出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 書籍の掲載確認池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 王仁三郎全集
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田代弁護人 裁判長ちよつと時間が過ぎたやうですが、只今の十五の書籍の発行に付てですな、「全集に掲載してあるものは、何れも、自分に於て掲載方を承諾したのだ」と云ふことであるが、所が、此の前の陳述ではですね、「知らぬ中に皆編輯係がやるのだから、自分は全然知らなかつたのだ」と云ふことを言うて居りますが、其処をもう一遍……。
出口 それは知らなかつたのでありますけれども、私が許した以上は、私が承諾したと言はなければならぬやうなもの。私が役員を任命したのだから、私が許したことにしなければしやうがありまへぬもの。
問 さう云ふ意味か、宜し。
答 其の意味で私は御答へして居るのです。総て編輯を私は御答して居るのです。
問 十五迄にして十六以下は略して置きます、決定事項に関係がないから──。
答 其の外の書物でも一々私が命令して書かして一々調べたのではありまへぬが、私が命令したことにならなければなりませぬ。
問 其処は能く考へて訊くが、其処は、「斯う云ふことを掲載した方が宜い」と思つて、委員会で決定した所を王仁三郎の所へ持つて来てそれに署名したのではないか。
答 そんなことはありまへぬ。
 私は方々へ行つて居りまして……日記を見て貰うたら判ります、いつ何日にはどこに居るかと云ふことが判ります。いつ何日には何々の雑誌を校正したとか見たとか云ふ……
 其の私の日記は大正十五年からずつと昭和十年迄ありますから、昭和十年迄それを見ましたらはつきり判るのです。
 さうして、印刷してから私の机の所へ、一部上納やとかなんとか云ふことで以て来て居ります。それで見に来ますけれども、迚も見る間も何もありやしまへぬ。見た所が、載つてしまつてから後で事後承認見たいなものですから任してあるだけです。
 全部銘々に知識のある人ばかりですから、私よりも賢い人、大学を卒業した人もあるのです。私などよりももつと学問のある人が居るのですから、私は一々調べることも必要ありまへぬし、調べる間もありまへぬ。
 けれども、私が任したのやから私がしたと云ふ意味になるので、且つ私は責任を逃れると云ふことは嫌ひですから、そこで申した。
問 全部ぢやないが、自分の斯う云ふことを掲載するのを承認を求めて来た場合もあると云ふのだな。
答 そんなことはありまへぬ、ちやんと原稿を持つて来て見て呉れと云ふだけです。
問 持つては来るけれども見たことがないと云ふのだな。
答 原稿を持つて来た時は見たことはありますが、十遍に一遍もありまへぬ、方々歩いて居りますから。
 十年からこつちは現界的活動をやると云ふので、方々廻つて居るのです。
 日記を見て貰ひますと、「斯うしたとか斯うせい」とか、「何日の瑞祥新聞を持つて来たから斯うせい」と云ふ歌を、全部書いてあります。
問 さうか。責任上さうなるが、実際はさうぢやないと云ふ意味なんだな。宜しく。
答 さうです。