出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
出口王仁三郎全集 第1巻 全8巻(復刻)1998.07皇国伝来の神法出口王仁三郎参照文献検索
キーワード: 国教論 鎮魂帰神 光格天皇 顕幽四段階 天照大御神 素盞嗚尊 天皇観 祭政一致
詳細情報:
光格天皇様の御製にも「神様の国に生れて神様の道がいやなら外国へ行け」とある
日本古来の神の称呼には、左の四大別があります。之を具体的に略解すれば、
  一、幽の幽神……霊《ひ》|力《ふ》|体《み》
  ニ、幽の顕神……世《よ》|出《い》|燃《む》
  三、顕の幽神……地成彌凝《ななやこ》
  四、顕の顕神……足諸地夜出《とももちよろづ》
と四種に区別があります。
〇『顕の顕神』は、天先ず定まり地成つて後、天照大御神の御神勅に依り、豊葦原瑞穂国(地球上)の主として、天降り給ひし、皇孫邇々岐尊《すめみまににぎのみこと》様を初め、歴代の日本国に主師親の三徳を具有して、君臨あらせらるゝ現人神に坐《ま》しますので、畏多くも、我 天皇陛下は、天照大御神の御子孫で、顕の顕神に坐《ま》しますのであります。
幽斉の研究について
帰神昔から神様が、人民にうつられた事はありませぬ。何れも皆国家の一大事に際して斗り、帰神が行はれたのであります。我々臣民に、大神様の御うつり遊ばした事はありませぬが、今回は二度目の天之岩戸開きと云ふやうな、世界の大事変でありますから、因縁の身魂なる、出口開祖に帰神になった事と拝察されます。
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第三章 皇国伝来の神法

(一)

皇国伝来の神法たる、帰神の妙法に就て、少しく説明を試むる考へでありますが、先決問題として神とは如何なるものであるかという事を、述べねばなりませぬ。物質的文明にのみ心酔せる現代人は十中の八九まで、神様と申せば、只一言の下に、迷信だとケナシテ了ふ癖があります。宇宙の太霊とか、宇宙の精神とか、不可思議力とか、大極とか、真如とか、宇宙の大本体とかいふやうな名称を附けると迷信でなくて、神様といへば迷信と思ふ人が、世の中に多いやうであります。併《しか》し私は神国に生れ、神国の神に仕へ、神国の大君に仕へ奉り、神国の粟を頂戴して居る以上は、神様の事を神様と申上げても、別に迷信だとは考えませぬ。
 光格天皇様の御製にも
  神様の国に生れて神様の道がいやなら外国へ行け
と仰《あふ》せられて在ります以上は、飽く迄も、神様の御道を遵法いたさねば、日本神国に安住さして頂く資格の無きものと、堅く信ずるので在りまして、敬神、尊王、愛国の為に、至聖を日本国家につくすは日本神民の天賦の職責である事は、論をまたぬ次第であります。
 日本古来の神の称呼には、左の四大別があります。之を具体的に略解すれば、
  一、幽の幽神……霊《ひ》|力《ふ》|体《み》
  ニ、幽の顕神……世《よ》|出《い》|燃《む》
  三、顕の幽神……地成彌凝《ななやこ》
  四、顕の顕神……足諸地夜出《とももちよろづ》
と四種に区別があります。

(ニ)
 『幽の幽神』と申しますのは、無限絶対、無始無終の宇宙の大元霊、大妙体の事でありまして、皇典古事記には、天御中主神と奉称し、並びて高皇産霊、神皇産霊のニ霊を合一し、三神即一神の幽神であります。古典に、独神而隠身也とあります。即ち独一真神、宇宙の大本元であります。易のいはゆる太極、仏のいはゆる真如、基督のいはゆるゴッドまたはゼウス、漢人のいはゆる天帝、或ひは上帝等は、皆この天之御中主神の事であります。故に此大神は至真、至善、至美、円満具足の神の意義であります。世界一般に通じて神と申すのは、無声無形の幽の幽にます神様をさすのであります。
 『幽の顕神』と申し奉るは、天之御中主大神の御精霊体を完備し、茲《ここ》に『霊系祖神《いざなぎ》』『体系祖神《いざなみ》』ニ神を顕現され、天上の主神と産出給ひし、光華明彩六合に昭徹し給ふ御皇祖天照大御神、並びに素盞嗚神様の御事でありまして、天上の主権は、皇祖天照大御神様に帰し、地上の主権は皇祖素盞嗚神に帰したのであります。茲《ここ》に初めて神界成就の端緒が開けたのであります。故に吾人は万世一系、天壌無窮の我天津日嗣天皇の御祖先たる、天照大御神を第一に尊敬することを忘れてはなりませぬ。吾人が神人合一の妙境に入り、天地の真象を極めんとして、幽斉を研究するにも、第一番にこの天照大御神の幽許を受けねば、如何に一心不乱に修行致しましても、成功は出来ぬのであります。
 『顕の幽神』と申しますのは、大地球成就の為に顕現され、国土を修理固成し、神人安住の基礎を定めて、地上の幽界を守り玉ふ神霊でありまして、国祖国常立尊、豊雲野尊、又は一度現世にその肉体を表現された神様であります。要するに幽の顕神は、天上の霊界を主宰し給ひ、顕の幽神は、地上の幽界を主宰し給ふ神々の事であります。『顕の顕神』は、天先ず定まり地成つて後、天照大御神の御神勅に依り、豊葦原瑞穂国(地球上)の主として、天降り給ひし、皇孫邇々岐尊《すめみまににぎのみこと》様を初め、歴代の日本国に主師親の三徳を具有して、君臨あらせらるゝ現人神に坐《ま》しますので、畏多くも、我 天皇陛下は、天照大御神の御子孫で、顕の顕神に坐《ま》しますのであります。故に斯の日本国の天皇様に刃向ふ所の国は、滅亡すべき神代の神誓神約があるのであります。又斯《かか》る尊き現人神様たる天皇様に、微塵程でも不敬不忠の精神を有つて居つたならば、皇祖の大神様は、大変な懲罰を下し玉ふは当然であります故に至厳至重なる神法、幽斉の修行を希望するならば、第一に天照大御神の御幽許を受けねばならぬと同時に、其人が無二の敬神家、無二の尊王家、無二の愛国者でなければ、絶対に資格がないと云ふ事を承知して戴きたいのであります。
 扨《さ》て天上の神界にては、天照大御神様を主神と仰ぎて、八百万の天津神が政事を輔佐奉仕され、又地上の神界では、国祖国常立尊を主神と仰ぎて、八百万の国津神が奉仕されるが如く、顕界にても皇孫尊《すめみまのみこと》様なる、我天津日嗣天皇に仕へ奉る所の文武の百官が、顕の顕神として、国家の為に活動して居られます事を、承知致さねばならぬのであります。職原抄にも、四部官の制定が記されて、長官をカミ、次官をスケ、判官をジョウ、主典をサカンと読ましてあります如く、皇国の制度では、長官を総てカミと唱へられたのであります。故に上《かみ》は内閣総理大臣より、各省の大臣及び各局長、各府県知事、裁判所長、検事局長、郡市長、警察署長、郵便局長又は町村長に至るまで、残らず皇国にてはカミと称するのであります、明治維新迄は、国守をカミと唱えました。総て是等のカミは顕の顕神様の部下にあって、夫れぞれの守護をされる神様であります。是にて皇国のカミの区別並びに御職掌が、大略了解された事と思ひます。

(三)
 幽斉の研究、並びに修行は、至貴至厳なる神事でありますから、神界にては、神界御制定の御規律を遵奉し、顕界にては、天皇陛下の臣民たる義務を盡《つく》し、現界の御規則を堅く守る人士でなくては、神界の御聴許が下らぬのでありますから、世にありふれたる降神術や、太霊道や、霊子術や、静坐法や、催眠術を研究するような、格合には行かぬのであります。斯の神人感合の妙境に入らむとする幽斉の修行は、幽顕両界のカミの御神慮に叶ひ奉る。至正至直の身魂でなけらば、決して誠の神に感合する事は出来ませぬ。併《しか》し幽界にても、又現界にても、随分いかゞはしい神様はありますから、各自の審判《さには》が最も肝要であります。

(四)
 併《しか》し乍《なが》ら現代の人間は、体主霊従の物質万能主義に眩惑した結果、何人と雖《いへど》も、多少身魂に汚濁を招いて居って、至清至純の日本魂《やまとだましひ》なるものが欠損して居りますから、至清至浄、至尊至貴の神霊に感合し奉り、国民天賦の天職をつくさんとして、帰神の修行を為すに当たり、先ず第一に、各自の神魂と身体とを浄《きよ》めねばなりませぬ。そこで帰神修行の準備として、鎮魂の神法に由り、身魂の大祓を執行したさねば、畏くも皇祖天照大御神の御聴許を得《う》ることが出来ぬのであります。
 開祖の神諭に『昔から神はモノを言はなんだぞよ。世の変り目であるから、神が懸かりて世界の人民の何彼《なにか》の事を知らして、改心をさせねばならぬから、神が懸かりて、モノを言う時節が参りたぞよ 云々』と誌《しる》されてありますが、御神諭の通り、昔から神様が、人民にうつられた事はありませぬ。皇典古事記神代の巻に、天之岩戸の段に於て、天之宇受売命の神懸りや、その他にニ三の実例が、古書に散見されますけれ共《ども》、何れも皆国家の一大事に際して斗《ばか》り、帰神《かむがかり》が行はれたのであります。我々臣民に、大神様の御うつり遊ばした事はありませぬが、今回は二度目の天之岩戸開きと云ふやうな、世界の大事変でありますから、因縁の身魂なる、出口開祖に帰神になった事と拝察されます。又開祖の御神諭に『稲荷(狐の事を指し給ふ。実《まこと》の稲荷は保食大神《うけもちのおほかみ》也)は、誰にでも憑《かか》るが、真の金神は禰宜《ねぎ》や巫女《みこ》にはかからんぞよ。云々』とありますから、特に清らかな身魂を、神界から御使用遊ばさねばならぬので、畏くも至誠至忠の百姓《おほみたから》に、日本魂《やまとだましひ》を奮起させん為、神界より神秘の門を開かれたのでありますから、到底人間の考へる斗《ばか》りで、帰神の修行は出来ないのであります。