出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/genshow.php?CD=12617&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=

原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 十年事件中の大本の活動池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 物語口述
ルビ付き本文:
ダウンロードページ
 
本文    文字数=2472

問 それからね、大正十年の不敬事件当時の皇道大本の状況はどう云ふ風でした。
答 事件中ですか。
問 事件中。
答 入つて居つた当時のことは知りまへぬが、人に聞いた位です。
 事件当時は江木博士やとか、あゝ云ふ人が弁護して呉れて居て、何かと用がありました。
 私は其の時には病気をしまして、十年から寝て居りまして、さうして霊が懸つて来て、筆先を……筆先ぢやない霊界物語と云ふもののを書いた。
 十月頃からそれから毎日寝て居つて書いたのです……書いて呉れたのです。
 十年、十一年、十二年頃迄は殆ど霊界物語ばかりである。
問 自分としては……。
答 喋つて居つたのを人が書いて居つたのです。
問 口述要旨は後から訊きます。
 大本の状況は──。
答 其の時の状況と云ふものは、余り宣伝にも行つてるものがありませぬ。唯何とか云ふ……。
問 積極的の活動を止めて居つたのですね。
答 さうです、唯二人程宣伝をして居つた。
 満州へ行つたり、他所へ行つたりして、内地では八方塞がりで──
問 信者は減つたか。
答 減つて居りませぬ、それは殖えて居りました。それは何故かと云ふと、私が掴へられた時には百二十四であつた支部が、帰つた時は百五十四と、三十殖えて居つた。
 何故殖えたと云ふと、大本と云ふものはあの事件が出たものですから、大島とか、琉球とか、朝鮮とか、満州とか端々のさう云ふ所の人が、今迄知らなんで居つた人達が、大本事件があつたので初めて知つた。さうして一度見て来てやらうかと言うて来た人が来て信者になつた。
問 予審の三十二回の訊問調書に於て、「一部の主だつた者が脱退して信者も半減して居る」と云ふことを言つてるが、是はどうだ。
答 向ふがさう言うて聴かしまへぬもの……。
問 予審ですよ。
答 え、さう言やはるから仕様がありまへぬ、減つて居りまへぬ。
問 減つて居らぬと云ふことは宜しい。
答 減つた人がある代りに殖えて居ります。