出口王仁三郎 文献検索

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昭和青年 出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(三) 参照文献検索
キーワード: 昭和青年会 
 
本文    文字数=18310

『昭和青年』昭和7年12月号

霊的生活、神饌、女神、霊学、飛行機、霊覚と霊感、安心立命、尸解、一神教と多神教、島生み、竜神、精神作用

神本『営利的な、腹の黒いのは地獄的にやっているのでしょうか』
出口氏『それは八衢的だね。本当の地獄へ行けば生産という事はないから』
神本『現界では日本などは親と子というように経の関係を本位としておりますが、霊界では神様が親様で、あとはみな子に当たるということになっておりますが、一つの家庭におきましては、夫婦の他に祖父母とか父母とか子孫とかが一緒に住むということはありませんのでしょうか』
出口氏『意志想念が合うていると同じ所で同じ団体に住める意志想念というものが合うておれば、村中いくら家があっても一つの家だから』
神本『現界では子供が生まれると大騒ぎを致しますが、|霊子《れいし》の生まれる時にもそれに似た働きがあるのでしょうか』
出口氏『意志想念の世界だから、人間のように妙な所へ○○せんでも頬と頬をくっつければ出来るというようなもんだから、おして知るべきだ』
比村『この間、北海道の雑誌を見たら、お神酒の|香《におい》を嗅いでも修業の妨げになる守護神が多いというて、神様に上げるのまで|止《や》めてると書いてありましたが、少し矛盾していると思いますが』
出口氏『自分が嫌いだからというて上げんというような事はない』
比村『聖師様がお神酒を上げられたら』
出口氏『ワシの肉体は嫌いだ。自分が|撤饌《てっせん》後いただいたら上げたんじゃない。教祖はんは──「神様に上げるものというたらお灯明だけや。他の物はみな、こっちがいただくのや。神様がみな食べはったら誰もよう祭らへん」──と始終言われた。「今日はかしわ買うて来い、今日は何買うて来い」と云って、毎日五合もお酒を飲まれたら本当によう祭らんだろう。それでも召し上がっても供える、自分が食べないでも神様に上げるという信念でなければならんのだ。|主一無適《しゅいつむてき》というのは「神に仕うること生きたる人に仕うるが如し」という精神だ。家が無かろうが、自分が食えなかろうが、神様にお供えする、というのならば本当の精神だけれど』
比村『物語に、男の人が改心すると女神さんが現れます。あれはやさしいという事を表しておられるのでしょうか』
出口氏『愛を表しているのだ。愛は女性的のもの。愛の女神といって女は愛で男は勇気を司る。艮の金神が|稚姫岐美命《わかひめぎみのみこと》のみたまを借りて出口の神と現れると書いてあるが、教祖はんは稚姫岐美命の生まれ変わりだ。それの|体《たい》を借って、霊を借って、教祖と現れたのだ。いわゆる国常立尊は稚姫岐美命であり、稚姫岐美命は出口直であり、という事になっている。神【と】現れるのや。神【に】なるのじゃない。酒呑んで首を振って虎【に】なるのだったら本当の虎になるのだ、が虎となるのだ』
比村『霊学三分で筆先七分とありますが、どういう程度でしょうか』
出口氏『それはいつまでもと云うのじゃない。あの時分は一生懸命霊学ばかりやっとった。鎮魂ばかりしておった。神が在るか無いかという事を人に証明するために三分くらいは見せても良い、という事だ。先になったら霊学などせんでもわかって来る。それはその時の戒めだったのだ。永遠の戒めでも何でもない』
神本『この間、青木中尉が上海から帰って来て、日本でもフーチ[#中国の道院で行われている、神示を受けとる方法]なんかで出してくれると神様が直ぐわかっていいんですが、と云っていました』
出口氏『フーチでも幾分そうだが、神様というものは人をたらすことがある。教祖さんのお筆先でも、「平蔵どの……」とかいって、三千世界の神様が「平蔵どの」などとおかしいけれど……フーチでも「井上留五郎に酒一杯飲まして二十円やれ」というような事まであるのだ。神様の神策で勢いを付けて働かすためだ。お筆先にでも「御用きいて下さったら手柄さす…」と書いてあるが、交換条件みたいに手柄などさして欲しくはない、と思うけれども、初めは手柄のしたい人がおったのだから、|対者《たいしゃ》によってそう言わなならんのだね』
比村『みろくの世には飛行機は要らないとありますが』
出口氏『みろくの世には飛行機よりももっと良いものが出来るからだ。今の飛行機みたいに、あんな事をしないでもよいようになる』
神本『大本でも航空という事に努めておりますが……』
出口氏『過渡時代には必要なのだ』
神本『宣伝はもちろん、聖師様がたが各所を往来されるためお乗りになるというような事もあるのでしょうか』
出口氏『それはある。航空という事の観念を国民に持たすためには、こっちが範を示さねばならぬから……』
神本『我々としては将来に対し大なる抱負を持って……小さい気持ちで引っ込み思案ではいけないと考えているのですが。
 それから救世主が【くも】に乗って再臨されるというのは、船に乗ってお出でになることだとお示しになっておられますが[#第64巻上第15章「大相撲」参照]、我々としては、どうも飛行機にでもお乗りになって文字通り雲の上からお乗りになっていただきたいような気が致しますが……』
出口氏『【くも】は船の事で、飛行船の事だ』
速志『その時分にはツェッペリンよりも良いものが出来るだろうよ』
芦田『誠心と信仰というものがあったら、いわゆる霊覚というようなものがなくてもいいように思いますが』
出口氏『霊覚と霊感とある。霊感というやつはまだええ事はない。霊覚というのは、いわゆる神は愛善だから、神の心を覚ったのが霊覚だ。【ほとけ】は|覚者《かくしゃ》ということで、愛と善とが徹底したのが霊覚なのだ。神様を見たとか何とかいうのは霊感だ。
 それから霊はいわゆる霊ばかりでなしに、霊妙不思議なという意味もある。|霊鷹《れいよう》がとまったとか、霊鳥がとまったとか云うだろう。ワシが作った霊学会というのは、霊魂学ばかりでなしに、この上もない尊い学王学だから、これを霊学と名付けたのだ。霊魂学と霊学とは違う。あの始めにこしらえたのは、その意味からだった』
芦田『では普通の人は霊感ですね』
出口氏『霊感者と霊覚者とは品位の高低が違う。【ほとけ】は覚者という。そこへまだ霊が付いてあるのだから』
速志『結局は愛と善が最上のものであると云う事になるのですね』
出口氏『世の中に善というものは愛より他にない。最も力の出来るもの、総て成功するものは愛と善だ。キリスト、ムハメッドは愛を説き、仏教は慈悲を説き──これも愛だが孔子は仁──仁ということは隣人を愛するという事で、仏教もキリスト教も愛を|経《たて》に、善を|緯《よこ》に説いている──キリスト教はそれで十字架なのだ。総ての宗教は愛を経に善を緯に説いている。人類愛善ということは、各既成宗教及び今までの道徳教の総てを一つにまとめた、まあ云うたら抱擁したのだ、肝腎のエキスをとったような名である。仏教とかキリスト教とかは、米みたいなもので、米の中から出た酒の汁が愛と善なのだから』
田盛『霊心と霊魂はどう違うのですか』
出口氏『それは同じことだ。魂というのは心という事なのだから|四魂《しこん》で心となる。つまり|勇親愛智《ゆうしんあいち》が「心」という字だ。左のノは智でLは愛が受けているので、上の左ヽは親、右のヽは勇である。|鎮魂帰神《ちんこんきしん》は安心立命ということだ。鎮は安なり。人の陽気を魂という、魂は即ち心である。それで鎮魂は安心となる。帰神は元の神の心になればそれが帰神である。別に手を震わしたりせんでも安心立命すれば、それで良いのだ』
加藤『|尸解《しけ》の法についてお伺い致したいのですが』
出口氏『ガット虫が蝉になるのもみな尸解の法である。ガット虫に羽が生えて変わるだろう。麦の中から虫が|発生《わい》いて蝶になる。これもみな尸解の法だ。天狗になったとかいうのは人間のうち尸解の法によってなったのだ。鳥などは自然に従っているから何でも出来る』
加藤『尸解の法によって霊界に入る以外に霊界に入ればそれらの血液はどうなるのですか』
出口氏『鶏なんかは大抵食うようになっているから、殺された時に霊が抜ける。それが霊身を作って、鶏なら鶏になっている。人間の体は死ぬと血が黒うなってしまう。霊のある間は霊が流通させているけれども、霊が抜けてしまうと肉体の中に入ってしまう。|滓《かす》が残っているが血が血管の中を廻っているのは霊が動いているからで、人間の血は霊なのだ。霊が入っているから赤い。霊がなくなってしまったら、水分が体内へ吸収されてわからんようになる。静脈血は初めから黒いが、本当に良いやつは融和してしまう。水気が屍体と一緒になってしまうのだ。血液は元通りあるのだけれども、屍体の中に一緒になってしまうので分からなくなってしまうのだ。霊というものは形のないものだから、形のないものが血液の中を廻っているから赤いのだ』
芦田『私が病気の人を鎮魂して病人の体に手を当てますと、当てる所によって指が激しく動く所とあまり動かない所がありますが』
出口氏『そりゃ矢張り霊の関係である』
速志『狐憑き等と云うものはどんなものかしら』
出口氏『宮川の森蘭丸[#織田信長の側近]の後裔に、琴太という人があったが、そいつが反対者に狐を憑けられた。そうすると狐が腕の中へフッと入って来て、括っても括っても段々奥へ入って来る。それでとうとう|狂人《きちがい》になってしまった。
 それからワシが大阪で狐憑きを頼まれて癒してやったが、体にボコッとふくれたものが出来ている。それは「艮の金神、艮の金神」と書いて段々追うて行った。体中みな書いてしまったらここ(腕)まで出て来た。指の所まで出て来ると「痛い痛い」と云っていたが、とうとう爪の間から|蛭《ひる》のようなやつが出やがってブーッと丸くなった、で、そいつを捕まえようと思ったらコロコロと|門《かど》へ出て、ちょうど|門口《かどぐち》へ巡査がやって来たが、それにぶつかるといきなりサーベル抜いて暴れ出して、ウワーッウワーッと云うて行きよった。そうしたらそのおやじが癒ってしまった。歯ブラシを作る商売で、沢山職人を置いた家だった。いわゆる聖書の云う鬼だね、鬼というでも角の生えたものではない。悪霊を全部一つの言葉で云う言葉だ』
速志『一神教と多神教についての御意見はいかがでしょうか』
出口氏『キリスト教は一神教で「仏教は多仏教、日本の神道は多神教だからいかん」というけれども、天照大神様は一つだ。キリスト教ではエンゼルというているが、エンゼルにはみな役があるのであって、日本ではエンゼルを八百万の神と呼んでいる。|太玉神《ふとたまのかみ》でも総ての神さんはみな一種のエンゼルだ。|野立彦《のだちひこ》の神さんだとかあるけれども、物語ではみなわかりやすいように|宣伝神《せんでんしん》にしておいてある』
速志『国魂の神を生むと云う事や島生み等についてお伺いしたいんですが』
出口氏『国生み島生み、というてあっても、別に○○○から出たのじゃない、淡路島を生むというのは淡路島を開拓することである、島を生み神を生みたまい……とあっても無茶苦茶に生んだのではない。|大国主神《おおくにぬしのかみ》は国を治めようと思うと、その国々へ行って|細女《くわしめ》[#美女のこと]を見てそれと一緒になって、その子を国魂の神にしたのだ。|上根《じょうこん》の人だったらそうやって沢山子を拵えたらよいのだが、現今のような人々がそんな事やるといかん。徳川家康も五十人、子があったというけれども、本当は落胤やとかいうのを合わすと二百人もあった。嫁さんを変えればいくらでも出来る。みな子の種のあるやつを流してしまっているのだから。しかしそんな事を当たり前だと思ってやると、世の中は壊れてしまうからなー……』
比村『それから竜女というのはよく聞きますが、竜男というのもあるのでしょうか』
出口氏『竜は女性的なものだからみな女である。坊主なんかでも竜になるように修業する人があるが、竜でも畜生だから、そんな事するのは畜生以下になっているのだ。狐を拝んだりしているのでも、狐以下になっている。昔交通が不便だから狐が稲の種をくわえて方々へ蒔いたのだ、と云って稲荷さんの使いにしている。また|御饌《みけ》の神というのとキツネとを間違えて、そんな風になったのだ』
小竹『竜神さんというのは竜とは別ですか』
出口氏『竜を竜神と称えたのもあるし、竜神というと幾らか|功《てがら》の出来たものが竜神である。|蚯蚓《みみず》は|赤竜《せきりゅう》、|蜴《とかげ》は|石竜《せきりゅう》、|壁虎《やもり》は|屋竜《おくりゅう》、川の竜は|鯉《こい》、地の竜は馬、海の竜は|鯨《くじら》。それで竜を描くとあんな顔している。馬の首を持って来たり、鯉の鱗を持って来たり、髯を持って来たり、牛の角を持って来たり、総て寄せて拵えてあるのだ、今の竜の絵は……』
速志『人の霊魂とは、つまり下なんですか』
出口氏『そりゃそうに決まっている』
小竹『××分院に大竜神として祭ってありますのなどは……』
出口氏『宣伝使があんな事してしまったので、顔がつぶれるから、してやったのだ。それで○○を叱ってやった。|功《てがら》してからでないと祭られんのだけれど、早く功を立てるようにと云って祭ってやった。たとえば田吾作でも村長という名が付くと役場へ出て幾分でも仕事が出来る。雨の神、岩の神、地震の神、みな竜神である。お働き次第で祭るのだ』
小竹『子供の時によく蛙を沢山殺したりしますが、何ともないものでしょうか』
出口氏『阿保ほど強いものはない。こっちが何ともないのだから、どうもない。精神作用というものは恐ろしいものだ。医者がこんな実験をした。コレラの|黴菌《ばいきん》を死刑囚に「これは滋養になる」と云って飲ませたが、何ともなかった。また葡萄酒を死刑囚に持って来て「お前は死刑になるのだが、この薬を飲んだら楽に死ねるが、首を絞められて死ぬのとどっちが良い」というと「そっちの方が良うございます」というのでそれを飲ましたら、何ともないのにコロッと死んだ。
 また「お前の指をちょっと切って、こうやっていると、百読むうちに血がみな出てしまって楽に死ねるのだ」と云い聞かしておいて、寝さして体を包んで耳だけ聞こえるようにして、初め水を指先に落としてヒヤッとさして、そして「一ー二ー三ー」と読んで行って、「九十九、百」というと、コロッと死んだ、ということだ。
 人間は神様を信仰して、神の|生宮《いきみや》であるという事を常に考えて、そして何でも魂を強く持たないといかん』
速志『時間も参りましたから、今夕はこれで終えさして頂きます。どうもありがとうございました』