出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
物語37-4-221922/10舎身活躍子 大僧坊王仁三郎参照文献検索
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第二二章 大僧坊〔一〇三四〕

 喜楽の入綾に先立ち茲に一つの珍話がある。明治三十一年の八月、八木の福島氏に二三回頼まれて、園部黒田の会合所から、はるばると山坂を越え、参綾して教祖に面会し、四方すみ子、黒田きよ子、四方与平氏などの大賛成を得、出口教祖と共に、艮の金神様のお道を広めようとした時、足立氏や中村氏の猛烈なる反対に遭ひ、教祖より……時機尚早し、何れ神様の御仕組だから、時節を待つて御世話になりますから、一先づ帰つて下さい……と云はれて、是非なく園部黒田の会合所へ帰り、それよりあちら此方と宣伝に従事して居た。
 黒田を発つて北桑田の方面へ布教を試みようと思ひ、五箇庄村の四谷の少し手前の、二十軒ばかりの村に差かかつた。日もソロソロ黄昏時、どこかに適当の宿を求めようかと懐中を探つて見れば、懐にはたつた二十銭しかない。……ママよ、困つたら野宿をしてやらう……と腹をきめて疲れた足を引ずつて行くと、山から粗朶をかついで帰りて来る二三人の村人と途伴れになつた。ゆくゆく下らぬ話をしてゐる内にも、話は自然病人のことや憑者のことに移つて行つた。さうするとその中の一人が、
『あなたは憑者をおとす御方ですか、随分誓願寺の祈祷坊主や稲荷下げが来ますけれど、中々おちぬものです。この村にも不思議な憑者で困つて居る者があります』
と朴訥な村人は、行手に見える道の左側の可成り大きな一棟の家を指しながら、
『あすこの爺は小林貞蔵といひますが、どういふ訳か、十五六年前から、腹の中から大きな声が出る病気で、本人の知らぬことをズンズンと喋り立てます。貞蔵サンは何とかして声の出ないやうにと骨を折るのだが、どうしても止らぬのが不思議ですよ。最初の間は自分から大変に警戒をしてゐましたが腹の中の憑者は……おれは立派な神さまだ……と名のるのを、いつのまにやら信じてしまひ、その声の指し図通りに相場をしましたが失敗の基で、田舎ではかなりの財産を大方なくしてしまひました。只今では駄菓子の小売をしたり、ボロ材木屋をして暮してゐますが、腹の声はまだ止まず、いろいろ雑多とつまらぬことを喋るので、貞蔵サンもこれには持て余してゐます』
と何気なく喋り立てる。喜楽は心の中で、……今夜のおれの御宿坊はここだなア……と自分ぎめにきめてしまひ、何食はぬ顔してその家の店先へ行つて見ると、一文菓子が少しばかり並べてあり、店先には五十ばかりの額口のバカに光つた、鼻の高い丸顔爺が、厭らしい笑を湛へてすわつてゐた。喜楽は、
喜楽『一寸休ませて下さい』
と縁側に腰を卸して、ムシヤムシヤと駄菓子をつまんで食ひ出した。五銭十銭十五銭と菓子を平げ、貧弱な菓子箱はモウそれでおしまひになつてしまつた。爺は呆れて喜楽の顔を見つめて居た。喜楽は、
喜楽『お菓子はこれで品切れですか、せめてモウ一円ばかり食ひたいものだ』
といつた。爺はますます呆れ、丸い目を剥き出し、
爺『お前サン、何とマアお菓子の好きな方ですな。どうしてそないに沢山あがられますか、お腹が悪うなりますで……』
と注意顔に云ふ。
喜楽『わしが食べるのぢやない、わしは元来菓子は嫌だが、皆私に憑いてゐる副守護神が食べるのぢや。サアお金を取つて下さい!』
と後生大事に持つて居た身上ありぎりの二十銭銀貨をポンと放り出した。
『ヘー』
と爺は益す目玉をまん丸うして、
爺『あんたにもヤツパリ憑者がゐますか、ふしぎな事もあるものぢやなア。私もドテライ憑者が居つて、困りますのぢや』
と云ひながら、自分の身の上を打あけて、果ては、
爺『どうぞこの憑者を退かして頂く訳には行きますまいか』
と憑霊退散の相談を持ちかけて来た。喜楽はヤツと安心して爺の勧むるままに、家に上りこんで、夕飯を頂き、そしてソロソロ鎮魂帰神の法を実施する段取となつた。
 喜楽は審神者となり爺は神主となり、主客相対坐して奥座敷にすわり、懐から神笛を出して、ヒユーヒユーヒユーと吹き立て、天の数歌を二回唱へ上げ、『ウン!』と力をこめるや否や、元来ういてゐた霊の事だから、ワケもなく大発動を始めた。その発動状態が頗る奇抜なもので、青い鼻汁が盛に出る。ズルズルズル ポトポトと際限なく膝の上に落ちる。爺サンはしきりにそれを気にして、組んで居た手を放して、懐から紙を出して、チヨイ チヨイと拭きにかかる、また手を組む、ズルズルと鼻汁が出る、爺は手をはなして、
爺『一寸先生失礼』
といひながら、懐から紙を出してツンとかむ、そしてまた手を組む、鼻汁がツルツルと出る、また手を放し、懐の紙を出してハナを拭く。そして大きな声で、
『ヴエー』
と唸り、うなつた拍子に、口が細く長くへの字になる。五六回もこんな事を繰返すのを、黙つて見て居たが、霹靂一声、
『コラツ!』
と喜楽は大喝してみた。爺はこの声に驚いて、一尺ばかり手を組んだまま飛上つた。
喜楽『モウ鼻汁をふく事は相成らぬ。何神か名を名乗れ!』
と問ひ詰めた。爺サンの鼻汁は依然として、遠慮会釈もなくツルツルと流れおつる。拭く事を禁ぜられたので、鼻汁が連絡してしまひ、鼻の穴から膝まで、つららのやうに垂れさがる。喜楽は委細かまはず、たたみかけて、
喜楽『早く名を言へ、早く早く』
とせき立つれば、爺の憑霊は肘をはり、口をへの字に結び、しかつめらしく、
爺『オーオ、俺は、俺は……のう』
と腹の底から途方途轍もない高い声が湧いて来る。そしてまた、
爺『おれはおーれはのう、おれはのう』
と連続的に『俺は』を続けてゐる。
喜楽『なんぢや辛気くさい、その先を言へ』
爺『俺はのう、ウツフン、アツハヽヽヽ』
喜楽『早く名乗らぬか、同じ事ばかり、何べんも何べんも、くり返しよつて、辛気くさいワイ』
爺『オヽヽ俺はのう、俺はのう、クヽヽヽ鞍馬山のダヽヽヽヽヽ大僧坊だワイ』
と芝居がかりの大音声、
喜楽『フヽン、何を吐すのだ。鞍馬山には大僧正なら居るが、大僧坊などと言ふ天狗がゐるものか、有のままに白状せい。果して鞍馬山の天狗なれば、鞍馬山の地理位は知つてゐるだろ。鞍馬山は何といふ国の山だ』
爺『アツハヽヽヽア、バカバカバカ、馬鹿者奴! 鞍馬山の所在が知れぬやうな事で、審神者を致すなぞとは片腹痛いワイ。知らな、云つて聞かさうか、山城の国の乙訓郡であるぞよ』
喜楽『鞍馬山は乙訓郡ではないぞ。自分の居る所さへ分らぬやうな者が、鞍馬山の大僧坊とは駄法螺を吹くにもほどがある。その方は擬ふ方なき野天狗であらうがなア』
爺『見破られたか、残念やな、クヽヽ口惜やなア』
と鼻汁天狗は飽くまで芝居気取りで、切り口上で呶鳴つてゐる。
喜楽『畏れ入つたか、貴様はヤツパリ野天狗であらうがなア』
爺『オヽオウ、俺は俺は、ヤツパリ野天狗であつたワエ』
 言ひも終らず、爺の体は宙に浮かんで、静坐せる審神者の頭の上を、前後左右縦横自在にかけり出した。そして隙をねらつて、目玉のあたりを足げにせうとの魂胆、実に険呑至極であつた。乍併これしきの事にビクツクやうでは審神者の役はつとまらないと、咄嗟に組んだ手をといて右の人差指に霊をかけ、爺の体に向けて、喜楽は指先を右に一回転した。それに従つてクルリと爺の体は宙に浮かんだまま、鼻汁までが円を描いて、右に一回転する。続いて指を左にまはせば、爺の体はそれにつれて左に一回転する。指をクルクルクルと間断なくまはせば、爺の体もクルクルクルとまるで風車そのままであつた。この荒料理には流石の野天狗も往生したと見え、全身綿の如く疲れ切つてヘトヘトになり、とうとう畳に平太ばつてしまつた。そして切りに首をふりながら、顔を畳にひつつけたまま、
爺『一切白状致します、御免下さいませ。モウかうなれば隠しても駄目だから……』
と以前の権幕はどこへやら、猫に追はれた鼠のやうにちぢこまつた。喜楽の質問につれ逐一自白したが、それはザツと左の通りであつた。
『この爺の叔父に一人の財産家があつた。それをこの爺が十四五年前、悪辣なる手段でたらしこみ、財産全部を横領してしまつた。叔父は憤怒と煩悶の余り、精神に虚隙が出来、その結果野天狗につかれ、とうとう山奥にいつて首を縊つて往生してしまつた。死骸は永らく見つからず、二三年してから白骨となつて、山の奥にころがつてゐた。余りの悔しさ残念さに、叔父の亡霊はこの爺が酒にくらひ酔うて、道傍に倒れてる隙を考へ、野天狗と一所に憑依し、そして鞍馬山の大僧坊と偽り、米が非常に下がるから早く相場をして売にかかれ、大変な金を儲けさしてやると云ふので、売方になると米が段々と上がつて来る。今度はまた米があがるから買方になれと云ふので、その通りやつて見ると、大変な大下がりを喰ひ、何回となくたばかられて、大損害を重ね、折角叔父から手に入れた山林田畠も残らず売りとばしてしまひ、駄菓子屋とヘボ材木屋とまで零落させてしまつたのである、尚最後には何とかして命まで取る積で居つた所、今日計らずも、霊術非凡な審神者に看破されたのでございます』
と大体の自白をした。そして鼻汁が盛んに出るのはつまり首をくくつた時、鼻汁を垂れたその亡霊の所為である。白骨の主を手あつく葬る事を爺が約束したので、亡霊はヤツとのことで、爺の体から退散した。乍併退散したといふのは表向で、ヤツパリこの爺の体に潜み、時々妙な事をやらすのである。この爺さんは明治四十五年頃大本へ訪ねて来たことがある。今は家も何もかも売つてしまひ、大阪方面へ出稼ぎに行つたといふことである。

(大正一一・一〇・一二 旧八・二二 松村真澄録)



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