出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 昭和坤生会池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 昭和坤生会
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本文    文字数=1545

問 さうとは思はぬ、さうぢやありませぬかと訊いたのぢやないか、さうするとそれで宜いのぢやないか。ないと言ふのだから──「昭和坤生会と云ふのは、私の意見に依り昭和青年会の婦人部を独立させて昭和七年の十一月一日に創立した」のだね。
 同会の規約の第二条には、「本会は地上に真の平和と幸福を齎す為、愛善の大精神に基いて、最善の誠を謁し、歓喜に充てる明るき世界の実現を図るを以て目的とす」とありますが、是は同会は至仁至愛の国家の建設を以て目的とすると云ふ意味で、同会の目的も大本の目的と同一で、同会は世界の活動機関の一つで昭和青年会の……。
答 世界の……。
問 「大本の活動機関の一つとして昭和青年会の後継部隊とも言ふべきもので、昭和坤生会の総裁は私で、会長は出口澄であります。同会にも本部及び支部に会旗があつて、同会の総本部を綾部に、本部を亀岡に置き、最近支部約三百箇所、会員約一万五千人位ありました」と、斯うなつて居るが、是はどうぢや。
答 是は矢張り……。
問 書いて居ることはどうぢや。
答 書いて居ることは……
 是は、昭和青年会と同じ精神です。同じ精神であつて、唯、婦人団体、女の団体と云ふだけです。
 それで……。