出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
大本史料集成 全3巻 | 1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻 | 歴史 昭和の教勢発展 | 池田昭・編 | 参照文献検索 |
キーワード: 二次事件裁判 教勢発展 |
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本文 文字数=4054
問 この大本が昭和三年の三月三日以来は目覚しい発展をしたのぢやありませぬか。
答 幾分か日に月に進んでは居りますけれども、余り目覚しい発展をして居りまへぬ。
信者が殖へもすりや、死んだ人もあり減つた人もありますから、余り目覚しい発展はして居りまへぬが、併し、支部の数を殖やしたと云ふのは、一つ支部が四つも五つも分れて余計になつて居るので、支部がたつた三人か四人の信者が居るやうな所もあるのです。
それで、表から見ますと非常に発展したやうですが、実際の数に於ては発展して居りまへぬ。
其の本を見たら判ります。其の雑誌の売れ方を見たら……。
問 あヽさうか。それで三十七回の四問答に依ると斯う云ふことが書いてありますね。
答 私のですか。
問 うん。「三年三月三日以後、同日至聖殿に昇殿した私等十九名、大本の最高幹部信者等が協力して組織した大本の目的を達成せしめんとして、天恩郷に月明殿を建て、綾部には穹天閣、亀岡には透明殿を建て、其の他第十表に御示しの……
之は色々な建物がありますがね。
答 其の意味の発展はして居ります。建物の意味の──私は信者のことやと思ひました。
問 建物の意味ね。
「大本の……それから大本の補助機関、外廓団体である人類愛善会の拡大、人類愛善新聞の読者百万人獲得運動があつた。」
「それから、大本の信者及び分所、支部の倍加運動を起し、それから大本の活動機関として昭和青年会、昭和坤生会を創設し、大本の補助機関外廓団体として、昭和神聖会を組織し、同会の会員百万人、賛同者一千万人獲得の運動、大本及び大本の外廓団体に於て各種の機関紙を発行し、既に発表した私の主張及び所説を纒めて、王仁三郎全集を発行し、其の他大本教義を書いた単行本を発行し、大本の本部及び分所、支部に於て、大本教義の講義、講演を為し、特派宣伝使を派遣して大本の教義を宣伝せしめ、且つ主会、聯合会、分所及び支部の活動等を監督指導せしめ、それから昭和八年の一月二十六日に大本瑞祥会を廃すと共に、それ迄、単に大本と称して居つたのを再び皇道大本と、今度は改称した。」
之は遠慮して元に復した訳だね。
答 遠慮して居つたのです。
問 「大本の拡大強化を図つた結果、三年三月三日熊本県吉松村と横浜市滝の上とに別院があつて、分所、支部は五百八十数ケ所、大本信者は約一万人余りでありましたのが増加をして、昭和十年の十二月の検挙当時に於きましては、大本の別院は二十七ケ所、分院は三十九ケ所、主会は三十四会、聯合会は百四十数会、それから分所、支部は千九百八十数ケ所、大本信老数、約七万人位になりました。」
其の通り書いてあるがね。
答 それは申上げますが、二万とか七万人とか云ふことは、之は……。
問 それは大体のことでありませう。約と書いてあるからね。位と書いてあるからね。
之は、「建物の方に於て、宣伝機関に於て、外廓団体に於て、信者の方に於て之だけになつた」と云ふことを書いて居るが、之はどうぢや。
問 それはさうですけれども、其の位のことは……余り華々しいことぢやないと思ひますが。
五万や六万、世界でニ十億もあるのに、たつた大本に六万や七万出来たところで、私は華々しいとも何とも思ひませぬ。