出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/genshow.php?CD=12615&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=

原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻裁判進行 高橋警部の取り調べ池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 高橋警部
ルビ付き本文:
ダウンロードページ
 
本文    文字数=5248

午後一時二十分開廷
清瀬弁護人 ちよつと被告を調べる前に私から願ひたい。
(此の時雑誌を裁判所に提出)
 此の調べの劈頭に被告より高橋警部の御調べに際しては、真実を述べ能はざりし事情を裁判長に対して、詳細述べたのでありまするが、私は能く警察の調べのことは此の事件のみならず他の事件に於ても聴きますが、近時矢張り同様のことがあるものである。
 十年以前にはそれはどうも被告が言ふのだと思つて居りましたが、段々此の頃の世相から考へて、警察の調べの真相は被告の訴へ通りだらうと思ひ出したのであります。
 此の雑誌の四十四頁に『大本事件日記』と云ふものがあります。京都府特高課長杭迫軍治と云ふ人の執筆に掛りますが、其の末尾即ち五十三頁──一番終ひです、そこを御覧下さると、
「本稿を草するに付ては高橋警部、倉元、小川両警部補に負ふ所大なり」
そこでどう云ふことをしたかと言ひますると、頁の上段を見ますると、一月二十五日の記事には、
「彼等は何れも最初審理の節は宗教乃至精神的問題に仮托して、頑強に事実を否定、否認し続けたるが、事犯の全貌が証拠品調査、参考人の予備的取調の結果遂に暴露せるに至り、一切を自供するに至つた」
其の次です、
「三月三日に高橋警部は熱誠遂に元兇王仁を降す」
と書いてあります、まるが付いて居りますが、「熱誠」の言葉は麗しい言葉でありますけれども、事件の半面には、余りにも高橋警部が職務に熱誠の結果遂に「元兇王仁を降す」と云ふ文字を書いて居りますが、其の意にあらずして、前項の供述を取得したるものであることは紙背に明瞭であります。
 此の記録を見ますると二月三日には調書がなくして、二月八日からに十二日迄十四日連続の調書があります。
 之に依りますると、此の記録も随聴随録の記録ではなく、うんと被告を抑へて、恰も右へ曲つてるものを或程度迄は抑へないと真直ぐになりませぬが、抑へ過ぎると左になるやうに、是も曲り過ぎた記録ではあるまいか。
 本日の御調べに反抗して、高橋のしたことを訴へましたが、私聴いて惻々として感ずる所があつたのであります。
 後に証人として或は高橋警部を喚ぶやうなことが出るかも知れませぬが、此の「熱誠の結果王仁を降す」と云ふ記事を御覧に供して置くと、段々判ると思ひます。
 是は証拠として別に出しますが、単に御覧下されば、今日の所は宜しうございます。
前田弁護人 午前に御許可を得ましたのですが、本日他の被告共に対しまして、自分に関する限りに於てのノートを取らしめたいと思ふのであります。それで此処にノートブツクと鉛筆を備付けて置きました。
 裁判長の方の承諾を御与へを願ひたいと思ひます。
 尤も之には……。
裁判長 此処に置いて行く訳ですね。
前田弁護人 無論一冊のノートと鉛筆を渡しますが、各自がそれに署名して置きまして、退廷の際に此処に置いて行くと、斯う云ふことにして置きたいと思ひます。
田代弁護人 尚前田君の仰しやつたことに附加しますが、被告にですな、其のノートは他の被告が言うてることに違つて居ると云ふやうなこととか、是は何れ自分が言はなくちやならぬと思ふことを忘れ勝ちでありますから、それをば何日の誰のと云ふやうに「メモ」を取つて置くと云ふやうにすれば、言ひそびれてしまふとか或は忘れてしまつたと云ふやうなことがないやうになる。
 其の御趣旨の下にノートブツクを御許しを願つたのだと云ふことを仰しやつて戴きたい。相被告の方は何の為のノートブツクか御判りにならぬと思ひます。
裁判長 全部起つて──。
(各被告人、全部起立)
前田弁護人から御話がありましたが、王仁三郎の供述なり、其の他のことに付て裁判長に於てはそれを引用することがあるかも知れませぬから、其の時分には自分は斯う云ふ点は違ふ、あの点は……と云ふやうなことの考があつたらそれは後から言ひ落したと云ふことのないやうに十分に覚えて書いて置いて貰ひたい。
 必ず書かなければならぬことはありませぬよ。それで書いたものは此処に置いて退廷する。
 判つたな、ぢや座つて……。
(各被告着席)
必ず書いて置かなけひはならぬのぢやないよ。
(此の時前田弁護人各被告にノートを渡す)