出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 建造物池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 建築物
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本文    文字数=5760

問 それから、決定に書いてあることだが、「矢張り、大本の為に各種の建造物を増築して大本の設備を充実し、色々其の建造物を増築して、建物を増築して、大本の設備を充分にし、それから大本の最高幹部、総務、大宣伝使等を任命し、それから駐在宣伝使及特派宣伝使を選定して、各地に派遣し分所支部等の宣伝活動を指揮監督せしめ、それから幹部役員をして天恩郷大祥殿に於て大本教義の講義講演を為さしめ、それから大本信者から大本の活動資金及び建築資金を徴収し、機関紙神の国の真如の光、瑞祥新聞、明光及び人類愛善新聞其の他大本教義を掲載したる霊界物語、出口王仁三郎全集等を発行し、尚昭和八年の一月大本瑞祥会を廃し、同時に大本を皇道大本と改称し、大本の活動機関として昭和青年会、昭和坤生会と云ふのか。」
答 はい。
問 それと、「大本の補助機関、外廓団体としては昭和神聖会を各強化する等大本の拡大強化に努めた」と云ふことはどうですかね。
答 さうでございます。
問 能く判つたでせうね。決定にも書いてありますし、準備でも能く訊いて居りますし……。
答 其処にちよつとなんとか仰つしやいましたが、昭和坤生会とか神聖会とか各……。
問 外廓団体……。
答 外廓でなしに……。
問 拡大強化……。
答 違ひます、其処に一字何か各が入りましたね。
問 大本の活動機関として昭和青年会、昭和坤生会……。
答 会の一番終ひに各と云ふのが……。
問 創立、昭和青年会を創立したと云ふこと、昭和青年会、坤生会を各創立した……。
答 はあ。
問 斯う云ふ会でしたね。「大本の大きくなるのに努力した」と云ふ、是は間違ひないか。
答 其の通りでございます。其処は違ひありまへぬ。
問 準備でも認めて居つたからね。
 尚、此の点に関しては予審の四十六回、四十七回、四十八回に於てだね、詳細のことを述べて居るやうですがね、書いてあるやうだが、是は予審に於てどう云ふことを言うたかは覚えて居りますか。
答 覚えて居りまへぬ。私は、意思にないことを訊ねられたから、皆其の通り言うて置きました。
問 それぢや、こちらから読みますからね。
清瀬弁護人 今の拡と云ふのは拡大強化と云ふ言葉を……。
裁判長 各創立したと云ふことです。
出口 各々と云ふ意味と違ひますか。
裁判長 昭和神聖会と坤生会と三つあるから各を付けたのです。
 先づ、之を、建築物の増築の点を予審で言うて居る点を訊きますがね、宜いかい、四十六回の一問答に於て、「大本の設備に付ては昭和三年七月二日亀岡天恩郷内に先づ明光殿を建て、其処には明光社を置き、それから同年の十一月十六日には同月明殿、其処には天照皇大神を祀つた。」
答 月明殿ですか。
問 名前はどうでも宜い。
答 ちよつと待つて下さい。月明殿は違ひます。
問 月宮殿ですか。
答 さうです、月宮殿です。
問 それから、「昭和四年の十月二十八日には、同じく、智照館を建て、大本の宣伝用の写真の作成及び販売所とし、それから、同年の十二月二十七日豊生館を建てゝ、昭和六年八月には第二豊生館を建て、昭和青年会の寄宿舎とし、武術部とし」……。
答 更生館と云ふのは寄宿舎のことか知りまへぬが、更生館と言ひましたかな。
問 豊生館だよ。
答 あーさうですか。どんな字が書いてあります、豊ですか。
問 それから、「昭和五年の四月に綾部に穹天閣を建て、同閣の二階を宝物庫とし階下を私及び澄の居室とし」……。
答 穹天閣……。
問 穹天閣、宜いか。
答 はあ。
問 それから、「昭和六年の八月、天恩郷に更生館を建てゝ、大本の宣伝の軸物、写真等を陳列した。」
答 それは私の六十一の祝で、還暦の記念に建てたのです。
 それで、私に関した一枚額とか色々なものは皆其処に並べることにしたのです。さうして、それを又、宣伝にも一緒に使ふとつたのです。
問 それから、「八月の二十二日に御三体の大神様を祭る為に長生殿の基礎工事を竣功せしめ、それから七年の二月二十日天恩郷に天声社を建て、大本の出版物の印刷発行所とし」……。
答 何月ですか。
問 七月二十日です、間違ひないよ。
答 天声社、瑞祥閣と違ひますか。
問 瑞祥閣は、又違ひます。印刷所、是は間違ひないね。
答 違ひありまへぬ。
問 文献もあるが、念の為に……。
 「大本の愛善運動の為に天恩郷に愛善幼稚園を建て、七月二十二日亀岡の瑞祥閣を建て、大本の受付、庶務会計等の事務所とし、同十年の一月二十五日天恩郷に透明殿を建てゝ、私と高木鉄男とが寄居し、同殿を昭和神聖会の統管部とした。」
 是は宜しいね。
答 はあ。