出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻争点 王仁三郎は天津日嗣か池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 金輪王
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本文    文字数=4407

問 そこで訊くのだが、「畏くも天下統治の天職を惟神に具有し給ふ天津日嗣天皇の御稜威に依り奉るのである」と云ふことが書いてありますね。
 此の天津日嗣と云ふのは誰を指すのか。
答 現天皇陛下です。
 天照大神の御延長ですから──それを高橋はんは私のことを言ふのだらうと言つて肯かないのです。
 外でもさう言はれたが、こんな無茶なことはありまへぬ。
 それで、我が国は詰り大家族制度です。一君万民の国です。
問 此処に書いてある天津日嗣天皇と云ふ、是は誰を指すかと云ふことに付ては、大正六年の十二月、神霊界六の十二頁、それから火之巻の四百十三頁、それから天之巻の六十五頁に書いてある。
 是等のことを総括して訊ねるが、若しさう云ふことになつて居るとすれば、王仁三郎は撞の大神の霊代だと云ふことになれば、天津日嗣と云ふのは矢張り王仁三郎を指すことになりはしませぬか。
答 そんなことはありませぬ。
問 ならぬか。
答 なりませぬ。能く調べて見て下さい。
 大本のことを言うて居るのですから、国の本を言つて居るのです。
 其の中にある主・師・親と云ふことは、日本の天皇様は主であり師であり親であると云ふことは、大石凝先生の説です、天津神と云ふことは……撞と云ふことは天照大神の精霊です。天之御中主尊も天之神、又は撞の神とも略して居るのです。
問 それから皇道大本の信条の昭和八年のあれに依ると、第三条に、「我等は皇孫命天照皇大神の御神勅に拠り、豊葦原中津国に天壌無窮の宝祚を樹立し給ひ、世界統一の基礎を確立し給へることを信奉す」とあり、それから、第四条には、「我等は皇上陛下が万世一系の皇統を継承せられ惟神に主・師・親の三徳を具へて世界を知ろし召さる、至尊至貴の現人神に坐ますことを信奉す。」斯う云ふことになつて居りますね。
答 さうです。
問 さう云ふことに依ると天津日嗣と云ふことは王仁三郎を指すことにならないかね。
答 そんなことはありませぬ。頭でそんなことを考へるだけでも、口で言ふだけでも、亦思ふだけでも、畏多いぢやありませぬか。
 我々は国民の一人です。腐つても国民です。そんなことは思ひもしませぬ。之を証明するには本があります。けれども、私はさう思はれるのは悲しい。
問 別に思つて居る訳ぢやない。
答 さう云ふやうに思はれたから、腐れ事件を起されたのです。「日嗣とか云ふことは御前のことを言ふたのぢや」と、無理に判を捺させられて私は困つてしまひました。
 畏多いことを言はれたので私は……。
問 金輪王と云ふのは誰を言ふたのだ。
答 是は仏法の中の金輪王と云ふのです。
問 金輪王と云ふ俳名を使つたことはありませぬか。
答 ありませぬ、私はペンネームは沢山ありますが、金輪王なんと云ふのはありませぬ。
問 さうか。
答 さう云ふ俳名を書いたものは、私は知りまへぬが、書くのを止める訳にいかしませぬ。
問 さうすると是はどうなるのだね。
 天之巻の五頁に、宜いかい、「綾部よくなりて末で都と致すぞよ。福知山、舞鶴は外囲ひ、十里四方は宮の内。綾部は最中になりて金輪王で世を治めるぞよ」是はどう云ふ訳だ。
答 それは神都の意味であつて、あそこは都になりさうな所ではない。狭い所で竿竹が山から山に掛かるやうな所で、あそこが都になると云ふことはない。
 私が行つた時分には、教祖が書いた其の時分には家がなかつた。今は二千戸位になつた。それが神の都になつたのであると云ふことで、それで神の都になると云ふことを言つたのです。