出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-1-31922/10舎身活躍子 破軍星王仁三郎参照文献検索
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第三章 破軍星〔一〇一五〕

 大阪から田舎下しの舞の師匠に、お玉といふ四十位の年増があつた。村の若者は端唄や舞や踊を毎晩稽古に往つて居つた。何時の間にかはこのお玉は侠客の勘吉の内縁の妻となつてゐた。そして勘吉はそのお玉に村の若い者をくつつけ、そこを押へては物言ひを付け、金銭を絞り取つて居たのである。この女は少し浄瑠璃も知つてゐて、若者にチヨコチヨコ札で教へて居た。
 次郎松といふ男、五十の坂を越えて居ながら鰥の淋しさに、若い者の舞や踊や浄瑠璃の稽古を毎夜欠かさず見聞に行き、遂にはお玉と勘吉の美人局に陥り寝込みを押へられ、頭や背中をしたたか殴られ、真青になつて吾家に逃げ帰り、ブルブル慄へて居た。そこへ上田長吉といふ、次郎松の近所の二十五歳の男がやつて来て、いふやう、
『わしが勘吉とお玉との中へ這入つて話をうまくつけて来たから、二百円出しなさい。そしたら、勘吉も怒りはすまい』
と言つた。次郎松は生れついての吝嗇坊、惜相に工面して、清水の舞台から飛んだやうな心持で、五十円の金を拵へ、長吉の手に渡した。長吉はお玉に向つて、
『次郎松サンが二十五円出してくれたから、これで勘弁しなさい。この廿五円はわしの金ぢやが、お前に上げる』
と甘くチヨロまかして、またお玉に妙な関係をつけてしまつた。
 肝腎の勘吉はそんなこととは知らず、五六人の乾児を伴れ、暗夜に次郎松の家に押掛け行き、強談判を始め出した。平素から憂ひ喜びの悪口言ひと、村中から憎まれてゐた次郎松が、今夜は河内屋にやられるのだ、よい罰だ、面白い、見て来うか……と次から次へ言ひ合はし、門には一杯の人だかりになつてゐる。次郎松の老母は裏口から飛び出し、吾家に来り、
『コレコレ喜楽サン、大変なことが起つて来た。お前も親類のことであり、内の松が今二百両の金を出さねば、地獄川へ俵につめて放り込まれるとこだから、早う来て勘吉に談判しておくれ……』
と慄ひ慄ひ泣いてゐる。自分は『ヨシ来た!』……と言つたものの、近所にワアワアと大勢の声が聞えてゐる、勘吉の呶鳴り声も手に取る如く耳にひびく。幾分か、コリヤ険呑だ、ウツカリ行く訳には行こまい……と、稍卑怯心の虫が腹の底の方で囁き出した。そして八十四歳になつた老祖母や母が、不安な顔色をして、自分の返事をどういふかと待つてゐるやうである。
 おこの婆アサンは吾子の一大事だと、一生懸命に、
『喜楽サン、早う来ておくれ、松がやられてしまふ……』
と泣き立てる。
『そんなら行きませう』
と自分は立上らうとする。老祖母は行くなと目で知らす。おこの婆アサンは、
『コレ喜楽サン、親類で居つて、こんな時に助けに来てくれんのなら、お前の所へ二十円貸した金を未返しておくれ。河内屋にやる足しにせんならんから、そしてこんな時に来てくれな、モウこれから何を頼まれても聞きませんぞえ』
と少しの借金を恩にきせて無理に引出さうとする。自分は一寸むかついたが、……しかし世間の者は、そんな事情で怒つて行かなんだとは思はずに、勘吉に辟易して、とうとう喜楽もよう来なんだと誹るであらう。折角侠客の玉子になりかけた所を、なきがらだと言はれては、今までの事が水泡に帰する、ナアニ多田亀の教へた通り、命を的にかけて行きさへすれば大丈夫だ、一つ度胸を放り出してやらう、名を売るのは今ぢや……と俄に強くなつて、老母や母の不安な顔色を見ぬ振りして、吾家を飛び出し、裏の藪の垣を蜘蛛の巣に引つかかりながら、二つもくぐりぬけて、背戸口から次郎松の奥の間へ入りこみ、何くはぬ顔して、奥からヌツと火鉢の側へ現はれて、井筒型の模様のあるドテラをフワリと羽織り、鷹揚に坐り込んだ。そして破軍星の剣先を敵に向けてやらう、自分は剣先の柄に座を占めたれば、キツと勝つに違ひないと、稍迷信に囚はれながら、
『オイ河内屋、こんなヒヨロヒヨロ爺に、屈強盛りの侠客が五人も六人も乾児を伴れて、押よせて来るとは何の事だ。侠客の侠の字は何といふ事か知つてゐるかい。遊廓へでも行つて男を売るのが侠客の本分ぢやないか。こんな小つぽけな田舎で、ヘボ爺を苦めた所で、お前の名はあがる所か、却てダダ下がりだぞ』
と頭から咬みつけて見た。河内屋は何と思ふたか、物も言はず門口へ出て、乾児の五人を中へ入れ、
『オイ喜楽を叩きのばせ! 次郎松を引ずり出せ!』
と号令をかけてゐる。おこの婆アサンは自分の宅へ来たなり、怖がつて震うて帰つて来ない。次郎松は長火鉢の前に坐つたまま、真青な顔して、
『破軍星はどつちを向いてる、なア喜楽サン……』
などと調子外れな声で尋ねてゐる。乾児の中の両腕と聞えたる、留公、与三公は親分にケシを掛けられ、震ひ震ひ、
『コレ喜楽サン、一寸出て下され。次郎松サン、親分があない言うてますから出て下さい』
などと怖々ニユツと手をつき出して、半分ふるうてゐる。河内屋は犬の遠吠に似ず、門口から号令をきびしくかけるばかりである。自分は懐手をしたまま、ドスンとすわり、揚げ面をしてワザと豪傑らしく空威張りをしてゐた。しかしながら脇の下や腰のあたりは秋の夜寒にも似ず、汗がビツシヨリと着物をぬらしてゐた。門口には村の若い者や女が先ぐり先ぐりやつて来て、ワイワイとぞめいてゐる。不断から憎まれてゐるので、誰一人仲裁に入らうとする者がない。
 しばらくすると嘘勝と言ふ男が弟の長吉を引張つて来た。この男は次郎松から常に世話になつて居る所から、近所の事でもあり、かつ自分の弟に関した事でもあるので、裏口から長吉を伴れて這入つて来たのである。自分は長吉に向ひ、ワザと大きな声で、
『この間松サンからお玉サンに渡してくれといつて、ことづけた五十円の金はどうしたのか?』
と呶なりつけて見た。長吉は震ひながら、
『その五十円は確にお玉サンに渡しました』
と云ふ。そこで喜楽は皆に聞えるやうに、
『お玉といふ女は聞けば、河内屋の囲女ぢやないか。侠客の内縁にもせよ、女房になる女が、男から金の五十円も取るとは怪しからん奴だ。これは要するに河内屋が差図ではあるまい。こんな女を持つて居ると、侠客の名が汚れるのみならず、この村の恥だ。男達を以て任ずる当時売出しの河内屋が、女を玉に使うて金を取るといふ、卑怯なことは決してする筈がない。大方貴様がチヨロまかしたのだろ』
と呶鳴つて見せた。嘘勝は妙な顔をして、
『とも角、弟の長吉が悪いのだから、この事は私に任して貰ひたい。河内屋だつて、男の顔に泥をぬられて黙つておろまい。侠客といふ者は、女を玉に使つて金を取るといふやうなことはしそうな筈がない。こんな事がカンテラの親分にでも聞えたら、それこそ大変だぞ』
と呶鳴りかけた。河内屋はお玉を次郎松が犯し、侠客の顔に泥を塗つたから、承知しない、二百円の金を出さねば地獄川へ放り込むとねだつて居たのが、少し恥しくなつたと見え、門口から再び上り口の火鉢の前までやつて来て、
勘吉『この勘吉は、女を玉に金をねだつたなどと言はれちや、男が立ちません。何かの間違だらう……コラ与三公、留公、貴様、そんな馬鹿なことを次郎松サンに言うたのか、不都合な奴だ』
と呶鳴りつけた。与三公と留公は……親分が命令ぢやないか……と言ひたいけれど、言ふ訳にもいかぬといふやうな顔付で、頭をガシガシかきながら、
『へー、別にそんなこたア、言うた覚えはございまへん』
と巻舌が何時の間にか、田舎の詞の生地に返つてしまつてゐる。河内屋は顔色を和らげ、
『ヤア喜楽サン、心配かけて済みません。災は下からと言ひまして、子分の奴がこちらの知らんことを吐すもんだから、こんな騒動になつたのです。しかし私も御存じの通り、今売出しの侠客だ。素人の喜楽サンにコミ割られたと人に言はれては、男の顔が立ちませぬ。これは一つ仲直りをして、綺麗サツパリと埒をつけませう』
と砕けてかかる。喜楽は、
『そう事が分れば結構だ。そんなら次郎松から十五円出すから、君の方から十五円出して、それで一つ宴会でも開いて仲直りをせうぢやないか』
と問うて見た。河内屋はヤレ肩の荷が下りたというやうな体裁で、抜いた刀の納めどこに困つて居たのを、ヤツと幸ひ二つ返事で、
『何分喜楽サンに任しませう。そんなら明晩、亀岡の呉服町の正月屋で仲直りをすることにせう。午後六時から……』
と言つた。次郎松はヤツと安心したものの如く、二百円が十五円になつたので、これも異議なく出金することを承諾した。そしてウソ勝は、河内屋が一所に明晩宴会に行かうかと勧めるのを、俄に明日は大阪の親類へ急用が出来たから……と云つて体よく断つてしまつた。
 これでその晩の悶錯は一寸ケリがつき、翌日、瑞月と次郎松と長吉との三人は亀岡呉服町の正月屋といふ二階造りの小さい料理屋へ行くこととなつた。

(大正一一・一〇・八 旧八・一八 松村真澄録)



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