出口王仁三郎 文献検索

リンク用URL http://uro.sblog.jp/kensaku/genshow.php?CD=12605&T1=&T2=&T3=&T4=&T5=&T6=&T7=&T8=

原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 大本の発端池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 艮の金神
ルビ付き本文:
ダウンロードページ
 
本文    文字数=2595

問 大本と云ふのは一体、どう云ふところから出て来たのだ。
答 それは、元は金神の大本やと教祖が書いたのが元です。
問 金神……艮の金神の大本と云ふ意味か。
答 さうです、それから金神の大本とか、世界の大本と云ひましたり、色々言うて居つたが。
問 大本だけになつたのは、王仁三郎が関係してからか。
答 唯金神を除けて大本としたのはさうですね、……大分後ですわ。
問 王仁三郎が関係したのか。
答 単に皇道大本やとか、大本と云ふたりしたのは、それは大本……大本と云ふものはお直さんが言うて居つたのは金神の大本でしたが。もう一つ……。
問 それは後で訊きませう。
 さうすると三十年頃に金光教の足立の援助を断つた時に、何か集合的の、団体的のさう云ふものが出来たのでして、大本と云ふ……。
答 それは三十年に切[行]つた時は、唯お直さん一人で、大本、大本と言ふて居つたのです。それで近在の信者が五、六十軒あつたのです。それが大本々々と勝手に言うて居つたのや。看板もなければ何もなし、唯金神の大本々々と言つて居つた。
問 宗教の団体と云ふやうな、類似の団体と云ふやうな所迄行かぬのか。
答 まだ行つて居らぬのです。
問 行つて居らぬか。
答 さうです。
問 其の時は大本の方には、何か教義とか云ふやうな、さう云ふものはないのか。
答 何もありまへぬ。筆先のみでした。
問 筆先はあつたのだな。
答 さうです、それはあつたのです。
問 筆先と云ふものだけがあつて、別に纒つた大本の教義と云ふやうなものはなく、病気を直すとか、禁厭をするとか、云ふだけのものだつたのだな。
答 斯う云ふことがあるのです。神さんの言葉として、私は艮の金神として、今迄は艮に押込められて居つたが、天の御三体の神様の御許しを得て再び神界へ出して貰ふことになつたのだから、是からは艮は決して何をしようが差支ないと云ふことを始終教へて居つた。又皆それを信じて居つた、此の神を信じて居つたから。
問 さう云ふこともあつたと、それから宗教類似の団体と云ふものが。