出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 盤古大神と瓊々杵尊池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 盤古大神 瓊々杵尊
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本文    文字数=8547

問 いゝかね。訊ねるからね……
 立替立直、ミロク神政成就に関する、即ち、大本の根本目的はどう云ふものであるかと云ふことを書いた「太古の神の因縁」、「霊界の情勢」、「国祖御退隠の御因縁」、「盤古大神塩長彦命云々」、それから、霊界物語の第四十一篇の総説の所を読んで見ますと、予審終結決定に於ける大本教義要旨の一の如くなるぢやないか、之を読んで見ると、決定に書いてあるやうなことになりはせぬかと云ふことを訊くのだが──。
答 なるのぢやございませぬ。
問 どう云ふ点が違ふか言うて御覧なさい。
答 盤古大神と申しますのは、是は支那の古い赤県、太古伝にもあれば、支那の歴史にも一番初めに出て居ります。日本の国常立尊と同じ位置になつて居ります。
 是は世界神話集にも出て居ります。 世界神話集、之に……
 盤古大神と云ふ神様はどう云ふ神様かと云ふことから申上げます。
 盤古と云ふのは宇宙間に一つのポツとしたものが出来た。それが一日に十丈背が高くなつた。大きくなつた。さうすると、天が又十丈高くなつた。又、明くる日、背が十丈高くなると、天が十丈高くなつたと云ふやうに、天地の間が、盤古が大きくなるに従つて、ずつと天と地がこんなに懸け離れてしまつた。それ程に高い──盤古は背の高い神様である。
 併し、それは、是が神話に書いてあるのですが、それが世界中に根を張つた。それから世界の一本の木となつた。是が盤古大神と云ふことであります。
 さうすると……。
問 支那で生れたのか。
答 支那で生れた。さうして、此の神話の密意は何であるかと云ふことを大島先生に訊きましたところ、是は、「世界中に根を張つたと云ふことは、其の盤古大神が日本国中を体主霊従のやり方で、優勝劣敗の国にしてしまうた」と云ふ意味で、それを国常立尊は、さう云ふことはさせてはいかぬと思つて、一生懸命に是と勇敢に御戦ひになつた。
 さうして、結局、衆寡敵せずで、天照大神、即ち、天の御三体の神様も、「是はどうしても一時、間に合はせなければ仕様がない、盤古にして置かなければならぬ、盤古の云ふ様にして時節を俟たなければならぬ……仕様がない」と云ふので、国常立尊に、「御前は控えて居れ」と仰つしやつた──是が一つの神話であります。
 さうして、此処に書いてある、斯う云ふ、太古の因縁と云ふやうなことは、決して総ての何ぢやありませぬ。
 文献には、是は皆私が神懸りになつて神に訊かなければならぬから、神様に訊いて斯う云ふことを書いたのであつて、是は極く天地の創りの時、是は神界では、もう、世の中が出来てから三千年、三千年と云ふことは三千劫と云ふことやさうです。
 それで、「現界の五百年を以て、神界の一日とする」と云ふことは、是は仏教にも書いてあります。さうすると、一劫は即ち一年。其の一劫はどれだけの時間が掛かるかと云ふことは、仏書に依りますと、「四十間四方の一つの岩がある。其の四十間四方の岩のぐるりに、一年に一遍宛天人が天降つて来て、其の天人が舞を舞ふ。其の袖が岩に触つて、それが磨滅してなくなつてしまふ、其の岩がなくなる間を一劫と云ふとある」
 それから、今日迄は三千劫位経つて居ると云ふのです。
 それから、此の皇孫瓊々杵尊が地上へ御下りになつたことは日本書記に依りまして、是は日本の歴史の正史と云ふ位でありまして、一百七十余万年を経て居り、神武天皇様迄瓊々杵尊様から百四十余万年位あります。
問 さうすると、どう云ふことになるのだ。
 ちよつと──国常立尊の教義は決定に書いてある通りか。
 是は前の事を読んで見ると、綜合すると斯うなりはせぬかと云ふ訊ねなんだがね。
答 具合が悪くてどうも判りまへぬ。
問 教義は前にもあるでせう。準備手続で能く訊いたでせう。三十分も説明して居つたでせう──。
答 さうですか。
問 其の要旨を詮じ詰めると、盤古大神即瓊々杵尊と書いてあるが……。
答 それは違ふのです。
問 ちよつと待て。
 それで一番御しまひに、「現御皇統を廃止して日本の統治者となるべきものなり」とあるが、此の点を否認すると云ふのか。
答 さうですとも、そんな馬鹿なことはありませぬ。
問 「其の他のことは此の通り違ひありませぬ」と言つて居つたね。
答 さうです、後は違ひないと思ひます。
問 なると云ふことはないか。
答 判らなくなつてしまつた。一つも判らなくなつてしまふ。
 何十万年だとかと云ふことになると判らなくなる。
 盤古大神の時代と瓊々杵尊さんの時代とは違ふ。それで、其処へ以つて来て、それであヽや斯うやと云つては、無理にこじ付けてやられるから、それを申上げて居るのです。
 それで、瓊々杵尊様が御降りにならないでも、神武……ぢやない、素盞嗚尊が力があれば。
問 それは(三)の方に書いてあります。
答 書いてありますか。
問 国常立尊の御引退後に、地上に再現になつた点を訊いて居るのです、それの、みに限局して、……関連するならば言つても構ひませぬが……。
答 それは私は最前言ふ通り、文献で見たのぢやありませぬ。神懸りで書かせられた。
 だから、神様の言ふたことだから、それを信ずるより仕方がない。
問 それを書いたのは、誰それと云ふことぢやない、それを読んで綜合して見ると、斯う云ふ結論になるぢやないかと云ふことです。
答 なりませぬ。
問 「なりませぬ」と云ふ要点は、盤古大神が、即ち、瓊々杵尊だと云つてはならぬと云ふのだが、其の他のものは宜いのか。現御皇統を廃止するとか、日本の統治者になると云ふやうなことは、絶対にないのだな。
答 そんなことはありませぬ。
 実に、もう私は、癪に触つて堪まらぬ。
問 「其の他のと云ふのは、其の通りぢやありませぬ」と云ふやうに、準備手続に於ては言ふて居るね、前の方は。
答 其の通りでありますが、此処で間違つて居るのです。
 「現御皇統を廃止して」と云ふ所は、是はすつくり間違つて居る。是は、霊代と云ふことに付て、「私が治めるとか何とか云ふ」ことを言やはりますけれども、書いてありますけれども、治めると云ふのは私が治めるのぢやない、ちよつと譬へると、暗い道を提灯が通りまつしやろ、人がそれを見ると、「あそこの暗い道を、提灯が通つて行くわい」と言ふけれども、提灯が通つて居るのぢやない。
 併し、「人が提灯の火を点じて、それを持つて通る」とは言はない、「提灯が通る」と云ひます、さう云ふやうな意味で書いてあるのです、──決して提灯が物を言ふのでも、提灯が動くのでもありませぬ、出口直が霊代──なつて、斯うするとか、あゝするとか云ふことは提灯だ──思ひます、本人ぢやありませぬ。
問 「天御中主神」から「坤の金神となりたり」迄、是は宜しいのでせう。是は間違ひないと思ふが、どうぢや。
答 何処に書いてありますか、(と探しながら)、あゝさうですか。