出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 王仁三郎が大本へ行くまでの大本の状況池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 明治20年代
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問 それは……。
答 それから其の翌年に又行つた。
問 それぢや訊ねるが、此の大本だね、今さつき大本と云つたあの大本の発端ですね。
 大本と云ふのはどう云ふ発端か、又翌年二度目に直のところに行く迄に於ける大本の中の状況を述べて見なさい。
答 是は余り心得て……。
問 直がどう云ふ状態でどう云ふことを基本として居つたか、判つて居るだけ──。
答 あの人も元は金光教の信者だつたのや。
 さうして居つたところが、遽に艮の金神と云ふて呶鳴り出した。
問 それは聴いたことだね。
答 さうです、呶鳴り出しました。
 さうしたら艮の金神……。
問 何年です。
答 二十五年やと思ひます。
 其の時に、「是から艮の金神が神さんの御許しを得て、さうして地上の神界を輝して居る。それで総ての神様の世界を輝して貰ふことになるのだ。是から日本は、今までは小さい国やつたけれども、今度は三千世界の梅の花で、日清戦争も起り、「ロシヤ」との戦争も起り、結局日本のものに世界がなるのだ」と云ふことを仰しやつた。
 「是は気違ひや」と云ふので、牢に入れられた。さうしたところが、其の後、暮に火事があつた。処が、直が、「神の悪口を言ふから、儂が焼いたのだぞ」と言ふて、牢の中から言つた。「俺が焼いたのだぞ。儂の神が焼いたのだ」と言ふ。さうして又警察へ連れて行きました。さうして牢の中へ入れたら、呶鳴つて仕様がないので、又帰して座敷牢へ入れて居ると、又呶鳴つて仕様がない。
 さうすると、娘の婿の大槻鹿蔵と云ふ者が出て来て、「お婆さん印形を捺しなさい。さうしたら出して上げる」と云ふので、お婆さんは仕様がないから捺した。
 さうしたら十五日の日に出して呉れた。さうしたら家も何も取られてしまつて何もない、あらへん。
 家も何もなくなつてしまつたものだからすみは他所へ奉公に行つた。教祖は教祖で糸引に歩いて居つた。さうして信仰して居つた。
 それから二十七年頃であつたと思ひますが、其の時分に京都市の島原の金光教会をして居る杉田政則と云ふ人が来て、自分の弟子の奥村定吉郎と云ふ者を寄越した。
 直をたねにして金光教を開けと云ふことになつて、奥村定吉郎が出て来て家を借りて、力を合してやつて居つたが、直は艮の金神を祭り、奥村は金光教を祭つて祈祷して居た。是ではうまく行かなくて、お婆さんが家を出てしまつた。さうして外で始めた。
 すると信者がお婆さんの方へ行つて奥村の方へは信者がちつとも行かなくなつた。
 其の後杉田先生が、「足立お前行つて来い」と云ふので、足立が行つたが、又お直さんと馬が合はぬものですから、お直さんは出てしまつて、裏町の大畳の蔵を借つて居つた。
 信者は皆おばさんのところへ行つて足立さんのところへ行かぬから、食へないから、足立さんはしまつて帰つてしまつた。
 其処へ私が行つたから足立さんが怒つて、自分を放り出した、と云ふことになつたのであります。
問 それから足立と手を切つたのは何時か。
答 それはね……
問 三十年に手を切つたのでせう。
答 なんですか。
問 足立と直が……。
答 何んだかさうだつしやろ、三十年かも知れまへぬ。私が行つたのは三十一年でしたから、けれども本当に行つたのは三十二年か三十三年頃です。
問 大体それだけ切りか、それ以外には判らぬか。
答 其の位のことで、それは却つて私よりおすみの方が能く知つて居ります。古い信者は死んて居りやしまへぬから……。