出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 更始会(2)池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 更始会
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本文    文字数=2143

問 それから、「昭和四年五月二十四日、教主殿に、伊佐男、高木、岩田、四方、湯川、湯浅慶太郎、桜井同吉、栗原七蔵、東尾が出席して、更始会の組織確立に付ての総務会議を開き、協議の結果更始会規約を議決し、且つそれ迄に王仁三郎から宇宙徽章を貰つて居る者を取調べて、其の者を更始会員とし、今後の入会者からは入会金一円宛を納付せしめて宇宙徽章を渡し、各会員は毎月応分の金を更始会に納付し、更始会に集つた金は大本本部の費用に充てる事と決めました。」
 「宇宙黴章は大正十三年に王仁三郎が蒙古入をする以前に渡しましたが、更始会は有名無実で其の組織は出来て居なかつたので、王仁三郎が伊佐男に更始会の組織を確立せよ、との命令があつたので、其の結果右総務会議を開き更始会の組織を確立したのであります。更始会の会長には伊佐男がなつて、会員は順次増加し、最後には一万二千人位となり、会員からの醵金は、一箇月約千円位になりましたと。それは宜しと、それから昭和四年の七月二十四日教主殿に、伊佐男、井上、高木、四方、岩田、湯川、慶太郎及東尾が出席して、伊佐男の提議に依り大本瑞祥会の亀岡移転に付て総務会議を開き、協議の結果大本瑞祥会を亀岡に移し、同年八月十六日王仁三郎の生誕祭を期し名実共に亀岡を大本の宣伝活動の中心地とする事と決定し、其の頃議定通り実行しました。是は大正十四年以来王仁三郎は主として亀岡に居り、且亀岡の諸設備が整つたのと、宣伝活動の中心地が綾部と亀岡の双方に在つては統制も取れず不便である為、活動中心地を亀岡に移したのであります」と。
footnote
醵金 きょきん 〔「拠金」とも書く〕ある事をするために複数の者が金を出しあうこと。また、その金。