出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 霊界物語の第七巻の歌「月の光の…」池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 不敬罪
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問 宜しい。
 昭和七年十月三十日、同物語第七巻の第三版を発行するに当り、其の六十一頁に、
  月の光の昔も今も変らねど
      大内山にかゝる黒雲
と云ふ歌があるが……。
富沢弁護人 それを御訊きになる時にお願があります。
 それは証拠をちよつとお示しを願ひたいと思ふのであります。
裁判長 証拠……。
富沢弁護人 えゝ、第十巻のに百六十七頁、先づ之を御覧をお願ひ致したいと思ひます。
裁判長 歌ですか──。
富沢弁護人 歌です。
 其処を御覧下さいますと、大正十一年二月二十六日、旧一月三十日、是は六個となつて居ります、それから次に三百四十七頁、之を御覧を願ひたい。之も大正十一年二月二十七日、旧二月一日、北村隆光録となつて居りますが、さうしますと、其の歌のある所ぢやなく……言霊学と云ふのが其の前にありまして、三百二十八頁(完)となつて居ります。
 さうしますと、三百二十九頁に五首歌がある。
 最後に、大正九年一月十五日講演筆録外山豊一と、斯うなつて居ります。
 そこで、「大正九年一月十五日講演筆記録と云ふことを書くべきものは、三百二十八頁の終り(完)の次に書くのぢやないか」、之を御訊きを願ひたい──と申しまするのは、此の作は大正十一年の作だと斯うなつて居りますから。
裁判長 どうぢや。
出口 十一年の作ぢやありませぬ、十年の作です。
富沢弁護人 九年の一月に拵へたものぢやありませぬか。
(此の時清瀬弁護人、富沢弁護人に私語す)
 違ふのですか、版で見て居るから。
出口 「日の光」が「月の光」になつて居ります。
裁判長 版は──。富沢弁護人初版です。
清瀬弁護人 今仰しやることは必要ですが、其の事は予審の決定書に付ての五の所でお確かめを願ひたいと思ひます。
富沢弁護人 それぢや間違ひました。
裁判長 此の十年の作、七巻の三版を発行する際に、今言うた歌を掲載して発行したことは間違ひないだらう。
答 其処に載つて居れば間違はないだらうと思ひます。
問 どう云ふ意味ですか、此の歌は──。
答 「月の光昔も今も変らねど……」の「月の光」は「日の光」でないと云ふと、さうやないと云ふと、文句が違ひます。
問 書いてあるぞ。
答 それでも文句が合ひませぬ。
 「日の光」と云ふことは、詰り我が皇室の天津日嗣の御光は昔も今も万世一系で変りはないけれども、そやけども其の時の陛下には御悩があつて、国民が非常に苦しんで居るから、「大内山にかゝる黒雲」と云ふ名詞で止めてありますが、歌の方は名詞で止つてる時は、三十一文字で名詞になつて終つて居たら、其処に深い意味が──書外の書、言外の言がありまして、黒雲が一時も早く霽れさせ給へ、と云ふ意味が含んで居るのです。
 歌と云ふものは名詞で止つて居ると、後に残つて居る文句があるのです。
問 歌の説明は宜い、此の歌の趣旨はどう云ふのだ。
答 それは、「陛下が御悩をなさつて居るのを痛み奉る」と云ふ意味を書いたのです。
問 どなたの。
答 大正天皇様です──
 其の時は私が未決から出して貰ひまして四、五日した時に、大変御重態だと云ふことが新聞に出たりして、綾部の官民一同が八幡神社へ御平癒の祈願に参拝した時です。
 それで、十年と云ふことを考へ出したのであります。
問 それぢや、大正天皇の御悩のことを歌つたと云ふのだね。
答 それで「黒雲」に、一時も早く霽れさせ給へと云ふ意味が含んで居るのです、総て歌は、
  君が代は千代に八千代にさゞれ石の
      巌となりて苔のむすまで
と云ふのも、茲に、言霊学者から聴きますと、「君が代は千代に八千代に『栄へませ』、さゞれ石の巌となりて苔のむす迄『在はしませ』と云ふ文字が隠れて居るのださうです、それで三十一文字で「君が代は千代に八千代に……」とあるやうに、それと同じで、かゝる黒雲「一時も早く霽れさせ給へ」と云ふ祈の言葉ですけれども、三十一文字にした為に言外の言、書外の書があるのであります。