出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 出口直との出会い池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 大本教へ
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問 鎮魂帰神の方はそれ位にして、それから、王仁三郎が大本と称して艮の金神を祭り、祈祷禁厭等を為して居つた時から出口直事出口ナカを知るに至つた事情はどうでせうか。
答 今言ひ掛けて居つたのですが……
 それから園部に行きました。
 さうして園部へ行く時に八木と云ふ所に茶店がある。其処に出口直の娘の福島久子と云ふ者が居つて、さうして福島虎之助と云ふ者が夫で、人力引をやつて居つた。
 それは金光の信者だつた、私が其処へ寄りましたら、私が妙な風をして居つて──昔の裃を着まして、下は袴を穿いて歩いて居つた。妙な風をして居つたので、「あなたは妙な風をして居るが、何をするのですか」と言つた。
 「私は、斯う/\で稲荷さんの所へ行つて斯う云ふことを教へて貰つて、艮の金神を研究したいと思うて、私は研究して居るのだ」と言つたら、「それなら私の母が艮の金神さんと言つて祭つてる。金光教会へ入つて居たけれども判らぬからそれを観て呉れ」と、私は頼まれた。
 それから福島虎之助が、「儂が送ります」と言ふので、其の儘送つて貰つた。其の時分だつたかしら……それは違ひました。その時は送つて貰はなかつた。「直ぐに行けぬから」と言つて、園部へ行つて、井上直吉方に一月程居つた。そこで又、私が暫く前に園部に居たことがあるので、信者が出来ました。
 さうしたら福島に或る処で行き合つた。「何時行つて呉れたか」と言はれたから、「まだ行かない」と言つたら、「私の車に乗つて行つて呉れ」と云ふので、それは気の毒だと云ふので、私は車を断つて歩いて綾部迄行つた。
 裏町のたつた六畳の間にお婆さんが居りまして、其処へ行つた所が、「能くお出で下すつた、私を調べて欲しい」と云ふ。「私は実は神憑りで艮の金神やと云ふが、私には判らぬ、一つ調べて下さい」と云ふ。
 私が鎮魂をしたらぎゆつと(ちやんと真似をしながら)飛び上つてびく/\した。こんな神憑は見たことがない、永沢先生に訊ねないと判らぬと思つて居た。
 其処に金光教会の足立正信と云ふ者が居つた。是が「祈祷してお婆さんを援助して居るのに、之を取つたらならぬ」と云ふので、私を帰してしまつた。さうしたら、お婆さんが、「あ丶言つて足立さんがいやはるからもう暫らく待つて居て下さい」と云ふ。
 こう云ふことでお婆さんと別れて帰つて来ました。さうして、八木の福島に、「行つて来た、あれはいらい神さんで、又恐い神さんや」と言ふたら、「それはおおきに」と言つて、車に乗せて、私を大林と云ふところまで送つて呉れた。
footnote
裃 かみしも 肩衣(かたぎぬ)と袴を組み合わせたもの。肩衣は前代のものより肩幅が広くなり、前に襞(ひだ)を取り、襟は重ねないで羽織る。江戸時代、武士の公服、庶民の礼服として用いた。上下(じようげ)が共布の長上下(なががみしも)・半上下(はんかみしも)と別布の継ぎ上下がある。