出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 外流と内流池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 内流と外流 神懸と神憑
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清瀬弁護人 それから被告が勾留されて居りますから、弁護人でありながらちよつと面接の遑がありませぬので神憑の……筆先と云ふものは、是は原則として移られた霊の意思を手で伝へるものだ、が併し、平生の人間としての体験から自分の知つて居ることが先行する。私の意思も交つて居ると云ふことを言つたが。
裁判長 言つて居ります。
清瀬弁護人 処がね、もう一遍之をお訊きを願ひたいのであります。それはどう云ふ意味だか。
裁判長 どう云ふ意味です。
出口 それは神が憑つて来るのに付ては、自感、他感、神感と云ふ銘々に深い浅いがありまして、自感は自ら感ずる、他感は他から感ずる、神感は直接内流です、他感は直接外流です。
 それから、さう云ふ具合に神の移る場合が違つて居ります。
 今なんですか、ひよつと忘れて……。
清瀬弁護人 それで、自分の意思も交つて居ると云ふのですか。
答 それは意思と云ふ意味ではありませぬけれども、意思と云ふものではないけれども、詰り外流と云ふ方は、今迄総てにあるから、自分の頭に何時と云ふことなしに入つて来て居るのが、それが時に依ると、言うたら潜在意識とか、今日の学者が言ふやうに、其処に入つて居る。
 それが入つて居る奴は、何時とはなしに神憑り時に一つ緒くたに混つて居る、と云ふやうな私は意味やと思ふのです。
清瀬弁護人 さうすると混つて出るのは混ぜようと欲して混ぜるのでなく、自ら体にあるものだから混ざると云ふ意味ですな。
答 さうです、混るのは、所謂良い酒は飲んでも後に何も残らぬ、沢之鶴と云ふやうな酒は所謂二日酔などをして仕様がない。
 それと同じやうに、良い事はずつと頭へ入つてしまつて覚えて居ない。悪い事は入らないので後で頭に残つて居る。それで覚えて居る。
 併し、何時になつても妙なことを覚えて居るのは、それは悪いことが残つて居るので、良い事は霊魂の餌食になつてしまうて居る。
 良い事は其の儘入つてしまつて忘れてしまふ。併し、矢張り中に入つて居るのだから神さんの喋つたことを聞いたりなんかして見ると、何時やら、何時か自分も聞いたことがある、想ひ起すと云ふさう云ふ意味なんでございます。
裁判長 自然に出て来ると云ふのですな、詰り。
出口 意思を以てやるのぢやありませぬから。
裁判長 それも現れると云ふのだね、何時と云ふことなしに……。
清瀬弁護人 さうだらうと聞きましたが、意思と云ふ言葉が邪魔になつて……。
出口 用語が余りはつきりせぬものですから──。
裁判長 判つた/\。