出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 開窟奉賛祭池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 開窟奉賛祭
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本文    文字数=2606

問 被告人王仁三郎は右の不敬事件に付て、昭和二年の五月十七日大審院に於て同年の勅令第十一号大赦令に依つて免訴の判決を受けましたね。
答 はあ。
問 昭和二年の五月二十七日開窟奉賛祭を行ひましたか。
答 はい。
問 其の際の模様はどうでした。
答 祭の模様は唯斯う云ふ事件が起つて、さうして大本はまるで真つくらがりになつて居つたが、愈々夜が明けた。それの御礼の御祭をしたのです。
 其の時に綾部の人やら大分祝ひに来て呉れました、信者や何かで千人位居つたかと思ひます。
問 綾部の弥勒殿でやつた、千人程集つてやつた。
答 信者やら町の人やらが集つて……。
問 さうして祝詞を奏上したと云ふ訳だね。
答 さうです、千人でしたか、千五百人でしたかはつきり覚えて居りまへぬが。
問 『真如能光』に祝詞が出て居るね。
 あれは見せて貰はぬでも宜いか。
答 祝詞だから大抵悪いことはないと思ひます。
 湯川先生が書いたのです。
問 証第四千二百十五号の昭和二年六月五日発行の『真如能光』の第七十一頁、此処に出て居る訳だね。
 是へ見せて貰はぬでも宜いでせう。
答 へ、祝詞はもう大抵判つて居ります。
問 それからちよつと言うて置くが、同祭の目的はどう云ふ目的なんだ、奉賛祭を催した目的は──。
答 目的は祝の目的です。御礼の目的です。我々が喜んだ喜びを表する御祭です。
問 処が決定には、予審の決定に依ると、奉賛祭と云ふのは、「開窟奉賛祭と云ふものは、役員、信者等に対して、右の事件は大本に反対する者の策動に起因したるものと信ぜしめ、事件の為に減じた信者を本に帰らして、信者の結束の為にやつたものである」と云ふことになつて居るが。
答 それは御書きになつたのでしようがあらへぬ。
 「判を捺さなんだら、お前は嘘を言ふのか、三年も四年も是から掛つたらどうする、早う年寄りは弱つて居るからいなしてやらなければ可哀相だ、早ういなしてやらなければならぬのに」と、多勢の者に言はれゝば仕様がない。
 私はそんなことは申しまへぬ、そんな阿呆なこと。