出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
昭和青年 出口王仁三郎氏を囲む座談会 (四) 参照文献検索
キーワード: 昭和青年会 
 
本文    文字数=10089

『昭和青年』昭和7年5月号

速志『また四回目の話を聞く会を開かして頂きたいと存じます故よろしく御願い致します』
出口氏『あんなこと書いてくれちゃ困る、何もかも云うて来ても解らんでよ。専門的な小さい事まで聞きに来てもワシゃ知らんでよ、それに現界の者に解らせようと思えば大抵やないさかいにな』
比村『私は日出麿様に九月から入れて頂きました比村であります。どうぞよろしゅうお願いいたします』
出口氏『比村さんか、変わってしもうたね』
富田『よくなったんですか、悪くなったんですか』
出口氏『顔が長くなってしもうたな』(笑声)
速志『日出麿様から三猿主義を命ぜられて蟄居しているので……未だ御挨拶にあがらずにいたそうで』
──一同笑声──
出口氏『三猿主義か……敬猿(遠)主義やがな』
──一同笑声──
速志『神様に敬遠主義をしたらあかんでよ、そやさかい閉門をおうせつけられるんやで』
出口氏『こんなもの貰うたんや、ちょうど皆に一つずつやれる程ある、ホラ……』
と松葉薬煙草を出席者に一箇ずつ投げて下さる。
出口氏『ワシは敷島[#煙草の銘柄]以外は吸えんの』
速志『ウエストミンスターのような外国煙草もあかんのですか』
出口氏『矢張り、あかんな、敷島に限っている』
富田『物語を拝読しますと、よい御内流を頂くのは、あれはどういう風に解釈したらよいもんで御座いましょうか』
出口氏『それは霊魂の餌食が殖えるからや。肉体に餌が要るように霊魂にも餌が要るやろ。そして犬には犬の食い物があり、猫には猫の食い物があり、人には人の食い物がある。そうやさかい、あの物語でも人によっては適当せん事があるがな。天理教は天理教ので満足してあれで喜んでいるやろ、天理教の信者はあれでないといかん。大本の話をしても判らん。そして大本の信者やって矢張りそうや、天理教の話なんかしても阿呆らしゅうて聞いておれん、霊魂の餌食にはならん、そして向こうは(天理教徒)向こうでふとらん。犬は犬、牛は牛で皆それに応じた食い物があるようなもんや、ただそれに応じて智慧証覚の度合が違うだけである。天国の団体も違う。その代わりに……』
富田『そうすると聖師様、大本の団体は大本人だけで御座いますか』
出口氏『それはそうやとも、意志想念が合うたもんやないと寄れんがな──天国の一番の創立者は教祖さんや、霊国の創立者はワシや、ワシの霊性が大神の内流を受けて動いているのや』
── 一同ハア ──
富田『仏教を信じていた人が亡くなりましたのをお祭り代えいたしますとどうなりますでしょうか』
出口氏『それは祭り代えてやると地獄に堕ちているものでもそれで助かって来るのや、神は絶対の権威やし、絶対の愛やから、その血の通うた子孫がお祭り代えをやれば、その先祖が改心したと同じ事になるのや、何故というと自分の昔の父母であり、また先祖は自分の昔の|身体《からだ》である──自分の父は昔の自分の身体やさかい、その子孫が祈れば地獄に堕ちていても許されるに決まっている。木にたとえてみたら、親が根本の幹で、それから枝が四方八方に出ている。同じ木の幹から出た枝やさかい、幹がふとれば同じように枝も繁って行く、先祖と子孫は同じ|系統《すじ》やさかいに先祖が良くなれば子孫が良くなり、子孫がよくなれば先祖も同じようによくなるのや』
富田『物語の中にお|玉《たま》の|方《かた》でしたか、夫なくして子供を生むという事がありましたが[#弥仙山麓の於与岐の郷に住む豊彦の娘・お玉が玉照姫を生んだことを指す。第18巻第2章「厳の花」参照]、ああいう事があるものでございましょうか、たとえば|基督《キリスト》にしても……』
出口氏『あれはね、夫なくして子供を持つという事は、神様から貰った子や|他人《ひと》が生んだのを自分が貰うたけれども言葉の綾でああいう風に書いてあるのや。つまりね、どうしても夫婦の間に子がないやろ、そうすると家をつがす子孫がない。そんな時に神様はある他方面の子供をよく生む機会をもっている人の所に行って生ましておかれるのや、三人も五人も生んでる、それを産土の神と産土の神との間にいいように契約が出来て、人間がお願いすると都合よく自分の家の血統の子を貰う事が出来るのや、そんな子は自分の家の先祖が|他家《よそ》へ生まれて来ているのや。だから初めての養子を帰してしまったら、その家はうまくおさまらん。そこへ来るべき者やからな。赤の他人を貰うたと思うたら違う。初めて来た養子というものは今言ったように自分ところの血統である、何代前の先祖か親が生まれて来ている、ある便宜上そういう事を神様がさしておられるのや』
富田『聖書のマリヤの処女懐胎というような、ああいう事はあり得べき事でございましょうか』
出口氏『それは処女懐胎というても──そりゃ処女でも懐胎するでよ──処女でもするような事をしたら懐胎するがハヽヽ(一同笑声)しかし本当は相手がなくて原因なしに子が出来るという事はない』
富田『そうしますと、基督は私生児だという説が本当らしゅうございますね』
出口氏『そういうはずがないでの。しかしお釈迦さんが|脇《わき》から出来たというけれどもあれは神の右に|坐《ま》すとか左に坐すとか云うやろ、そういう左の【わき】(脇)というような意味で仏の【わき立ち】としての智慧をもって現れたという事であって、仏の【わきだち】となるべき資格をもって生まれて来たから脇から生まれて来たという事になる。やはり親が種を蒔いたと同時に聖霊が母親の体内にやどったので、脇から出たという事はそういう意味である。ある人はことさら神聖らしくしようと思うて、女の陰部から出たという事を否定し、攻撃する人があるが、それも間違っているのや──そしてお玉の方が生んだあれも正式の夫はなくても男がある事はきまっている』
速志『聖師様。物語にお玉の方が十八ヶ月もかかって子供を生んだとありますが、あれは|三六様《みろくさま》の霊という綾なんでしょうね』
出口氏『そうやとも、三六、十八やでの』
高橋『支那人は十八ヶ月くらいの者はよくあるって侯さんが云っていましたが、やはり支那人は気が永いからそんな事があるのでしょうか、そしてただの三ヶ月というのもあるそうですが、侯さんはそんなのは珍しくない、支那には沢山あると言っておられました』
出口氏『それは精神が間違っておるから|胎《はら》んだり、ずったり、また次に出来たり、或いは色々な事があるのやな、しかし十八ヶ月というのは、それはないでよ、ワシは支那に大分行って調べてみたけれども。生理学上からどうしてもそういう訳には行かんもん、馬は十二ヶ月や、三百四十五日で生まれる、牝馬なら三百四十日、牛が二百八十五日、牝牛が二百八十日、人間も女子は二百八十日、男は二百八十五日、それから遅うなれば晩産、三日でも遅れると遅産。早産は少しそれより早かったら遅産というのや。中にはもっと早く生まれるのもあるけれども、これは母体が弱かったりなんかして、保ちかねて出るんやな』
比村『聖師様、男はなんぼ生まれ変わっても男で、そしてまた女は女なんでしょうか』
出口氏『そんな事ないね、男女の区別が出来るのは、母の体内にはいってからや、それから変わって来るのや、女ばかり|放《ほ》っておくと、一緒に寝ないで一人で寝かしておくと概して女ばかり生まれるのや、ワシがそうやろ、あれは一緒に寝んさかいや(笑声)家が小さうて親爺と嬶がひっついて寝ていると男の子の方が比較的多く生まれる、それは男の気がうつって来るからやがな。普通三ヶ月くらいは男女がきまっておらん。三ヶ月後に男女がきまって来る。医学者は何というか知らんが霊学の方から云うとそうや。
 |霊子《れいし》が、天人が天上で交合する時に(もっとも現界の人間のような事はせんけれども)その時に天人が出した霊子が、天人の感染しておる所の現界の人々に……、つまり、それがフッと感じた時に地上の人間にまたそういう観念が起こって来て、その時にパッと入って来るのやな』
大崎『その霊子が入って来る時には霊子が男性であるか、女性であるか区別がついているんでしょうか』