出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
大本史料集成 全3巻 | 1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻 | 歴史 参列者への挨拶 | 池田昭・編 | 参照文献検索 |
キーワード: 二次事件裁判 みろく大祭 |
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本文 文字数=3647
問 まあ後から調べますがね。
それから、昇殿した十六神将の中から、参列者に挨拶した者がありましたか。
答 それはあつたでせう。其の中の一番主な人がしやべつたかも知れまへぬ。
問 それから、次に、教主殿に引揚げた時に十七名に対してミロク大祭の意義を説明したことがありますか。
答 それは覚えまへぬ。
傍の人に訊いたら、それは、覚えて居るかも知れまへぬけれども……。
問 三十六回の一問答の三千二百二十丁に於て説明したやうになつて居るが。
答 それは、もう、其のお祭りがあつたから皆聴いとつたかも知れぬと思ひましたから、「さうだ」位に言ふとかなきやしやうがないと云ふので言ふたのですけれども、実際は覚えて居らぬのです。
若し、さう云ふことがあつたら、一々大本の文献には書いて居るのです。役員の行動であらうがなんであらうが皆書いて居ります、綜合日誌の中に──。
問 言ふて居るがね。
「教主殿に帰つてから、十七名の者も教主殿に引揚げて来ましたので、私は其の十七名の者に対して、『今至聖殿に於て自分が林檎を三つ取つたのは、日、月、地三神に準らへて取つたので、二代に[大]大根と頭芋を与へたのは大本の根本、大本の頭と云ふ意味で渡したので、諸面諸菩薩は十六神将又は八王八頭に匹敵するもので、大本の各部門の頭であるから渡したのである』」。
それから……聴きなさいよ、「今日から自分はミロク菩薩として諸面諸菩薩を率ヰてミロク神政成就の為に現界的活動をなすこととなつたのであるから、皆も其の積りで自分の脇立となつて」と、まあ書いてあるがね。
「脇立となつてミロク神政成就の為めに活動して貰ひたいと言ひました所、元男以下十七名は私及び澄に協力して、ミロク神政成就の為に舎身活動することを承諾しました」と、斯う云ふことを書いて居りますがね。
答 「それはさうだらう」と仰つしやるから、「さうでせう」と思ひましたから、言ふといたのですけれども、それははつきりして居りまへぬ。
そんなことを私言ひまへぬわ。
「自分がミロク菩薩になつたから」なんて、そんな慢心なことを言ふ……私は自分の口から、「今からミロク菩薩になつた」と云ふやうなことを一言も言ひまへぬ。
問 予審判事から「斯うだらう」と言はれたから、さう認めざるを得ぬことになつたのだと斯う言ふのだな。
答 さうです。
問 それから此の状況は、ミロク大祭の状況は、真如の光の、三月五日と三月十五日付の真如の光に書いてありますがね。
答 それは其の通りです。
問 大体こちらから訊いたことだと思ひますがね、大体こちらで訊いたことを……。
答 それで、若し、私が最前お訊きになつた通り十七人の者に訊きましたならば、十七人の中の者が私の言ふことは筆記して居るに、書いて居るに違ひありまへぬ。
一言一句残さず書くのですから。若し、文献に書いてなかつたら、私は申して居りまへぬ。