出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 白馬に乗つた王仁三郎池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 不敬罪
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本文    文字数=3983

問 それから、(三)に依ると、豊生館内に白馬に御召になつて居られる大正天皇さまの御写真と、其の向つて左横に王仁三郎の白馬に乗つた写真を並べて掛けて置いたと云ふことだが──。
答 それは嘘です。
 私が行く時には、何へ行く出雲へお祀りに行く時ずつと一遍廻つた。其の時に何処にも掛つてやしまへぬ。
 それに、大正天皇さまの白馬に御召になつて居る写真と云ふものは大本にはありまへぬ。大きなものはありまへぬです。
 それが、写真にちやんと載つて居るから、大変不思議に思つて居るのです。
問 それを予審で見せて貰ひましたか。
答 見たことがありませぬ……
 見せて貰うたが、「私はそんなことは知りまへぬ」と言つた。
 「私が知らぬ間に誰ぞ青年会の者が」……、「そんなことを言ふならば、青年会の者が罪になるぞ」と言はれたから、黙つて居つたのであります。
問 ちよつと畏多い話だがね。
答 私もさう思つて居ります。
問 大正天皇とありますが、今上陛下の御写真ですね。
答 さうですね、初めて見たのです。
問 今上陛下の御写真と、白馬に乗つた王仁三郎の写真を竝べて掛けてあつたことは……。
答 掛けてなかつたのです。
 後から誰か掛けたか知らぬと思つたが、私は知らぬ。私はちよつとも知りまへぬ。私の白馬に乗つて居る、そんな大きなのも知りまへぬ。
問 関知せぬと云ふのです。本当に知らぬならばそれで宜しい。
 四の事実は、「昭和八年の八月に亀岡の東光苑に於て白馬に乗つて昭和青年会の査閲分列式を行つて、式後岡部と云ふ退役軍人の信者が居つて、それが旗手となつて昭和青年会の騎馬隊の三角旗を立てて先頭に進んで、其の次に、王仁三郎が白馬に乗つて昭和青年会を率ひて亀岡から穴太迄行進した。其の時の写真及記事等は真如能光及同年九月発行神の国に掲載してある」とあります。又、「右以外にも、二回程、白馬に乗つて昭和青年会の査閲を行つたことがあるが」と言つて居るが、是はどうぢや。
答 それはあるのです。
 けれども、是は、蒙古に行つた時で、向ふでは宗教家は全部白馬に乗るのです。
 宗教家と見たら敵が撃たぬのですから、蒙古では喇嘛は白馬に乗りますが、喇嘛を皆信仰して居りますから、敵の中へ入つても白い馬だつたら撃たない。
 それで、私は、向ふで白馬に乗つて居た。私の白馬に乗つて居る写真はこつちへ持つて来た。又、白馬の赤い奴を取り下げて、詰り、言うたら、自分の方から下げて貰つたのです。
 さうした所が、もう廃馬になつた赤い馬ですから、ちよつと穴太に行つたら二度目にはへたつてしまつた。そんな馬を買はされた。乗つたのは本当です。
問 陛下の三角旗を立てて、儀仗警衛に真似て、分列式の査閲を行つたのはちよつとげせぬぢやないか。
答 それは軍人さんが皆居つたものだから……私は知りまへぬもの。
問 陛下の観兵式と同じだらう。
答 ちよつとも、三角旗があつたことも、何も知らなんだのです。
footnote
儀仗 ぎぢやう (1) 儀式に用いる装飾的で形式化した武器。(2)儀式。
警衛 けいゑい 警戒し守ること。また、その人。警護。
査閲 さえつ 軍事教練の成績を実地に調べること。