出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
スサノオの宇宙へ──出口王仁三郎の霊界物語を語る1994.02霊界物語 第七三巻~第七七巻出口和明・ほか参照文献検索
キーワード: 霊界物語
 
本文    文字数=7072

○非常時の中での口述開始であった。昭和8年11月19日の信者総会で天祥地瑞の口述のことを語っている。これまでは天国のことを書いていて、霊国のことは書いていなかった。
○第1巻から72巻までの口述が、第一次大本事件の渦中、アマテラスの官憲がスサノオの宇宙を破壊にかかるその時からだった。「天祥地瑞」も、15年戦争で、アマテラス国家が、本来スサノオの宇宙であったアジアや日本庶民の生活を壊し始める時に、口述を始められた。
○「天祥地瑞」の最初の三巻分は、幽の幽の神界とか、太元顕津男神と比女神たちの、恋だ、愛だと、一見悠長な感じで、時代離れしているという印象になりそうですが、そんなバラモン的な時代だからこそ、根源的な愛の世界、それはスサノオの宇宙だと思うのですが、それを表現し、後世に残したかったのではないかと思いますね。(窪田)
○戦後の大本教団では三代教主のもと霊界物語そのものが神棚にあげられていたし、天祥地瑞を読むなど、恐れ多いという風潮が作り出されていた。
○寝転んで読んではいけない理由は、「男女の色事が描かれていて、寝ころんで読んでいると変な気になるからだ」と先輩に聞いた。(三平)
○「子供をつくってまわるような話はけしからん」と出口日出麿氏が王仁三郎に原稿の段階で訂正を申し入れたという話や、「神秘の扉」(73巻27章)をやめてくれと、そのゲラに手を入れたのを、聖師が校正段階で元の通りにされたとか、活字記録にはないものの、そんな話が伝わっている。(三平)
○「天祥地瑞」では西の宮のやり方が、はっきりと描かれていて、それを嘆いた歌が多い。太元顕津男神が「西の宮は凡神ばかりだ」と幾度も嘆かれている。
○天之道立の神の教えによって、凡百の神々が小乗的になり、顕津男神の神業を妨害しはじめるのは大問題だ。
○「凡神の目に写る我岐美の神業は悪しと写りこそすれ」(74巻15章)スサノオ的な顕津男神の神業は、社会秩序や既成概念を無視すると映って、理解されがたく、妨害も多い。
○二度の国家弾圧も聖師の大愛のために引き起こされたし、その中からスサノオの宇宙が輝きだした。
○高地秀山の比女神たちが顕津男神の子供ができないのは、顕津男神を慕っていても、御樋代神は御樋代神としてのプライドがあり、ぴったりと息が一つに合わなかったからではないか。自分の尺度にこだわっていたからだ。
○73巻15章の出発はスサノオが地教山から一人旅をする(5巻15章)のと相応する。悲しい出発であるし、勇ましくもある。
○普通なら「神に二言なし」ですが、天祥地瑞では神に二言ありである。太元顕津男の神に降った主神の言葉では、「御樋代神以外と結ばれてはいけない、生代比女の神の恋の要求を勇猛心で退けよ」(74巻10章)とあったのに、その主神が生代比女が太元顕津男の神の子を産んだときに大いに祝福する。
○生命がけで愛と誠を貫くときには神の言に背くとされた悪も祝福される(74巻14章)
○朝香比女の神も主の神の道に背くと知っていても出発する。主神の言葉に背いているようでありながら、朝香比女の神を動かすのは、主の神の生言霊であるので、主神も祝福する。(76巻7章)自己内面にうづいている主の神の生言霊に立ち返ることが神の愛でられる愛のようだが、この愛が発動するときは既成の垣根が壊されて行くようで、どうしても、抵抗を受ける。
○80年も高照山の御樋代神・如衣比女のところにいたばかりに、如衣比女は大蛇に襲われ、昇天する(73巻22章)
○如衣比女を呑んだ大蛇が何故生まれてきたのかをめぐっての物語は考えさせられる。
 顕津男神も、行くべき国々が気になるが、身近な情愛の世界も大事にしたい。なにかすっきりしない部分が邪気となり、大蛇になり如衣比女を襲う。(73巻28章)
○太元顕津男神は勇猛心がないときついことが書かれている。顕津男神の魅力は、情にも流され、悩みつつも、くじけず進まれるところだ。(74巻25章)

昭和八年一一月一九日の信徒総会での話。

「これまでは天之御中主大神からこちらの事を大体書いたのでありまして、天国の事は書いておりますが、霊国の事はまだ書いていない。これは初めから霊国の話は容易にわかるものではありませんから、七十二巻を読んでおいてその間に予備知識をこしらへて、それから霊国の物語をしようといふ考へを始終もっておりました。それで筆録する人も養成する必要もあり、七年間かかってあるいは──神代の言葉はちょつと解らないので──その表現法に非常に苦しみ、これはいつそのこと歌の方で表したらまだやはらかく聞こえるだらう、しかしながら神代の言葉計りであつたならば、「ウ」「ア」ばかり言つておつて何も判らぬ、そのために明光社の人をもつて筆記の稽古をさしておいて、いよいよ今日になつて始めて見ましたがむづかしい。なかなか筆記もできず、今迄の様に三日で一冊出来たものがどうしても十日位かかる。あるいは十五日もかかつて一冊がようよう出来たのであります」

「いよいよ超非常時の日本が参りまして、これから先は、なんどきどんな事が起こるか分らぬ様な場合になっております。今日よりも明日もう一ツ世の中は悪くなり、また明日よりも明後日はもう一ツ悪くなつてくるのです。ちょうど高い山の上から岩石がころげて落ちるようなものである。これを中途で支て止めるということは出来ませぬ。これをたとへていうなら、山の頂上が一升なら八合、七合なら四合目位迄ころげて来ている。しかし後の四合は今までの六合よりも、急速力で谷底に岩石が落ちる様に、世の中は非常に切迫して来たのであります」

*『スサノオの宇宙へ』P.280付近よりまた引き