出口王仁三郎 文献検索

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原著名出版年月表題作者その他
大本史料集成 全3巻1982.06(第1巻)、1982.09(第2巻)、1985.08(第3巻歴史 稲荷講社池田昭・編参照文献検索
キーワード: 二次事件裁判 稲荷講社
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本文    文字数=2167

問 さう云ふ経緯からだね。
答 それから私は神憑になりまして、四月の三日になりますと静岡から永沢雄楯先生の弟子であるお爺さんが来まして、あんたのことをちよつと聞きまして訪ねて来ましたが、「あんたちよつと調べさして貰ひたい」と言つたので、私は斯うしてちやんと(鎮魂の姿勢をとる)手を合せながら坐りました。
 すると私の体が飛上つて色々のことを申しました。
 さうすると、「是は儂の手に合はないから、永沢先生の所に行かう」と言うて、一緒に四月十五日に行きました。
 三日に発つて十五日に着いた。其の時には金がないので仕様がないから、私は山やら家を抵当に置きまして五十円の金を借りて連れられて行つて、静岡の先生の所に行つたら、人が見て貰ひに来て居た。
 さうして永沢先生が色々と私の神憑りを御調になられた。さうして本田先生、副島先生の「神道問答 」、それから「言葉の大本」と云ふものを下されまして、之を能く教へて下さつた。さうして、私に、毎日鎮魂と帰神の修業をして下さいました。
 先生が言ふに、「私は五千人弟子を持つて居るが、御前のやうな珍しい者はない。御前は愈々本当の神憑りだ」と云ふので、得業証と云ふ証状迄貰ひました。
 さうしてそれから日露戦争や世界戦争、色々なことを皆神様が教へて呉れたが、それはちよつとも違ふて居らしまへぬ。
問 それは前に申して居らなかつたか。
答 それは神様のことを云うたら、胡魔化すなと高橋さんは呶鳴る。それで涙を零して、拳固を振上げて、おのれおのれと言ふ──最前申したやうに、神様の修業の観念もなければ、霊学の観念もない。人に申上げても胡魔化すとより外思はれない。それで申さなんだのであります。
 暑い……。