出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 六合拝池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 不敬罪
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本文    文字数=1895

問 斯う云ふことは余り面白くないのぢやないか。前駆後駆を設けると云ふやうなことは。
 それから、七番を抜いて八番に行きませう。
 大正八年頃から毎年の旧正月、夜明前に祭祀課長及幹部の五、六人を連れて、綾部の黄金閣の三階に上つて六合拝と云ふのをやつて居つたのか。
答 はいやつて居りました。
問 後から止めたのか。
答 止めたのであります。
問 是は、宮中の四方拝を真似たのか。
答 神さんの命令で、天地四方を拝むと云ふことになつて居りますから、四方拝を真似たらそれをやるのですが……
 四方拝の時は皆朝起きて拝みます。お祀りを致します。
 是は旧の正月に神様が綾部へ下つて来るから拝め、と云ふことだつたのです。
問 其の六合拝の時に、
  天が下四方の国々ことぐく
    我が言霊に靡き伏すらむ
と云ふ歌を唱へて居つたのは、是は何時頃か。
答 一遍だけでした。
問 十四年頃からですか。
答 毎年違ひます。
問 是はどう云ふ意味だ。
答 詰り私の口から出た教が、風に草木の靡き伏すが如くに、世界中に拡まるであらうと云ふ意味です。
 「らむ」ですから弱い言葉です。
footnote
四方拝 しはうはい 一月一日に行われる皇室祭儀。四大節の一。明治以前は元旦寅の刻に天皇が清涼殿の東庭で属星(ぞくしよう)を唱え、天地四方・山陵を拝して年災を払い、五穀豊穣・宝祚(ほうそ)長久を祈った。現在は神嘉殿の南座で伊勢皇大神宮・天地四方に拝礼する。陰陽道(おんようどう)に由来。