出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/genshow.php?CD=12623&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=

原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 大本瑞祥会池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 大本瑞祥会
ルビ付き本文:
ダウンロードページ
 
本文    文字数=935

問 むつかしいことはないから解る訳だと云ふ訳だね。
 大正十一年のに月に大日本修斎会を大本瑞祥会に改称して、之を大本の活動機関となしたのですか。
答 はい、同じものですが名を変へただけです。前の大日本修斎会も活動機関です。
問 是は形式的のものか。
答 何故瑞祥会に変へましたかと言ひますと、大日本修斎会と云ふ間の時にあんな不吉な事件が起りましたから、今度は瑞祥を祝ふと云ふやうに、瑞祥になるやうにと云ふので、意味もなしに瑞祥会としたのです。目出度いことが来るやうに──。
問 さうか、其の後京都府の南桑田郡の亀岡城趾を大本天恩郷と称し、大正十四年六月大本の外廓団体、補助機関として人類愛善会と云ふものを組織しましたね。