出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻思想 霊界について池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 霊界観
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問 霊界のこともちよつと訊きたいのだがね。此処で説明するかね。
答 ちよつと霊界のことはむづかしいものです。あなたが霊界の素養がありますひは別ですが……
 霊界と云ふことは、丁度謂はば、「ぼた餅が甘いと云ふが、どう云ふ甘さかと言へば、食つて見なければ判らぬ」やうに、言葉で説明が出来ぬ。
問 お前さんの書いた本は大抵読んだぞ。
答 あれは九牛の一毛で、言は意を尽さず……。
問 霊界の神秘な所をコンデンスした所を、ちよつと訊きたいのだがね。
答 世の中には現界、霊界の区別が二つあります。
 現界は之を現世と申します。それから霊界は幽世とも言ひます。霊は幽界とも言ひます。霊は霊の世界、又は神界とも言ひます。
 併し現界、霊界が……
 霊界の中に神様があります。是は高天原と言ひ、仏法で謂ふ浄土やとか極楽とか云ふ所です。
 それから、地獄と言ふ所もあります。地獄的の所を今迄幽界と言ふて居ります。幽冥界の幽界……。
問 判つて居る。
答 それで、其処には、矢張り此の現界と同じことで、神様は上は天照皇大神を首め、ずつと百八十一段に精[正]神界の階級が出来て居られる。
 百八十一階級の外に又こちらに邪神界がある。幽冥界には邪神界と云ふものがある。是は霊界物語でなくても、総て日本の古事記であらうが、総て昔からの宗教、神道の文献にはあります。
 是が本田先生、副島先生から私に授かつた神伝秘書に依りましても、是も百八十一の階級がある。
 両方で三百六十にの階級がある。
 之に感応するのが神人感応法であります。
 霊界を見るのには此の儘は見られない。霊が霊界へ入つても見られない。それには、媒介天と云ふ者が居ります。それを人間の精霊と言ひます。坊主の方では精霊と言つて居ります。精霊と言ひます、
 人間と云ふものは精霊の容れ物であつて、人間と言ふものは、所謂人間其のものがあつて、又精霊と云ふものがある。其の精霊を生かして、精霊を通して、霊界を見ると云ふと、神様も見えるし、精霊の耳を通せば自分の耳にも神の声が聞えるし、精霊を通さなかつたら是は見えない。
 霊界の是は法則になつて居ります。
 それで霊界にある如く、現界にも百八十一の実際階級があるさうです。私は知りまへぬけれども霊界も其の通りやと云ふことになる。
 それで、現界では、大本には神と云ふことを──是は本田先生の古事記に依つて分類された神の分け方ですが、之に幽の幽と云ふのがあります、幽の現、現の幽、現の現があります。
 幽の幽と云ふことは幽霊の幽で、幽の幽であるから最も無形、無声の神様である。之を天御中主神様と斯う申上げて居るのであります。其の幽から現が出て来る。
 其の幽界の天御中主尊がずつと表現されだものが幽の現であつて、是は天照大神様である。是が幽の現である、是は神から御出ましになつたから幽の現であつて、是が初めて宇宙の主宰になる。幽の幽ではないのだから、幽の現であるから──
 又現の幽と云ふのは、現界に生れて居つた人が死んでしまふて、霊界に於て神様になつて居る。大国主命やとか、或は西郷隆盛やとか、楠正成が神様に祭られて居る。是等は現界にあつて幽界に行つたから現の幽。
 現の現の神様は、上は天皇より下巡査に至る迄、是は百八十一の階級の神様である。それで日本人は之を御上と言ふ。役人さんを御上と言ふ、是は所謂神の分類です。
 それで、耶蘇教や何かが出て来まして、偶像なんと斯う言ひますが決して偶像ぢやない。日本では矢張り現界に居られる人の幽であるから、日本の国家では神様として祭つて居る。
 併し、銅像やとか何とか云ふものの前に行つては誰も手を合せませぬ、太閤さんに対しても豊国神社の前へ行くと霊が祭つてあるから頭を下げる、行つて拝むやうになります、それで日本人は決して偶像は拝んで居らぬ。偶像と云ふものは銅像とか何とか云ふあんな偶像です。其のことを私は大本で始終説明して居る。是は神様の原理と言ひますか、神様の何と言ふのですか、性質と言ふか、詰り神様と云ふものは斯う云ふ工合に大別があると云ふことを大本では説いて居るのです。