出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
スサノオの宇宙へ──出口王仁三郎の霊界物語を語る1994.02霊界物語 第七八巻~第八一巻・特別編-入蒙記出口和明・ほか参照文献検索
キーワード: 霊界物語
 
本文    文字数=7505

○蒙古入りと神聖会とは面白い関係がある。入蒙と神聖会は解釈が定まっていなかった。『大本70年史』の編纂に関わった学者には、入蒙は大日本帝国の満蒙進出と同質に見えるし、「昭和神聖会は太平洋戦争前夜のファシズム運動と同類じゃないか・・・」とか解釈に困ったようで、編纂時の討議記録などを読んでいても、すっきりしていない。
 「天祥地瑞」と昭和神聖会を関連ずければはっきりしたものが見える。
○78巻は、グロス島(旧帝国日本)の西に位置する忍ケ丘の国津神が、東京に相応しそうな東にある桜ヶ丘の腐敗した天津神と交替する話で、簡単に言えば、天皇中心の旧大日本帝国から、出口聖師の示された主神中心の道に建て直されることが示唆されているようだ。国体変革だとか昭和維新というか、予言的で暗号めいた表現がちりばめてある。
 聖師は78巻を発表され、その書き下ろされたシナリオで、昭和神聖会から第二次事件、そして新生日本と愛善苑の発足への演出をはじめて行かれた(三平)
○79巻が昭和神聖会発足直前、80巻が直後の口述である。
○79巻から80巻も葭原の国で「葭」も「葦」も同義だから、日本のことを描いている。終戦前後と相応させると示唆に富む話だ。
○入蒙記との関連。入蒙記6章「出征の辞」にある天体現象と、78巻口述の際に現われた天体現象との相似が78巻に紹介されている。月と太白星の天体現象。
 最初は大正10年2月12日、第一次事件勃発時。第二の天体ドラマが3年後の大正13年2月12日「楕円形の月と太白星が白昼燦然と輝き出す」現象を見て聖師は蒙古への出発を決意される。第三が78巻口述中の昭和8年12月20日。(78巻6章)
 月と太白星は共に救世主のシンボルだ。三つの現象に共通するのは救いのドラマの開始を告げているということ。
○グロノスは、グロテスク、ゴロスは「殺す」のイメージか。両方大日本帝国のイメージだ(三平)
○昭和8年12月20日の天体現象が、そっくりそのままに、霊界物語のドラマに組み込まれている。天津神が国津神になり、国津神が天津神になる部分。御樋代神の芦原比女が改革を決意する場面だ。
 その「天降地上」がなされたのが芦原比女がグロスの島の司になって20年。終戦の予言か。
 朝香比女の十曜の神旗の歌。葦原新国の旗を十曜の神旗にすると歌っている。
 十曜の神旗をかかげるということは、主の神に立ち戻る、主の神への信仰を第一とするという姿勢だ(窪田)(78巻16章)
○葦原新国の旗で十曜の神旗が国の御旗であると祝詞の中に書いている(78巻18章)
○忍ヶ丘の国津神・野槌彦は「10年の長きを艱みし…」と歌っている。昭和10年に第二次事件で、それから聖師や信徒が10年間封じられていた予言か(78巻9章)
○81巻最後のサールの国の悲劇の結末で、主の神への帰一が霊界物語の最終巻最終行となっているのも象徴的だ。最終章が口述された日が8月15日。昭和8年の旧8月15日に開始され、翌年の新の8月15日で終わっている。終戦の日だ。終戦によって、それまでの神から、主神へとかわって行くことができるようになったわけだ。(81巻20章)
○サールの国は「然ある」(さある)ということが。
○78巻の序文も、表面は天皇信仰が書かれているようだが、宇宙的な主神信仰に立ち帰ることが聖師の言いたかったことではないか。
○入蒙記第一章には入蒙が火の洗礼であることが書かれている。聖師がされようとしたのは、精神的、霊的に枯れ野化したアジアの地に、新たな光と熱を与えようとされたのだと思う。(三平)
○天祥地瑞の燧石は具体的だが、内容としては「火(霊)の洗礼」ということになる。(三平)
 燧石の登場は、巌と巌の摩擦によって火が発することを鋭敏出の神が教える。(76巻4章)76巻15章で煮炊きを教え、77巻24章で、燧石を授かった田族比女は国宝とまであがめている。
○物語8巻では、伊邪那美の死去とからめて、火の文明を否定する論調がある(8巻39章)。天祥地瑞では火の文明が高く評価されるのはバランスの問題だろう(窪田)
○79巻は古事記の豊玉姫の話と、ウガヤフキアエズ命との関連が伺われる。
○昭和10年10月の事件前最後の秋の大祭で竜の島根の神劇が行われている。
○竜宮は、物語1巻は竜宮からはじまり、教団史も綾部の竜宮館からはじまる、天皇家も竜宮関係から始まっているわけだし、79巻もそう、安定しない(窪田)
○戦後の大本でお茶をしないものは信徒ではないという風潮があったが、あれは80巻の水奔草のお茶であると言っていた。
○『月照山』には、78、79、80巻の歌が多数再録されている。昭和18、9年という時代と時代の、葭原の国、伊佐子島の雰囲気が似通っているのでは。一番多く再録されているのが80巻7章「月見ケ丘」である。(三平)
○81巻は悲惨な世界。この巻ほど、殺人、自殺、心中が多く書かれた巻はない。
○朝鮮半島からの強制連行労働者を酷使しながら秘密裡に作られた松代大本営で、81巻で、真珠湖に住む人魚族の涙が真珠として貴ばれ、南からも北からも搾取される話など、具体的にピタリという相応ではないものの、人魚族の悲しみや怒りと響きあう。
○イドムの国のイドムはチベットではスサノオの別名(15巻13章)。イドムの国の国王が、アヅミ王で、スサノオに縁深い安曇の連にちなんでいる。そんな国なのに真珠の涙で栄えていた。(窪田)
○入蒙記の解釈は、開祖・聖師の神格問題もある。エルサレムを目指されながらアジア各地で主神への信仰を回復させようとした聖師の思いを大事にしてゆきたい。朝鮮半島では普天教、中国では紅卍会、さらにラマ教等、アジア全体に響く霊的なものがある。ベトナムのカオダイ教もそのころにはじまっている。
○『月照山』の中に、昭和18年暮れの歌で「赤峰は早陥落ときくゆうべ心の駒のあがきやまずも」(2632)という歌があるが、出口和明氏が考証した、出口清吉と聖師が出会った場所である。