出口王仁三郎 文献検索
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原著名 | 出版年月 | 表題 | 作者 | その他 |
大本史料集成 全3巻 | 1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻 | 歴史 金明会 | 池田昭・編 | 参照文献検索 |
キーワード: 二次事件裁判 金明会 |
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本文 文字数=1264
答 明治三十二年の七月に再び出口ナカの頼みに依つて艮の金神を拡めることになつて、宣伝機関として金明会と云ふものを組織した。
其の会長に自分がなつて出口ナカを教主と云ふことにして、之を補佐して宗教類似の団体を組織して病気を癒すとか、或は祈祷、禁厭等を為して居つた。
静岡の先生から許可を戴きまして、金明会と云ふものを組織した。詰りそれ迄の直の神憑りの状態を静岡の先生に斯う云ふ神憑りの状態ですと云ふて話をして居つて、若し御調になつて宜かつたらどうぞ許可して下さいと頼んで置いた。
さうして綾部、七月に綾部へ行きまして、中村やとか、足立と云ふ人が反対して仕様がないから電報を打つて、早く永沢先生から辞令を送つて貰はうと思つて、はよう許して下さいと御願した。
すると間もなく辞令書が来た、それで足立も反対しなくなり、私も其処に居ることになつた。さうして私が会長か何かになつたのてす、はつきり覚えて居りまへぬが、書いてあるものを調べて……。