出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 十年事件、保釈中の活動池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 一次事件 物語口述 改良意見書
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 それぢや王仁三郎の訊問をします、其の儘……被告人は大正十年の二月、不敬並に新聞紙法違反罪に依つて起訴せられましたか。
答 はい。
問 右事件の犯罪事実の内容は此の通りですか。記録の判決抄本、大阪控訴院の判決。是が出て居りますが是は見せて貰つたでせう。
(此の時記録を示す)
答 其の時は蒙古へ行つて居りましたですけれども、大抵は判つて居ります。それは斯うやつたろと聴いて居ります。
問 それで王仁三郎の此の不敬事件が係属中も、尚大本の為に活動して居つたやうであるが、是はどう云ふ訳だ。
答 何をですか。
問 前の十年事件が係属中に尚色々の活動をして居つたやうなことですが。
答 活動……私は決して是は──。
問 それはどう云ふ訳であるか。
答 其の訳は、私は決して自分では、さう云ふ不都合な事はないと私は信じて居つた。
 それで是は早く之を──免罪を天下に知らす為には、一刻も早く、一人にでも余計に此の教義を知らすが宜いと云ふ信念の下に、布教致しましたです。
 悪いと思ひましたら、若しも不都合なことだと思うて居りましたら……私は神様から色々のことを聴いて居りまして、決して罪ぢやないと思うて居りました。我々も日本の臣民だから悪いと思へば何もしやしまへぬ。其の時は私は悪いとは思はなかつた。残念だと思つて居りました。
問 悪いとは思はぬからそれをやつて居つたと云ふ訳ですな。
答 ……それで人が来れば布教して居つた。
 それから、神懸りになりまして、其の間布教やなしに霊界物語を述べて居つた訳です。
問 其の時に大本改良意見書〔「大本七十年史」参照〕──大本は斯う云ふやうに改良すると云ふ誓ひの書付見たいのが出て居るやうだな。
答 はあ。
問 はあぢやない、自分で書いたのか。
答 書いたのかも知れませぬ、書いたやうにも思ひますし……ちよつと見せて下ざい。
(記録を示す)
問 それの一番終ひの所だ。
答 是は書いたのです。
問 それに依るとどうぢやな、悪いことをしたと云ふやうになつて居りやせぬか。
答 是はもう私は言うたつて迚もあきまへぬから、「悪いことをしたと言ふて謝つて、早く予審をして貰つて、予審ぢやない、保釈して貰ひたいと思ひまして」予審判事のお気に入るやうに書いたのです。
問 さうすると自分の意思に反することを書いた訳ですね。
答 意思にあることもありますし、反したこともあります、けれども良いものにしたいことはしたい、矢張り改良して良いものにしたい、幾分か不都合やと云ふ組織の点に於ても、信仰の点に於ても幾分か人から見て悪いと思へる所は直したいと云ふ考はありました。それからぼつ/\改良した積りで居ります。
問 此の書いた物を見ると、是等は純然たる宗教団体として盛り立てて行くと云ふやうなことを書いて居りますね。
答 それはさうです。
問 それはさうぢや……。
答 宗教としてやつて行くと云ふことは、私の意思ですから──。
問 それぢや宗教でなかつたのか。
答 いや本当の宗教-公認教にする積りだつた。宗教としてやつて行くと云ふことの為に、其の事件が済むと直ぐ平渡信と運動をやつたのです。
問 立替立直の趣旨はどうも余り穏かでないから、是はやるべき……。
答 詰り私はそんな国体の変革と云ふやうな立替ぢやない、総ての今日のやり方、一切の経済の統制やとか云ふことの意味に於ける立替立直ですから、あゝ云ふことの意味を言うとるので、それを何だかへんな所に持つて行かれてしまうた。
 さうせぬと云ふと、今日の事件が起らぬ。それで、さう云ふ所に持つて行かれたのです。私は決してさう云ふことは夢にも思うて居りまへぬ。証拠には大本信徒が朝晩神前に奏上して居りまする所の善言美詞と云ふ祝詞を見て貰ひましたらはつきり判ります。
 是は高橋警部の時にも、予審の時にも、何れの時にも申しませぬ、何で申さぬかと云ふと、宜いことばかりが書いてあります。大本の結構なことばかりが──国家に対する大事なことが書いてありますが、是も亦今迄のやうに、「胡麻化すとか、或は保護色やとか、表看板や」とか言はれてけちを付けられては適はぬから、其のことはちよつとも言はぬで、それが利益のあるものやと言うたら湮滅させられてしまうたら大変だと思うて、此の公判迄にそれは言はぬやうにしてのけて置いたのです。
 私の利益になるやうなことは言はぬやうに……予審でも言うて居りませぬ。
問 王仁三郎に対する此の事件の三十二回の問答に依ると、「出る時は誓約書通りに改良する意見であつたが、出て見ると信者共がどうも筆先を信用して居る。其の為に我々の主張は正当なことと考へて居る。又自分も国常立尊は古事記にも書いてあるし、本当とも思はれて居る。それで改良はしなかつたのだ」と云ふことをば三十二回の問答に述べて居るが、是はどうなのだ、まるきり悪いことはして居らぬ──訂正する必要はなかつたと思うて居つたのか。
答 それはね、私は大して是は悪いと云ふことは一つも思うて居りまへぬ。
 宗教として之をやりたい、本当の宗教にしたい、宗教類似ぢやなしに──斯う云ふことを考へて居りましたし、又私の言うたことよりも、少し向ふでは加減して書いてありますから、私が言うたこととはちよつと違うて居る所があります。
 ま一遍見せて……もう一遍聴かして下さい。
問 能く聴いて居なくちやいけないよ、「自分は出る時に、予審判事に対して提出せる改正意見の通りにする積りで居たが、帰つて信者に会つて見れば、矢張り筆先と云ふものは神様のものであると信用して居る。」
答 さうです。
問 「又色々な関係で自分の是迄の主張が国常立尊の問題とか、素盞嗚尊の問題と云ふやうなことは正常なことであると思つて居る」と云ふやうなことを言つてるやうだな、さう予審記録に書いてあるな。
答 ちよつと頭が判らなくなつちやつた、ちよつと待つて下さい。
 もう一遍そこの所をはつきりして貰はないと工台が悪いのです。
 実は予審でね、予審判事さんの前で、筆先は決して悪いものとは思つて居らぬ、絶対信用して居つた、それを悪いと仰しやるし、又筆先が問題になりますので、又筆先が問題になつたやうなことの為に、私がこんな所に入らなけひはならぬのだから、こんな所は改良しなければならぬ。こんな所は──問題になるやうな所は焼いてしまふか、潰してしまうたら宜いと思つてほかさせなければならぬと云ふ信念を有つて居りました。
問 それは前の問題だね。
答 前の事件の時の予審判事の前で言うたことは、全部焼く積りはなかつた、悪い所だけほかす積りだつたと云ふ考であつたが、予審判事さんはそれを全部ほかすと云ふ意味に取られたが、私は皆はようほかさぬと思つて居つたのです。
 処が戻つて来たら信者が、「予審判事の前で焼くとかと云ふやうなことを言つた」と云ふので、私に迫つて仕様がない。そこで、私は、「済まぬが其の時はさう云ふやうに言はなければならなかつたのだからこらへて呉れ」と謝つて居つた。
 其の時分、予審判事さんの前で、仕様がないからさう云ふやうに言ひました。仮令九牛の一毛でも筆先のいかぬことがあるのに、其の筆先を残すと云ふことは言へませぬがな……。
問 成る程。
答 それで、私は、「止めます」と言ふたけれども、肚の底では矢張り止めたうなかつた。