出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻思想 国常立尊の隠退再現は何時頃から説き出したか池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 国祖退隠神話 神諭と筆先 国常立尊 伊都能売 皇典講究分所
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問 国常立尊の隠退再現の、大本の教義と云ふものは、何時頃から説き出したか。
答 是は直が説いたのは、二十五年からです。
 明治二十五年から……私が説いたのは、それを修業しまして、色々と直が仰しやるだけでは、はつきりせぬ。
 私は十三の時から、神憑りを研究をして居た。そして、筆先を書くやうになつてから、初めてはつきりした。
 それは最前申しました。三十何年だつたか、或はちよつとあれですが、筆先を書くやうになつたのは、直が死んでからだつたから、其の当時からです。
問 さうすると、出口直が説き出したのは、二十五年頃である。
 王仁三郎の説き出したのは、何時だ。
答 最前申したと思ひますが、私が行つたのは卅二年七月に行つたのだから、それから研究しました結果ですから、大正七、八年頃ぢやないかと思ひます。
問 ちよつと疑問があるのですが、此の出口ナカが国常立尊の再現されたことを、二十五年から説いて居ると言ふが、一体国常立尊と云ふことを言ひ出したのは、三十五年の秋頃ぢやないか。
答 さうです。
 其の前は艮の金神だつたのです。
 それは何故言うたかと云ふに、丁度其の時に、私が京都へ行つて居りました。学校へ行かうと思つて──さうしたら帰りましたら、「艮の金神は国常立尊や」と云ふことが、教祖の筆先に出て居つた。
 それで、何やと思つて見て見ましたら、息〔子〕の竹造と云ふものの嫁さんが貰つてあつた。其の嫁さんが天理教の信者やつた。さうして、書き物を持つて来て、艮の金神さんとか何とか云ふのが本であつて、是が国常立尊はんやと云ふことを書いた。
 天理教の書き物を持つて来たのです、さうして、お婆さんに言うて居つたのです。それで、ははあ──どうしても訳が判らぬやつたが、さうすると国常立尊はんやなと、斯う云ふことになつたのです。
問 さうすると、前の艮の金神と云ふことは判らぬけれども、一番本の偉い神さんやと云ふことを、言うて居つたのでせう。
答 さうです。
問 国常立尊の隠退再現の教義は、二十五年からと云ふ訳に行かぬぢやないか、後からくつ付けたのぢやないか。
答 国常立尊と云ふことは、くつ付けたのぢやない。
 私が神憑りで、本当に国常立の神様か、外の神であるかを、一生懸命に修業した。其の結果であつて、別にそれを以つて、作つたのぢやありませぬ。
問 さうすると、此の説き出したのは大正七、八年頃だと云ふ、主張ですな。
答 そんなものです。
問 伊都能売神の霊代と云ふことの主張をしたのは、大正八年旧七月以後ぢやありますまいか。
答 さうかも判りませぬ、移つて来た時は、移つて書くのですから、伊都能売神が移つてるのか、それは私としては判りませぬ。
問 伊都能売神の霊代であると云ふことを言つて、それから、国常立尊の霊代であると云ふことを言うて居るから、さうなるのぢやないか。
答 さうかも判りませぬ。
 それで、兎も角、一人や二人の神さんぢやないもの。
 沢山移つて来るのを、其の中で一番余計何遍も何遍も移る神様の名を取つて、其の人の霊代としなければならぬ。大勢の神様の霊代と云ふ訳には行かぬものです。
問 多少根本的になることだが、国常立尊の霊代は、其の根拠はどう云ふ点にあるのですか。
答 根拠は詰り……。
問 どう云ふ所から持つて来た、此の教義の出来たのは──。
答 それはね、二つありますが、ちよつと申しますが、直は艮の金神を「悪神ぢやないぞよ、此の世を治める誠の神である、是は時日が来て現れるのだから、お前達も信仰せよ。此の世界を御治めになる、世界の悪神を治められて、天下泰平にせられる神さんだ」と云ふことが、直の教義やつたのです。
 それが根本になつたのです。
 それで、私は、又、皇典講究所に入つて、日本の神道を能く知つて居りますから、日本の神道は要するに、世界各国に弘げたならば、日本の皇室の稜威が輝くのであるから、之を弘めさへすれば、日本の教を弘めさへすれば、世界が平穏無事に治まると云ふのが、根本原理ですから、日本の皇道を宣布する、世界に……それが元であります。
 併し、宗教的にやるのですから、それで日本の神さんばかりと云ふ訳にいかぬ。支那の神さんの名をも取り、印度の仏の名も使用したり、或は能く判るやうにキリストの名も使つたりして居りますが、如何にも是はキリストの言ふ、ゴッドと云ふのは、此の神さんだ、此の神さんであるとか云ふやうに、宗教宗教に判るやうな宗教名を付けたのです。
 それで、ミロクさんと云ふことは、実は私は日本の皇典講究所を出て居るので、仏の名は聴きたくない、弥勒なんか云ひたくない。
 併しながら、さう云はなければ、宗教らしくならぬ、それで宗教らしくなければ、信仰も流行らないと云ふので……。
問 王仁三郎の云ふことは判りました。
 是は嘘だと云ふのですね。
 此の教義は、古事記や日本書紀の国常立尊と、豊雲野尊の記事がありますね、其の書いてあることに、弥勒下生経と云ふものがあります。
 又、菩薩上生経や、キリスト教の再現とか、斯う云ふ思想を説いて、さうして此の教義が出来たのぢやなからうか。
答 宗教と云ふものは隠退とか、再現とか云ふことが、宗教としては生命です。
 人が待望する処の神様が、仮令作つたにもせよ、本当のことにもせよ、作つたにもせよ、是はキリストの再現も、ミロクの出現も、私は同じことと思ひます。
 又、艮の金神の再現も、同じことと思ひます、一つです。
前田弁護人 裁判長、今日はもう二時間やつて居りますから、五分か十分休憩したいと思ひます。
裁判長 それぢや、五分間休憩致します。
十時三十七分休憩