出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 宗教公認の問題池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 宗教公認
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問 所で、この宗教公認の問題を訊ねるがね、弁護人からも話があつたが、宗教公認の運動は、当時、して居つたのか。
答 して居つたのです。
 昭和二年からして居つたのです。私の所へ岡崎鉄首と云ふ者が来たのです。
問 まああの経緯は訊いたが、あの通りですか。
答 あの通りです。
問 それで、平渡信と云ふ人に五万円渡して居ると聴いたが。
答 五万円か、殆ど五万円か渡したのであります。
問 渡したのはいつですか。
答 二年から三年頃迄です。
問 三年のいつ頃。
答 それは覚えて居りまへぬ。
 之は岩田さんも居りましたし。何か知つて居ると思ふのです。
 中野岩太に御田村が──それで私は其の金は大本から出したと思ふ。
問 平渡信に出したのは、いつ出したかそれは覚えないか。
答 覚えまへぬ。
 併し、之はニ年から三年迄の間です。昭和三年迄の……。
問 昭和三年のいつ頃。
答 二月頃でせう。
問 二月頃迄の間。
答 へえ。
問 二年の六、七月頃からだと思ひますと、それで相当見込があつたのだね。
答 それは向ふが見込があるさかいに、之は高等政策で、向ふの方から大本をぐら/\させて居つてはいかぬから早くやれと、之は間違ひないと……。
問 平渡と云ふ人が誰に手続をするのだ、運動するのだ。
答 それは私い……。
問 話の相手に依つちや可能性もあるのだらうが……。
答 それは政友会の何に話がしてやらうと言ふたのです、鈴木さんに──。
問 鈴木喜三郎と云ふ人か。
答 はい。
 それからもう一人、文部大臣は其の時なんとか云ふ人でした。水野錬太郎さんでしたか。其の時分の文部大臣、其の人に話せば出来ると、「兎も角も挨拶に行け」と警保局長の家に私を連れて行つたのです。
 それから、又警視総監の所へ私を連れて行つたのです。
 それから、京都府の知事の杉山三四郎とか云ふ人、其の人が内務次官になりました。其の人の家にも連れて行かれ、其の時にも話したのです。
問 其の時に手応へがあつたのか。
答 私は手応へがあると思ひました。
問 とんちんかんの話ぢやなかつたのか、平渡に連れて行かれた時に……。
答 一緒に平渡と私と居つて、之は確にあつたのです、私はあると思ひましたのです。
 さうしました所が、梅田寛一と云ふ代議士が信者になつて居つたのです。さうしたら、「梅田寛一が今年御許しになつた所ぢやないか、事件が済んだばかりぢやないか、余り平渡に言はれても、そんなことは却て不謹慎になるから」と話したので、それもそうだな、と私思つたのです。
 さうした所が、平渡が「政府に心配かけぬ方が宜いのやから、ちやんと許されるのだから」と、又、一万円出し、一万円出し、約五万円位取られたのかと思ひます。
 運動やとか何とか言つて──其の時に平渡の家では猪野毛利栄と云ふ人に会ひました。
 さうした所が……。
問 相当見込があると思ふたのだね。
答 思ふて居りました、それで願書まで出したのです。
問 願書を出したのはいつだ。
答 願書を出したのもニ年の中やと思ひます。
問 それで三月三日のみろく大祭と、それから宗教の公認の問題はどう云ふ具合に……。
答 それは、私、平渡に、「三月三日迄に許可して欲しい」と云ふたら、「もつとく早く出来る」と申しました。
 それは、早く出来ても三月三日に御祝をしやうと思つて居つたのです。
問 自分だけの考へか。誰にも言はなかつたのか。
答 誰にも言ひませぬでした。
 若し、不許可になつたら、皆に却て悪い、と思ひましたから──けれども私は金がありまへぬから、金を拵へて貰はにやなりまへぬから、宇智麿とか、それから井上さんとか、それだけの者でこそ/\やつて居つたのです、それから御田村さん……。
問 其のみろく大祭の其の当時は公認になると……。
答 ……思つて居つたのです。
問 其のお祝の意味でもあつたのか。
答 さうです。
 其のお祝の意味も入つて居つたのです。
問 さう云ふことはちつとも言ふて居らぬね。
答 言ふて居りまへぬ。
問 記録にも文献にもないね。
答 ありまへぬ。
問 どうしてだね、調べる時にも……。
答 それは秘密でやつて居つたけれども、失敗しましたから。
 五万円も金を使ふて失敗したと云ふたら、御田村さんでも私でも信用を落します。
問 平渡から一杯食はされたと言つて、願書を何か裂いてしまつたとか言つて居つたね、準備の時に……。
答 私が裂いたのぢやない、向ふが願書をすつかり破つてしまつたのです。
 大海原知事が……。
問 此処の知事だね……いつ裂いた。
答 それは三年頃に裂いたのです。
 平渡が金を……警視総監の前で、私が思ふて居りませぬのに、一二十万円も政友会に出させますから──「それは大きに」と言ふて。
 それで、私は迷惑してしまうた。其の金は出来まへぬ。
 さうして、「手紙を書いてやる」と言つて、警視総監が警察部長やとか知事さんへ手紙をニ、三通書いて呉れて、それを持つて知事さんに会つたのです。
問 それで、其の平渡と云ふ人に対する五万円が、其の運動が大海原と云ふ人に関係あるのか。
答 それはどうか判りまへぬ。向ふがやつて居るのですから。こちらでは判らぬです。
 後から、裂いたと云ふことが判つたのです。それは十月頃に判つたのです。
 紅卍会が出来まして、さうして東京へ行つて、東京の震災に付て、金を何万円とか、米を二千石とか云ふのを寄附して呉れたのです。支那から──
 それで、東京市長がそれをお礼の為に招宴した、其の時私も居たのです。
 さうした、其の時、電話が掛つて来て初めて判つたのです。破つたと云ふことが……。
問 それぢや、公認と云ふことも一緒にお祝ひしやうと云ふ意味があつたのぢやな。
答 それが大本だけの所謂神政成就だつたのです。
問 二色の意味があつた訳だな。
答 さうです。