げられても少しも傷もせぬ、痛みもせぬ、これを思へば、全身に力を込めてさへ居れば、何程叩かれても痛みも感じまい』
との念が起り、指の先から頭の先まで力を入れて、身体を硬くして敵の叩くに任して居た。……もう叶はぬ、謝まろか……と思つてる間際になると、何時も誰かが出て来て、敵を追ひ散らし、或は仲裁に入つて、危難を妙に助けてくれた。それで、
『人間と云ふものは、凡て運命に左右されるものだ。運が悪ければ畳の上でも死ぬ。運がよければ、砲煙弾雨の中でも決して死ぬものでは無い』
と云ふ一種の信念が起つて居た。それ故人に頼まれたり、頼まれなくても喧嘩の仲裁がしたくなつたり、ある時は、
『思ふ存分大喧嘩をやつて……偉い奴だ! 強い奴だ! と云はれたい。そうして強い名を売つて、仮令丹波一国の侠客にでもよいからなつて見たい』
と云ふ精神が日に日に募つて来た。そのために二月八日の晩にも、若錦一派の襲来を受くるやうな事を自ら招来したのである。
   ○
 若錦一派に打擲され、頭を痛めて喜楽亭に潜んで居る処へ、母がやつて来て非常に悔まれる。しばらくすると八十五才になつた祖母が、杖もつかずに出て来られた。少し耳は遠かつたが、悪い事は何でもよく聞ゆる人であつた。何時も祖母は勝手聾をして居られるのかと疑ふたが、実は、本当に聞えないのであつた。聞えぬかと思ふて、ド聾とか何とか一言でも悪口を云はうものなら、本守護神が知つて居るのか、但は神様の罰なのか、直に分かるのは不思議であつた。気丈の祖母はこの場の様子を見てとり、諄々として喜楽に向つて意見を始められた。祖母の名は『うの子』といつた。
祖母『お前は最早三十に近い身分だ、物の道理の分らぬやうな年頃でもあるまい。侠客だとか人助けだとか下らぬ事を言つて、偶に人を助け、助けたよりも十倍も二十倍も人に恨まれて、自分の身に災難の罹るやうな人助けは、チツと考へて貰はねばなるまい。無頼漢の賭博者を相手に喧嘩をするとは、不心得にも物好きにもほどがある。お前は何時も悪人を挫いて弱い善人を助けるのが、男の魂ぢやと云ふて居るが、六面八臂の魔神なれば知らぬ事、そんな病身なやにこい身体で居ながら、相撲取や侠客と喧嘩するとは余り分らぬぢやないか。今年八十五になる年寄や、夫に別れて間もない一人の母や、東西も弁へ知らぬやうな、頑是なしの小さい妹がある事を忘れてはなるまい。この世に神さまは無いとか、哲学とか云つて空理窟ばかり云つて、勿体ない、神々様を無い物にして、御無礼をした報いが今来たのであらう。よう気を落ちつけて考へてくれ。昨晩の事は全く神様の御慈悲の鞭をお前に下して、高い鼻を折つて下さつたのだ。必ず必ず、若錦やその外の人を恨めてはなりませぬぞ。一生の御恩人ぢやと思ふて、神様にも御礼を申しなさい。お前の実父は幽界から、その行状の悪いのを見て、行く処へもよう行かず、魂は宙に迷ふて居るであらうほどに、これから心を入れ変へて、誠の人間になつてくれ、侠客のやうな者になつて、それが何の手柄になるか』
と涙片手に慈愛の釘をうたれて、流石の喜楽も胸が張り裂けるやうに思ふた。森厳なる神庁に引き出されて、大神の審判を受けるやうな心持がして、負傷の苦痛も打忘れ、涙に暮れて、両親の前に手を合せ、
『改心します、心配かけて済みませぬ』
と心の中で詫をして居た。
 老母や母は吾家を指して帰り行く。あとに喜楽はただ一人悔悟の涙に暮れて、思はず両手を合せ、子供の時から神様を信仰して居ながら、茲二三年神の道を忘れ、哲学にかぶれ、無神論に堕して居た事を悔ゆると共に、立つても居ても居られないやうな気分になつて来た。
 夜は森々と更け渡る。水さへ眠る丑満の刻限、森羅万象寂として声なき春の夜、喜楽の胸裡の騒々しさ、警鐘乱打の声は上下左右より響き来り、吾身を責むる如くに感じられた。
『あゝ今が善悪正邪の分水嶺上に立つて居るのだ。左道を行かうか、右道を行かうか』
と深き思ひに沈む。折しも忽然として、一塊の光明が身辺を射照らす如く思はれて来た。天授の霊魂中に閑遊する直日の御霊が眠りより醒めたのであらう。深夜つらつら思ふ。
『あゝ吾は誤解して居た。父ばかりが大切の親ではない、母もまた大切な親であつた。そして祖母はまた親の親である。天地広しと雖も親は一人よりない。かかる分りきつた道理を、今迄体主霊従心の狭霧に包まれて、勿体なくも母や祖母を軽んじて居たのは、思はざる失敗であつた。父が亡くなつた以上は、もう如何な荒い事をしても、心配する親はないと、仁侠気取りで屡危難の場所に出入し、親の嘆きを今迄気づかなんだのは何たる馬鹿者ぞ、何たる不孝者ぞ!アヽ諺にも……いらはぬ蜂は刺さぬ……と云ふ事がある。なまじひに無頼漢位を相手に挑み争ひ、かつ挫かうとしたのは、余り立派な行ひではなかつた。勘公が次郎松に二百円の金を出ささうとしたのもこれは決して人間業ではない。次郎松はとられねばならぬ因縁があつたのだ。蛇が折角、艱難辛苦して漸くに蛙を口にし、一日の餌にありついて甘く呑まうとして居る際に、人あり、その蛇を打ちたたき、弱い方の蛙を助けてやつたなら、その蛙は大変に喜ぶであらうが、肝腎の餌食をとり逃した蛇は屹度その人を恨むであらう。掛け構へもない人の商売を構ひ立てしたと怒るのは、人間も同じである』
と云ふやうに考へて来た。本居宣長の歌にも、

 世の中は善事曲事行きかはる
  中よぞ千ぢの事はなりづる

 何事も世の中は正邪混交陰陽交代して成立するものである。別に人の商売まで妨げなくとも、自分は自分の本分を尽し、言行心一致の模範を天下に示せばよいのだ。自分に迷ひがあり罪がありながら、人の善悪を審く権利は何処にあらうか……
と思へば思ふほど、自分が今迄やつて来た事が恥かしく、且恐ろしきやうな気になつて来た。
 ……母は吾子の愛に溺れて喜楽が悪いとはチツとも思はず、ただ父が亡くなつたから、人々が侮つて、自分の子をいぢめるとのみ思はれて居るやうだが、父が亡くなつたのは喜楽ばかりぢやない、広い世の中には幾千万人あるか知れぬほどだ。父が亡くなつたために世間の同情をよせた人こそあれ、たとへ自分のやうに、一部の侠客社会からにせよ憎まれたものは少い、釣り鐘も撞く人が無ければ決して鳴らない、太鼓も打つ人がなければ決して音はせぬ、これを思へば祖母の今朝の教訓は、真に神のお諭しである。自分の心から親兄弟にまで迷惑をかけたか……
と思へば、懺悔の剣に刺し貫かれて五臓六腑を抉らるるやうな苦しさを感じて来た。悔悟の念は一時に起り来り、遂には感覚までも失ひ、ボンヤリとして吾と吾身が分らないやうな気分になつて来た。
 この時芙蓉山に鎮まり玉ふ木花咲耶姫命の命として、天使松岡の神現はれ来り、喜楽即ち今の瑞月王仁を、高熊山の霊山に導き修行を命ぜられた事は、第一巻に述べた通りであるから、此処には省略して置きます。

(大正一一・一〇・八 旧八・一八 北村隆光録)



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