出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/genshow.php?CD=12738&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=

原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 昭和九年十一月九日の瑞祥新聞池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 不敬罪
ルビ付き本文:
ダウンロードページ
 
本文    文字数=3486

問 それから、其の次の昭和九年十一月九日に、「昭和十年、日記を発行するに当つて」三百四十七頁の欄外に──
  言さやぐ君が御代こそ忌々しけれ
      山河海の神もなげぎて
 と云ふのがあるが、是はどうです。
答 それは違ひありませぬ。
問 是はどう云ふ意味です。
答 それは日本は惟神、論げせぬ国で、黙つて居つても唯陛下の御命令だけで治るべき国です。
 日本は惟神の論げせぬ、又は言霊幸国で、善言美詞を用ひたら宜い国です、「言さやぐ」と云ふことは、コミンテルンやとか、或は社会主義やとか、無産党やとか、共産党やとか、自由主義やとか、無産主義やとか、さう云ふやうな色々の個人主義、さう云ふ説が日本に入つて来る。
 さうすると、是を銘々の学者連中が説き、傍の者がそれに做うて色々の説を取つて喋べると云ふことが「言さやぐ」と云ふのです。
 近い例を申しますと、大学の立派な先生が斯う云ふことを言うて居ります。──「人類学の上から言うて見ると、此の古事記に書いてある出雲国譲りと云ふことは、是は初に骨の……人骨から調べて来ると、出雲地方には何が居つたかと言ふと、アイヌが住んで居つた。それをモンゴリヤ人が出て来てアイヌを他所へやつてしまつた。さうして、其処を占領した。そこへ又、馬来半島から馬来人が出て来て其のモンゴリヤ人を追ひ払うてしまうた。是は古事記では巧く国譲のことに使うて居るのだけれども、実際は是は馬来人とモンゴリヤ人──蒙古人、是等の者の喧嘩であつた」──斯んなことを帝大の名誉教授の小金井博士が言うて居ると云ふことは確かで、私が此処の支所に入つて来た時に、昭和十一年の四月に発行して居る「人」と云ふ新聞があります、週刊新聞があります。入監者が見せて貰うた新聞ですが、それの五百三号の十頁にそんなことが立派に書いてある。
 斯んなことを言ふと、国体を尊重し古事記を日本の宝と思ふて居るのに、馬来人と蒙古人の喧嘩であつたと云ふと、どうも天孫瓊々杵尊は馬来人やないかと云ふやうな具合に人は思ふのぢやないかと思ひます。
 斯う云ふことが「言さやぐ」だと思ふのであります。
問 色々な悪思想が入つて来てと云ふ……。
答 現在私が読んだのだから──それから「山河海の神」と云ふのは、柿本人磨の万葉集にも、時の帝が河内国へ船に乗つて御遊びになつた其の時に、山は錦を照らして、さうして、紅葉して神様の……天皇陛下の御目を喜ばせようとし、河は清い清流が流れ、魚が出て来て、さうして、陛下の御儀になつた、と云ふやうな意味の歌がある。
 総て陛下に仕へて居るのに、斯う云ふ山河までが、海までが陛下に仕へて居るのに、斯う云ふことが出て来ると言ふと、山の神も河の神も嘆く、我々のみならず山河海の神までも嘆く、と云ふ意味なんです。