出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 大日本修斎会と直霊軍・敷島新報池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 大日本修斎会
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問 それから明治四十一年の八月に金明霊学会を大日本修斎会と改称して、機関紙直霊軍を発行し、次いで同敷島新報を発行しましたか。
答 次に今何でしたやろ。
問 四十一年の八月に金明霊学会と云ふものを……。
答 判りました、もう判りました。それで金明霊学会に役員があつた、修斎と云ふのです、一等修斎とか、二等修斎とか言ふのです。それ等が集つて修斎会をやつた、それから段々とさう云ふ工合に変つて来た。
問 それから直霊軍、敷島新報は、何時から何時迄発行して居りましたか。
答 直霊軍は十五号迄で、終ひやと思ひましたが。
問 四十二年の二月から四十三年の十二月迄。
答 其の間毎月ぢやないのです。
問 敷島新報は大正三年頃から五年十二月頃?
答 あ丶、さうです。
問 直霊軍、敷島新報の発行の目的は、どう云ふ点に、あるのか。
答 私は御嶽教に居りました時に、御嶽教で矢張り機関紙を出して居た。それで直霊の霊、直霊の霊と云ふことは極く良い魂であります。
問 発行の目的はどう云ふ点にありますか。
答 それは教を拡げる為めに……。
問 大本の?
答 所謂日本の道を──古事記、日本書紀、にあるのを綜合して、其の精神をこめて、又教祖の言ふて居る教も一緒くたにやつたのです。教祖の教を拡げる為めに、又、日本の教もそれを知らすと云ふ意味やつたのです。
問 出口ナカの筆先は是等の機関紙に掲載したやうなことはなかつたか。
答 それはありまへぬ、其の機関紙にはないと思ひます。
問 ないと思ふか。
答 はい、あるかも知れませぬけれども、余りはつきり覚えて居りませぬ。
問 敷島新報には。
答 それにはなかつたと思ひます。
問 是かね。
(此の時証拠を示す)
答 はい、覚えて居りませぬ、筆先は発表しなかつたと思ひます。大正六年迄はそれは出して居らぬと思うて居ります、私はさう思うて居ります。
問 確たることは判らぬか。
答 どつちかと云ふたら出して居らぬと云ふ方が本当だらうと思ひます。