出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻思想 大本教義池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判
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本文    文字数=2981

問 是は大本教に関することは総括的に訊きたいと思ふが、起訴事実に関することを訊くが、此の教典には大本教義に関する記載はありますか。
答 大本教義に関する……。
問 書いてあるのか。
答 それはあると思ひます。
 其の時々あつちやこつちやに断片的に書いてあると思ひます。兎に角霊界物語でも大本の為に書いたものですから──。
問 此の教典は、信者なり未信者に対しては、大本教義なるものを知らしむる為に、其の読むことを奨励して居つたのか。
答 それは売らんならんから。買ふて呉れと云ふことは言はぬが……。
問 売る為か。それとも知らしむる為か。
答 知らしめる為でありますけれども、売りもし、知らしめもし、それを両方兼ねてあるのですわ。
問 大本教義に付ては、其の疑点などに付ては、教義の疑点に付ては、大本の幹部、役員の方から説明するとか、或は信者同志が寄り合つて研究することがあつたのか。
答 役員が弥勒殿でやるとか大祥殿で日々を決めて、今日は誰の番、誰の番と云ふやうに色々のことをして居りましたが、其の外は私は役員や信者と教義のことに付てまだちよつとも話したことがありませぬ。役員同志がさう云ふことをして居つたと云ふことも余り知りまへぬ。
 それは何故かと言ふと、神様に毎日夜の十一時から四時迄は何時も斯うして(と手を合せながら)拝んで居るのですから、昼は今日の詰り言葉で言ふと廻し者で、私を庇護する為に加藤新子と云ふ者が附いて居りまして、──私の言ふたことを付ける役があつて、私がくしやみしても本に出るのです。
問 幹部から説明したことも聴かぬし、信者同志、幹部連中同志研究したと云ふことも聴かぬのだな。
答 唯弥勒殿や大祥殿で、来た人に役員が代る/\話をして居ることは知つて居ります。
 言霊学の話とか、大本の話とか──。
問 さうすると大本教義に付ては疑問があると云ふ場合には、各々研究して、教典を読んで悟れと云ふ意味か。
答 大抵解ることばかりですわ。
 其の内容はむつかしいことぢやありまへぬが、それは毎日それを勉強してそれに掛かつて居ればむつかしくないのですが、初めての人が見ると随分むつかしい言葉があります。用語が違ひますから。宗教の用語と云ふものは現在の科学の用語とは違ひますから。総て是から科学以外の世界があると云ふことを知つて居らなけひは宗教のことは判らぬ。