出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻思想 立替立直し池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 立替立直し みろくの世
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本文    文字数=4378

問 それから、次は大本に於ては、所謂立替立直、ミロク神政成就と云ふことを強調して居りますか。
答 はい。
問 所謂立替立直、ミロク神政成就と云ふのは大本の根本の目的です
か。
答 さうですとも。
問 此の立替立直、ミロク神政成就と云ふのは何時頃から主張して居りましたか。
答 是は──立替立直と云ふことは出口教祖がに十五年から書いて居る。
 立替立直と云ふことは、世の立替立直と云ふことは是はむつかしい。言ふたら革新です。
 大本に於てはミロク神政成就、立替立直としたのはに十五年からです、立替立直と云ふことは教祖の言葉です、初まりは──それから始まつて今迄ずつと使うて来て居る訳です。
問 準備手続の時は三十年か三十一年頃からか主張して居つたと言ひましたね。
答 さうですか、好い加減に言うて居つたのでせう。
問 それは困るね。
答 三十一年頃から筆先があつた。併し、本当は二十五年頃から言うて居る。三十一年頃に書いたものがあるから三十一年と言うたのでせう。それでなければ証拠がありませぬから……。
問 本職の前で出鱈目を言つちや困るね。
答 尚ほ……。
問 三十一年はどう云ふ根拠か。
答 それは根拠も余りありませぬ。私が行つたのは三十一年です。
問 それ迄も、直婆さんが立替立直と云ふことは言うて居つたのか。
答 言うて居つたのです。
 其の書いたものがなくなつてしまつたのだから、さう言うて置いた。以前のことはさう詳しく判りませぬから。
問 併し、先に訊ねたことだが、それに対する答でも、二十五年当時なり三十年頃迄は是と云ふ目標もないやうぢやないか。
答 それは目標は斯う書いてあります。斯う云ふことがあつたのです。
 我々はそれに一生懸命になつて居つた。二十八年の……二十五年頃から教祖が、「戦争がある」と言うて居つた。さうして二十八年に戦争があつた。
 当時五十人程信者があつた。其の後に私が行つた時分には、「日本とロシアとの戦争が起る」と云ふことを始終教祖が言つて居つた。筆先に書いて居つた。
 所がロシアと戦争が起つたから大変なこつちやと思うて居つた。
 其の時に、「出口清吉と云ふ者が日之出之神となつて帰つて来るのだ」と云ふやうなことを言つて居つた。
 それが出て来たらホンマやと言つて居つたから、それが来ると思つて居つた、それ迄の目的は──さうしたらねつから帰つて来ない。
 教祖に訊いた。「あなたは嘘ばかり言ひますな」と言つたら、「神様に訊いたら生きて帰つて来る」と言ふから、「生れ変つて来るのだらう」と言つて居つた。
 後から、今の伊佐男と云ふのが家へ養子に来た。それがなんや、清吉の生れ代りと云ふやうなことを夢に見て、皆それを信じてしまうた。
問 ミロク神政成就と云ふことは、幽世の立替立直と云ふことは、二十五年から断定的に大本教義だと言つて言ひ出したのぢやないね、二十五年からぢやないのだらう。
答 直の教義を取つて其の言葉を取つて言つたのは、もつと越えてから……。
問 それを訊いて居るのだ。
答 それぢや矢張り三十二年頃か四十二年頃、本当にはつきりしたのは四十二年頃です。
問 よし/\。
 はつきりは四十二年、はつきりしないのは三十二年か。
答 三十二年頃です。
問 よし、では……。
答 三十二年頃に私は行つた。
 四十二年は御嶽教へ行つて居つて帰つて行つた年で、それでさう思うて居ります。
裁判長 ちよつと五分間ばかり休憩を致します。
午後二時二十分休憩