出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 昭和時代の役職員と組織池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 大本の組織
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本文    文字数=4591

問 それから、三月三日当時に於ける大本を構成する主なる役職員はどうなつて居つたのだな。
 之は、三十七回の一問答に依ると、斯う云ふ具合に書いて居るが。之は之で間違ひなからうな。
(此時裁判長は被告人に対し記録を示す)
答 それは其の時には……覚えて居りまへぬが、大本の何か文献を調べてお書きになつて居つた。
 文献から取つたのなら、間違ひありまへぬ。
問 お前が書いたのだから、間違ひないぢやないか。
答 それは、私も雑誌を見て言ふたのです。れて居つたから……。
問 間違ひないのでせう。
答 書いてあつた通りですから。間違ひありまへぬ。
問 それから、昭和三年の三月三日以後昭和十年の十二月上旬迄の大本の組織、役職員の氏名、之は東尾に対する予審の十二回訊問調書にだね、附して居る第一表乃至第六表の通りとありましたですがね。
 組織のことは東尾に詳しく訊いて居るが、間違ひないことと思ひますが……
 之を見て御覧なさい。
(此時裁判長は被告人に対し右書類を示す)
答 それは、書いてあることやつたら、間違ひありまへぬわ。
問 書類を調べて……。
答 はあ、書類を調べて書いたのなら、間違ひありまへぬ。
問 昭和十年の十二月頃は、本部統理は出口元男で伊佐男ぢやないと云ふこと、之はちよつと訂正してあるやうだが。
答 俄かに変つたのです。
問 変つた。
答 何か変つたと云ふことを聞いて居ります。
問 あとは間違ひないな。
答 あとは間違ひありませぬ。
 それだけは正直に書いてあります。文献に依つて書いたのだから。
問 それから、大本総本部及び本部の各課の担当事務、及び支部、分所の使命は矢張り東尾の第七表に書いてあるが、之は此の通りと訊いて宜しいかな。
 まあ、間違ひなからうと思ふがね。
答 ちよつと見せて戴きませうか。
問 之は写したのだからね。間違ひないことだらうと思ふがね。
(此時裁判長は被告人に対し記録を示す)
答 それは、書いてあるのやつたら、間違ひありまへぬ。
問 之は東尾が色々調べてやつたのだが。
答 之は、もう、此の通りです。
問 間違ひないね。それから、大本の総本部及び本部の各課の担当事務、之は此の通り今訊いたね。
 それから、まあ、色々役職に付いたり辞めたりして居りますがね、王仁三郎は、併し、大本に於ては関係して以来は事実上大本の統轄はして居つたのでせうね。
答 事実上統轄して居つたのです。
問 職を離れたりして居るが、それから又みろく大祭の時は止めたり就いたりして居るが。
答 実際は、皆、私がやつて居つたのです。
問 統轄して居つたのだね。
 それから、外廓団体、大本の人類愛善会、其の他大本の外廓団体の創立の時期及び目的は東尾の第十二回訊問調書の第九表に詳しく書いてあるがね。
 此処に書いてあるが、ちよつと見て御覧。此の通りだと思ふがね。
 詰り創立の時期と目的が斯う云ふことだと云ふことが書かれてあるが、間違ひないだらうね。
(此時裁判長は被告人に対し右第九表を示す)
答 間違ひはありまへぬ。
問 全部は書いて居らぬやうだがね。
答 愛善会の……。
問 愛善会ばかりぢやない、青年会もある。
答 神聖会……。
問 此処に青年会がある。
答 之は、皆、此処に色々と変つて居りますけれども、之は、結局、矢張り大本の為めです。大本の主義と同じことです。
問 之は、又後で、訊きたいと思ひます。之は創立の時期は宜いのですな。
答 之は此の通りです。
問 之は宜いと、今云ふた以外に第九表の外に更始会、大日本武道宣揚会、エスペラント普及会とか云ふ大本関係の団体はありますね。
答 あります。