出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
大本史料集成 全3巻 | 1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻 | 争点 大本祝詞 | 池田昭・編 | 参照文献検索 |
キーワード: 二次事件裁判 祝詞 善言美詞 |
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本文 文字数=3156
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清瀬弁護人 難しいことぢやないのですが、昨日……一昨日の終りか、大本教の一番根本の要諦と云ふお問に対して、教義、祝詞等と言つて祝詞の一節を誦んじて説明して居りましたが、あの祝詞の全文を詳細に註釈を付けてお手許に……
私も受取りましたが、此処で訊きたいのは、あれは何時出来たかと云ふことなんです。
ちよつとそれも言ひましたけれども、是は私がどうかしてよう聴き取れませぬでした。
出口 善言美詞でせう、之に載つて居るでせう。
清瀬弁護人 昨日あなたが言つて居たのを移さしたのですから──。
出口 是は善言美詞の中の一節です。
裁判長 それは何時出来た。
答 それは私が皇典講究所へ行きまして、さうして明治四十年、それ迄は祝詞を上げて居りました……大祓の祝詞、禊の祝詞──皇典講究所ですつかり神道を教へて貰ひまして、古事記やとか万葉集とか色々の古典を集めまして学校で卒業論文の代りにそれを出した、非常に能く出来て居ると言つて褒められました。
裁判長 さうですか。
答 今迄誰も判つて居なかつたのを、古典ばかり集めて大本の精神を詠んだのであります。
問 四十一年か。
答 四十年です、私が学校を卒業したのは四十年です。
清瀬弁護人 さうして。
裁判長 四十年。
答 四十年に出来て印刷するやうになつたのは四十三、四年頃です。
それ迄は信者も少ないから、写して読んで居つたのです。
清瀬弁護人 さうですか、神前に朝夕奏するやうになつたのは、何時からですか。
答 それは毎日、四十年から毎日です、信者の少ない時から──。
清瀬弁護人 独り大本の本部別院等の所で奏上して居るのみならず、信者は朝夕之を奏上するのですね。
出口 はい、さうです。之に依つて出雲に行つた時に、此の祝詞を上げて──此の祝詞を見て国学者の湯川貫一さんは、それを見て、是でなければ日本の国はいかぬと云ふので信者にお入りになつたと云ふことを聞いて居りました。
それは嘘か本真か、知りまへぬが、そそなことを言つて居る人がありました。
清瀬弁護人 私が承りたいのはそれだけです。
裁判長 それでは又補充訊問もありませうが、今日は王仁三郎に付ては是だけにして置きます。
五分間ばかり休んで伊佐男を三十分ばかりやりませうか。
清瀬弁護人 どうでせうか、此の程度で五分間休憩すれば三、四十分しか時間がありませぬが。
裁判長 経歴ぐらいちよつと訊いて置きませうか、ぢや五分間ばかり休憩致します。
午後三時十五分休憩
(大本教団所蔵)