出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
大自然の経綸──出口王仁三郎の教旨 | 1988.11 | 神がかり | 土屋重徳 | 参照文献検索 |
キーワード: 神懸と神憑 鎮魂帰神 | ||||
詳細情報: 【Web管理者 土谷氏の意見かどうか出典が不明】 次のとおり、帰神(きしん)、神懸(しんけん)、神憑(しんぴょう)の三種類になります。 (イ)帰神(きしん)とは…… 人間の精霊が直接大神に向って神格の内流を摂受し、大神と和合した状態をいうのです。言い換えれば、自分の精霊の本源である大神の神格に「帰一和合」することであって、宇宙と同化することです。帰神状態になった人はその人自身が大神の分神になったのであって、別な神が宿っておられるのではありません。 このように、帰神とは、大神の直接内流を受けていることなのですから、これは預言者として最も重要な資質であり、これによって霊界の真相の伝達が可能になるのであります。従って、帰神状態になり得る人は滅多にあるものではなく、なり得る人は、時代により必要に応じて神界から予め用意された真人、即ち救世主、預言者です。これは繰り返して申しますが、なろうとしてなれるものではなく、稀有の神的現象と申すべきことです。 (ロ)神懸(しんけん)とは…… 大神の神格に照らされ智恵正覚を得、霊国にあって天使(エンゼル)の地位に進んだ天人が、人間の精霊に降って来て、神界の消息を人間界に伝達するのをいうのであります。 つまりこの場合は、その人以外にその人の中に別個の神霊、即ち天使が宿っているのであって、大神の神格はこの天人を介して伝達されるのです。これを神格の間接内流ともいいます。 これもまた、預言者としての適格者を得て、その者の中に精霊を充し、神界の消息を或る程度まで人間界に伝達するものであり、世界の各宗教の開祖は大抵この方法によって教義を受得したのです。 (ハ)神憑(しんぴょう・かみつき)とは…… 外部から人間の肉体に侵入し、罪悪虚偽を行なう邪鬼があります。この悪霊による霊的現象を称して神憑というのです。従って、前の二つ(イロ)とは、およそ違います。そして、普通世間にいわれる「神がかり」とは大抵この「神憑」なのです。 すべての偽預言者、贋救世主などは、この悪霊の囁きを深く信じ、かつ、憑霊自身に対しても貴い神と信じ込み、そのために自分の口から説き教えるところもまた、神の言葉であると信じてしまっているのですから恐ろしいものです。 このような「神憑」は自愛(利己心)と世間愛(神への不敬)から来る凶霊であって、世人を迷わし、かつ、大神の神格を毀損すること甚だしいものであります。 つまり神憑は、現界の人間がもっている善霊を亡ぼすだけでなく、肉体までも亡ぼすことを謀るのですからまったくおぞましいことで、人は信仰するにあたっては、鎮魂帰神なる神術によって得られた教えであるか否か、いわゆる神や教祖が神憑でないか、どうか、それを充分にみきわめることが肝要です。 近来、天眼通とか千里眼とか、或いは交霊術の達人とかを自称する者が多いようですが、それらは、ほとんど名ばかりであり、よくいっても精霊界に一歩踏み入れたくらいなものです。天国の消息などには、到底手がとどくものではありません。 たまには、「最下層天国」の一部の光明を遠方から眺めて、憶測をくだしている霊媒者もあるようですが、これらとても信ずるには価しません。 霊媒者といえども、真相をきわめた上ではなくて、好奇心から妄りにこれを人間界に伝えたりすれば、精霊界はおろか、地獄道に落とされます。これは想念の情動上やむを得ないところであります。 |