出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻思想 歩く提灯池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 変性女子
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本文    文字数=4956

問 だから、霊代関係から云ふと、王仁三郎が国常立尊の霊代だと云ふことは、王仁三郎が国常立尊の霊代として、日本の立替立直をして、其の統治者となると云ふやうな、結論はつきませぬか。
答 つきませぬ。
 そんな筈はありませぬ。それで斯うです。
 ちよつと聞いて貰ひませう。
 あの、愈々教祖に聞きました所の話は、「二十五年には盤古が詰り艮の金神さんが現界に出て来て、艮に押篭められて居つた国霊が、二十七、八年の戦役で支那で戦をし、三十七、八年には「ろしや」と戦をし、それを攻めて段々日本主義の世界にして来た。これが艮の金神が現界を治めると云ふことである。」
 それで、艮の金神が政権を握つたりするのではないのです。
 さう云ふ具合に世の中が廻つて来るやうに、神が指導する意味です。
 現界が斯う云ふやうに立直つて来るやうに、守護すると云ふ意味です。
 それで、最前申したやうに、私は提灯です。
問 提灯……。
答 提灯が歩いて居るのぢやありませぬ。神が歩いて居るのです。世界の神が現界を直して呉れて居る。
問 それは書いて置いて下さい。
答 総て本は宗教が本ですから、宗教で説いて居るのだから、政治で説いて居るのぢやありませぬ。それを政治の方に取られるから、妙なものになる。
 それは、宗教の書物を沢山読んだ人ならば、滅多に斯んな方に取る人はないと思ひます。仏教を読みましても、何を見ましても……。
問 ちよつと疑問だから訊くが、王仁三郎、此の王仁三郎の予審に於ける訊問調書に依りますと、「太古の神の因縁」「霊界の情勢」「国祖御隠退の御因縁」「盤古大神塩長彦命云云」と云ふやうなことを、大本教に於て、被告人がもじつて日本書紀等の大国主命のことに関する記事を曲解をして、国常立尊の神名を藉りて、大国主命のことを説いたものである云ふとことを、供述して居るやうだが……。
答 私は知りまへぬ。向ふが勝手にお書きになつたのです。創作です。
問 其の点に関しては、予審訊問調書の二十一回、廿五回、二十七回にルル(しばしば)述べて居るが……読み聞けはせぬがね。
答 それは私の……。
問 要旨は斯うです。
 「神名を藉りて──国常立尊の名前を籍りて大国主命を云うたのである。其の根拠は、古事記や日本書紀に曲解を施して、国常立尊と書いたのだ」と云ふことを、詳しく二十一回、二十五回、二十七回に言つて居るやうだが──。
答 それは私が云つたのぢやありまへぬ、向ふが曲解されたのです。「さうぢやないか」と言はれるのです。
 併し、此処の所は私は申上げたい。
 丁度最前申上げました通り、天孫降臨の時と盤古の時とは、時代が非常に違うて居ります、何億万年も違うて居ります。
 唯、私は、素盞嗚尊が意志薄弱の為めに所謂変性女子の為めに泣いて居られたが故に、能く治らなんだ。
 若しも、素盞嗚尊が御神勅通り治めて居たならば、天孫の御降臨はなくても宜かつた。
 「素盞嗚尊が力がない為めに、天子様の御降臨の御厄介になつたのである」と云ふことを、史論の神道史の一説として、私は書いただけであつて、他にそんなことは何も言うて居らへぬ。
 そこの所を附け込んで来て、「瓊々杵尊が斯うやとか、あゝや」とか、色々に大国主の神のことを其処へ持つて来て、「斯うやつたのや」とか、「国常立尊にして不平があるのや」とか、色々のことを言はれた。
 それを其処二持つて来る。さうせぬことには問題に是はならぬと思うて……ならぬから、さうされたのであります。
 決してそんなことはありまへぬ。
 読んで見て下さい。三千万言の私の言葉の中に、一つもそんなことはありまへぬ。
問 予審判事も、訊いて初めて判つたのでせう。
答 向ふから……伊佐男はそんな馬鹿なことを言うたかも知れませぬが、私はそんなことは言うたことはありまへぬ。
 悪く思うて居りまへぬ。
 後のところは、それを聞いて私は驚いたのです。私は何とも思うて居りまへぬが、余り酷いです。