出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 天皇に酷似した服装池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 不敬罪
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本文    文字数=2309

問 それから此の点はどうだ、大正九年頃に福知山の装束屋衣川と云ふ者に……。
答 衣川です。
問 黄櫨染の袍と云ふものを拵へさせて居つたと言ふが、今天皇陛下が御召になるものぢやないのか。
答 それはクウロンの活仏から……黄色のが一番上なんです。紅教と言ひまして、紅教の方は紅の着物を着、黄教と云ふのは黄色の着物を着る。其の布を呉れた。布を是程(と手真似しながら)呉れた。それが、方式です。
 それを蒙古に行く時分に、其の時に、「之を着て行かなければならぬ。此の布の色の何を拵へて呉れ」と言つて置いた。
 処が、そんな物を拵へて来た。色はちよつと違つて居ります。けれども、あれを衣川が持つて来ました。
 「是はちよつとおかしくないか」と言ひましたら、衣川の言ふには、「其の代り、大本の十曜の紋とか松とか梅とかが書いてあるから差支ない。私は有職故実を学んで居る。先祖代々のことだから気遣はおへぬ。」と言ふのです。
問 おかしいとは思つたのか。
答 私は判りまへぬけれども、何だとか彼だとか大層に言ふから、ひよつとしたらさうやないかなと言つたら、霊が懸つて来て、「大本の御祭をする時には、稚宮さん即ち仁徳天皇さん、綾部の八幡さん即ち応仁天皇さん、此の神がお出でになるから御懸になつた時にはどうしても着なければいかぬ」と云ふことだつた。着るのは嫌やと言つたら……
 それで一遍着たのですわ。それがどうしても着まいと思うても、体が硬ばつて仕方がないから着た。そしたらすつと直つたのです。二度より着て居やしまへぬ。
footnote
黄櫨染の[御]袍 くわうろぜんのごはう 天皇が年中の祭儀に着ける黄櫨染の袍。桐・竹・鳳凰(ほうおう)・麒麟(きりん)の地紋がある。夏は生絹(すずし)、冬は練絹で裏は同色の平絹、腋(わき)は縫腋(ほうえき)。明治以後は即位礼にも着用する。