出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 皇道大本と神霊界池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 皇道大本 神霊界
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本文    文字数=1813

問 大正五年の四月二十二日に、大本を皇道大本と改称して、同六年一月から機関紙神霊界を発行した。
 二月には皇道大本教主となつて、ナカを教祖又は開祖と称することになつた。
 是は此の通りか。
答 はい。
問 此の神霊界と云ふ機関紙を発行するに至りたる事情、並に、其の目的はどう云ふ点にあつたのか。
答 それはね、それ迄は、敷島新報ですが、それをやつて居りました。
 それから十二月に、詰り浅野さんの奥さんが私を迎へに来たのであります、浅野和三郎の──八木の海軍中佐の福島と云ふ者が横須賀の浅野さんの所で大本のことを話した。それで出て来た。私が居らぬので、家のおすみと話して帰つた。それから今度奥さんが来て、浅野さんが「先生を呼んで来い」と云ふので私は初めて奥さんに連れられて行きました。
 さうして、十一月から十二月迄浅野の処に泊つて居つた。
 さうして、それからそこで大本のことを浅野はんが、日蓮宗の「人文」と云ふ雑誌に二回程大本のことを載せた。さうして、是は大分に反響があつたから、是は大本でも一つ雑誌を拵へよう、斯う云ふことになつた。
 十二月に帰りまして準備して置きまして、六年の一月から初号を発行した。
問 其の目的は。
答 目的は前のと同じです、布教の目的です。
問 布教と云ふと大本の宣伝か。
答さうです、布教も宣伝も同じです、宣伝は動作で、布教は教で、ちよつと違うが同じやうなものです。